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僕が音楽を志した理由。#1 歌謡曲とニュー・ミュージック

 50年を過ぎて生きてきて、自分の幼少時代を振り返っても、客観的にそれが真実なのか、後から作られた都合のいい記憶なのか定かでは無い。ただ、生きていく過程で、自分が人生の岐路に立ったときに、「その決心はきっとあの時の経験がそうさせたんだ。」という、そういう積み重ねで、僕の記憶はできていると思っている。

 僕が音楽を仕事にしたいと、そういう欲望が生まれたのはおそらく、小学校から中学に上がるぐらいの瞬間、自分の将来をイメージするそういうタイミングだったと思う。ただ、その時の決心というのは、曖昧で全く具体的でも無く、モヤっと心の中に生まれた様な物だった。
 だから、熱心に音楽を勉強したり、楽器を練習したり、バンド活動に打ち込んだりと、そんな情熱的な物語があるわけでも無い。只々、音楽が好きで愛し続けていただけである。

 幼いとき、両親が音楽好きで、所謂当時の歌謡曲(僕の年齢から推測すると70年代)を、テレビやラジオやホームステレオで楽しむような家庭に育った。ベストテン番組をみたり、年末の賞レース(レコード大賞など)では、誰が大賞を取るか、幼いながらも家族の議論に参加していた記憶がある。

西城秀樹 傷だらけのローラ

 僕の最初のお気に入りは、"西城秀樹"の"傷だらけのローラ”で、初めてスキになった「バンド」の曲は"ゴダイゴ"の"ビューティフルネーム"だったと思う。
 それまでのお茶の間で聞く歌謡曲とは、明らかに違う"ゴダイゴ"のサウンドは、"モンキーマジック"や"ガンダーラ"、"銀河鉄道999"と、今でも深く記憶に残っている。聞くだけではなく、その曲を歌うことも好きだった。

ゴダイゴ 銀河鉄道999

 小学5年生の時だったと思う。ある日父親が、"コンポーネントステレオ"を買ってきた。それは、それまでテレビとは段違いの素晴らしいサウンド体験だった。思えばそれが、僕の音楽への情熱の最初の記憶で、スタート地点だったと思う。

 その日から、ラジオで流れる音楽をカセットテープに録音する日々がはじまった。特に学校が早く終わる土曜日の午後1時に放送していた、FM東京の"コーセー歌謡ベストテン"が大好きな番組になり、毎週の様に新曲をチェックしていた。
 ちょうどその頃、日本の音楽業界は、"ニュー・ミュージック"と呼ばれる新しいジャンルの、"シンガーソングライター"のミュージシャン達が次々とデビューするタイミングだった。
 "オフコース"、"チューリップ"、"松任谷由実"、"山下達郎"、"竹内マリア"、"松山千春"、と挙げたらキリがないのだが、テレビには登場しないのに上質なサウンドを届けてくれるこれらのアーティストに夢中になっていった。

 小学校卒業のタイミングの冬にリリースされた、"オフコース"の"さよなら"が、ませた僕の心にヒットして、以後、この"オフコース"の曲をもっと知りたくて、レコードのコレクションが始まる。

オフコース さよなら

 "オフコース"はフォーク時代と、メンバー3名を追加してロックバンド型式になったら時代があり、アルバムは5人になってからの物、おそらく6-7枚をもっていたのだが、高校生になった瞬間に突然興味を無くして、後輩に全て売ってしまった。
 なぜかその時、それまで聞いていた、日本の音楽と決別したいそう言う衝動で手放ししてしまったのだ。

 その辺りの話は、また改めて。

つづく


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