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複数拳種の併修について

ええ〜…
「他を習うなら、うちから出て行け」
とか、やっぱりあるのね…。

道場の運営方針としてそうなっているなら、異論は挟めない。
ただ実際の学習上でいうなら、きちんと切り分けてやるならどんな拳種でも併修は可能だ。

あたかも、複数の言語を学ぶようなものだ。

「似ているからこそ気をつけなければならない」
ということはある。

例えば、ロシア語とウクライナ語は非常によく似ているそうだが、似ているからこそ違いをきっちりと把握しなければならない。
クレムリンにスパイとして潜入してから、うっかりウクライナ語の言い回しをしたら大変なことになる😅

「全然違う拳種」のほうが、併修はしやすい。
混じりようがないためだ。

河南の回族武術家は、査拳と心意六合拳をセットで学ぶことが必須とされているが、この2拳種はまったくと言っていいほど似たところがない。

なんでこんなに異なる拳種を好んで併修しているのだろう…と昔から疑問だったが、まったく似てないからこそ併修しやすい、ということかもしれない。

ともあれ、「他を習うならうちから出て行け」という決め事に拳理的合理性があるかどうかだが、まったくないとは断言できない。

混じることを恐れているのかもしれないが、きっちり切り分けるのは大前提である。

武術家の第一の掟は
「それはそれ、これはこれ」
だ😅

むしろ「拳学純粋主義」は、現代人にとっては逆に遠回りになるかもしれない。
創始者には「観えていた」ものが、後学者には観えなくなっている可能性が高い。

そういうとき、少しでも先人の身体観に向かうためには「別角度から観る」ことが効果的な場合も多い。

別の師に学んでみたり、別の拳種を学んでみたりすることで視点が変わり、進展することも多々ある。

まあともあれ、「他で習うな」という決め事がある理由が「道場経営の都合」でないことを願う😅

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