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マルタ留学記④~全ての経験が思い出に。~

このブログは、私が1ヶ月留学していた時の経験や思いなどを複数回に分けて書いていくものです。海外に行けない中、このブログを読んで少しでも海外に想いを馳せていただければ、嬉しい限りです。4回目は、「バレッタという街、そしてそこで起こった悲劇」について書いていければと思います。

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(バレッタの街並み。綺麗すぎますね…。)

そもそも「バレッタ」はどう言う街なのか。

 前の回でも紹介したように「バレッタ」はマルタ共和国の首都で、街全体が世界遺産に登録されています。マルタ観光局によると、バレッタは「1565年のオスマントルコ軍との戦い「グレートシージ(大包囲戦)」の経験から、難攻不落の都市となるよう設計され、建設された」とされています。

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(引用元(2枚目):https://www.mtajapan.com/valletta.html)

写真からも見てわかる通り、街をこのような壁が覆っている都市です。街の名前でもある「バレッタ」は街の完成に尽力した「ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレット」からきています。首都と呼ばれていることからもわかるように、政治の中心であるとともに多くの観光客も訪れる都市です。マルタ国内の様々な場所からバスで来ることができ、大きなバスターミナルもあります。また、ここから様々な都市にバスで行くことができます。

「聖パウロ難破記念日」とは?そして悲劇が起こる…

 「聖パウロ記念日」はマルタの祝日で、2月10日です。紀元60年にキリスト教徒であるパウロは政治反逆者として追われ、ローマに向かう途中船が難破してしまいます。そこで漂着したのがマルタで、現在その場所は「セントポールズベイ(St. Paul's Bay)」と呼ばれています。そこからマルタにキリスト教が広まったため、熱心なカトリック教徒が多いマルタ国民にとっては特別な日になっています。

 毎年2月10日には首都のバレッタでお祭りが開催され、多くの人がそこを訪れます。街中に様々な装飾がされ、聖パウロ像を持って街を練り歩いたりします。

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私はこの日が「聖パウロの難破記念日」だとは知らずに遊びに来ていたので、見たときは驚きました。

今までこの日が「祝日」であると紹介してきましたが、そこで悲劇が起こります。実はこの日は私の「登校初日」だったのです!(笑)それに気づけなかったのには、まず①現地でSIMカードを購入していなく、インターネットに接続されていないがために、その情報(メール)を見ることができなかった、②前日にホストマザーから「明日は祝日だから学校ないよ!」と言われ、それを信じてしまった、の2点が挙げられます。日本にいるときに確認しておいてメモしとけよ!と言われれば何も言えないないですが、準備でそれどころじゃなかったというのが正直なところです…。(翌日焦って学校に行き、無事受付はできましたが…(汗)。)

しかし、そんなトラブルこそ思い出に濃く残るものです(笑)。タイトル「全ての経験が思い出に。」にもあるように、ほんとにマルタで知ったこと、驚いたこと、全てが思い出として残っています。

 話は「聖パウロの難破記念日」に戻りますが、器楽隊が街中を練り歩いて演奏しているところにも遭遇できました。何を演奏しているのかはわかりませんでしたが、器楽隊と観光客や住人が一緒に歩いていきます。僕も歩きながら演奏を聴いていました。

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(演奏の様子。楽器に楽譜立てがついているのがすごいですね。)

しかし、この日普通に学校に行っていればこの光景に出会えなかったと思うとまあよかったのかなと思います。

そんな悲劇(?)から始まった留学生活。この先も色々なことがあります。このブログでたくさん共有できればな、と思います。次回はバレッタにある「聖ヨハネ大聖堂」のような歴史的建造物や観光スポットなどをご紹介します。


「マルタに行きたくなりましたか?」
最後まで読んでいただきありがとうございました!

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(実はマルタにもスタバはありました。石造りのオシャレな店舗でした。)

「マルタ留学記⑤」へ続く。

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[参考]
「世界遺産の首都バレッタ」https://www.mtajapan.com/valletta.html
「その他情報」https://www.mtajapan.com/history.html
「聖パウロ難破記念日」https://www.tour.ne.jp/blog/maltanavi/56383/