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僕の夢だった高校サッカー選手権大会と西が丘サッカー場の芝生はやっぱり最高だった。

11月5日、11月12日に母校の高校サッカー選手大会、
準決勝と決勝の試合があったので見に行きました。

その時に友達から「西が丘の芝生ってやっぱり最高」
というnoteを書けば?と言われました。
たしかに西が丘の芝生はやっぱり最高!と感じたので、
「サッカー」と「西が丘・高校サッカーへの当時の想い」を書きます。

noteを知らなければ、サッカーについて深く何かを書くことは、
100%なかったので不思議な気持ちです。

サッカー人生のはじまり

僕は小学2年生の時にサッカーをはじめました。
当初はお祖父ちゃんがプロ野球選手だったこともあり、
野球をする予定でした。

ただ見事に野球センスが皆無でした。
投げ方・打ち方、今でもよくわかりません。

そんなこんなでサッカーにたどり着いたのです。
ところがビックリ、サッカーセンスも皆無でした。
つまり運動神経が抜群に悪かったのだと思います。

だけれどもサッカーをやることは今までやってきた何よりも楽しくて、
毎日夢中になりました。
室内遊びは一切せず、学校から家まで走って帰って校庭開放に行って、
ひたすらにボールを蹴っていました。

そんなこんなで中学生になっても、
もちろんサッカーを続けることになりました。

ここで生まれた夢が「全国高校サッカー選手権大会」
に出場することでした。

全国高校サッカー選手権大会出場に向けて

「全国高校サッカー選手権大会」に出場するという夢のために、
当時は部員180名?くらいの全国大会出場経験もある高校に入学しました。

ここからが夢が遠くなるような大挫折のはじまりです。

チームとしては同学年でAチーム〜Dチームまで割り振られていました。
つまり試合になるとAチームは1本目に試合、
Dチームは4本目に出番がやってくるという形です。

そんな僕は高校1年生〜高校2年生の冬までCチームとDチームの
往復を繰り替えしていました。

自分の実力不足を感じまくりましたし、ケガも沢山していました。

他にも色々なことがありましたが、1番はサッカーしていても
何も楽しくなかったです。

私立の高校に通っていましたが、途中で都立の編入の説明会を聞きに
行くぐらい、毎日嫌でした。

今考えると、メンタルの弱さにうんざりします。
しかし今考えると、この経験をしといて非常に良かったです。

だけれども何のためにサッカーを続けてきたのかを考えると、
この環境で続けることが最善の選択肢だと感じました。

そんな僕に転機が訪れました。

高校3年生になる少し前に、来年のチーム編成を
決めるための紅白戦がありました。

そこで2年間ではじめてBチームにあがることができました。
Bチームではありますが、この時は猛烈に嬉しかったことを覚えています。

そこからBチームの公式戦にコンスタントに出させてもらい、
ついに夏頃にAチームへの道を開いてもらいました。

過去にはDチームの試合にもでれず、そして存在すら忘れられて
審判だけして帰ったこともあったので、この瞬間は生きてきた中で
1番嬉しい瞬間でした。
色々なこと努力して、心の底から良かったと思いました。

忘れられる存在感の薄さは流石にまずいことではありますが、
こんな経験をしたからこそ雑草魂が生まれているのかもしれません。

未だに存在感は薄いので少し気をつけようと思います。

Aチームへの道を開いていただきましたが、一瞬だけ合宿期間にスタメンで出させてもらった後はリーグ戦でもベンチに座り続ける日々でした。

いつも週末にメンバー発表があるのですが、毎回メンバー入できるのか
ドキドキしていました。
幸運なことにリーグ戦のメンバーには入れていただいておりましたが、
出場時間は恥ずかしいくらいの短時間でした。

そして最後の最後に大挫折が待っていました。

高校3年生までは考えられなかったAチームへの
扉が開かれ、いざ全国高校サッカー選手権大会の東京予選の
開始が近づいていました。

東京予選開始の2週間程前に山梨県で試合がありました。
その試合中に膝に変な違和感を覚えました。
そして違和感を感じた途端に座ると立ち上がれなくなりました。

最初は膝の周辺の肉離れとトレーナーの方に言われました。
肉離れでも絶望でしたが、自分としては膝に違和感があり病院に
行ったところ、まさかの「前十字靭帯」が緩んでいるとのことでした。

とにかく絶望でした。
今までサッカーやってきたことが全て無駄になる感覚でした。

今後サッカーを続けるかも決めていませんでしたが、
ここで仮に続けたら膝は手術かもなと少し思っていました。

ということで勿論ここで辞めることはできなかったので、
2週間で復帰できるように頑張ることにしました。

軽い前十字靭帯の緩み(今考えるとよくわからない)でしたが、
全治3ヶ月程度でした。
前十字靭帯で三ヶ月は今考えると信じられないです。

となると誰にも言わず、バレずにやるしか復帰する方法がありませんした。
これは墓場まで持っていこうとしていたので、初解禁情報です。

しかし、ここで1つ学びがありました。
「痛み止め」を飲み、そして「アドレナリン」が出れば、
だいだいどうにかなるということです。

良い学びではないですが、僕にとっては幸せな学びでした。
この時に人生だいたいどうにかなる精神が生まれたのだと思います。

長くなりましが、少し休んで復帰することに成功できました。

結果的にメンバー入りすることはベスト16/ベスト8では
叶いませんでした。
しかしベスト8で勝てば1ヶ月程度期間が空くため、
メンバー入りのチャンスがありました。
勝利を祈っていましたが、夢の西が丘/選手権を直前に負けてしまいました。

僕が小さい頃から、ずっと掲げていた夢は終わりました。

試合に出ていたメンバーからすれば、
絶対に必要不可欠なメンバーではなかったことは、
自分でもわかっていました。
悔しいですが、それくらいの実力しかなかったのが、
僕の高校サッカー人生でした。

ネガティブなことを言っていますが、この経験なくしては、
今の自分を作り上げることはできなかったので、本当にいい経験でした。
ありがとう高校サッカー。

どうにかなっていた膝でしたが、状態は良くなかったです。
その3年後に前十字靭帯に再びケガをおいました。
次は全治8ヶ月でした。

27歳になった今。高校サッカー選手権と西が丘サッカー場への想い

高校サッカーを生観戦したのは恐らく4年ぶりくらいでした。

観戦して思ったのは、「こんな真剣に熱くなれる」サッカーって本当に
素晴しいスポーツだなと感じました。

同時に「この環境で試合に出場して活躍」できていれば、
今自分の人生はどうなっていたのかな?とも思いました。

もちろん叶わない話なので、
高校サッカーできたことを一生の財産にします。

正直サッカーを通して「実力や成績」で見返りはなかったです。
しかしサッカーを通じて、人として大きく成長できました。
これだけは間違いないです。
何より最高の友達にも巡り会えました。

サッカーで勝てなかった人は沢山いますが、
これからの人生を誰にも負けない熱いものにしたいと思っています。

本当に沢山の夢を与えてくれた、高校サッカーに感謝です。

そして、これから第101回全国高校サッカー選手権大会がはじまります。
今年は見ようと思います。

そして何より今日からワールドカップ2022。
寝不足生活開始です。

生まれ変わったら同じ夢を持って、次は達成させたいです。

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