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幸せについて考えてみた(ちょっと本気)

8/11。東京。
当たり前に暑い。

推しアイドルのライブのために東京にやってきた。
早朝に東京に着いた私は、レトロ銭湯(っぽいではなく、ホンモノのレトロ)の暖簾をくぐった。

シャワーの勢いが弱い。ものすごく弱い。
あまりの弱々しさに笑いがこみ上げてきた。

見渡すと、挨拶を交わす常連であろうお婆さん、入れ墨の入ったお姉さんがいた。ここは入れ墨OKのようだ。
もうどこの銭湯もOKでいいんじゃないかと個人的には思う。

湯はかなり熱かったが、かえって心地よかった。

さっぱりすっきりした私は何を思ったか、気づけば銭湯の待合室で電話をしていた。

「電話だめですよ!!!書いてあるでしょ!?!?!」

番台のおばさんの怒号が飛ぶ。

当然だ。とんだ迷惑野郎である。
汗と一緒に脳みそまで洗い流してしまったようだ。
力なくたたずむ私の背後にはthe★銭湯な富士山の絵が堂々と描かれていた。対比がなんとも虚しい。

明日も東京だ。詐欺などに合わぬよう十分に気をつけたいと思う。

銭湯を後にした私は避暑地を求め、目に入ったルノアールに入った。

私の中でルノアールは『去年ルノアールで』という、星野源主演のテレ東作品のイメージしかないな、と思いながらメニュー表を開く。

…高い。ドリンクがとにかく高い。

弱いだの高いだの、着いてそうそう文句しか言ってないなこの女。
そして慣れない高級ドリンク頼み、本を読んだりこの文を書いたり好きに過ごさせてもらっている。

そうだよな。そりゃ高いよ。涼しい場所を提供していただいているんだから‥

と思っていたときだ。

「こちら温かいお茶です。お冷も新しいものとお取替えしますね」

目から鱗だった。サービスの質が凄い。
さすが価格帯がゴージャスなだけある。
都民の皆さんはこれらのサービスを日頃から受けているのか。

こういった気遣いからしか得られない幸せがある。

本を買ったときの「ブックカバーおかけしますか?」

これに近いものを感じる。
言わずもがな、この気遣いも大好きだ。
この一言のおかげで、本を気軽に持ち運べる。


幸せは、他人からもらうものではない。

受け取り手の感覚次第で、すべての出来事が幸せにも不幸せにもなりうる。

なんなら、普段意識しないだけでそこらじゅうに転がっている。

だから散歩が好きだ。
小さな小さな幸せを、いくらでも拾い集められる。
自らの足で歩めば歩むほどに、世界が広がる感覚に浸れる。

散歩は思いがけない出会いと幸せの宝庫だ。

かつて栄えていたであろうスナック街の古びた看板。
名前も知らない、雑草に近い花。
謎の運搬具に乗せられた子どもたち。

見つけると嬉しくなる。心が踊る。

そんな小さな幸せに、日々生かされている。

今朝のよわよわシャワーだってだいぶ面白い。私の中では幸せにカウントしていい。

心身の状態が振り子な私にとって、そんな幸せのかけらたちは大げさではなく生きる希望である。

大きな幸せはいらない、と思う反面、結婚願望だけは立派にある。

以前から漠然と結婚願望があったが、少し考えも変わり、今の恋人とだからこそ結婚したいと思うようになった。

この恋がどうなるかは分からないが。


最終的には、別に幸せになれなくても良い。
ただ小さな幸せを毎日感じて生きていきたいだけである。

小さな幸せを探して、私は今日も歩く。

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