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息を吸うためには

“吐ききる”ことが必要だ。

最近、あらゆる場面でそう気づかせてくれる瞬間が続いた。

①整体にて
あまりにも心身の状態が悪く、八方塞がりになった私が半泣きで駆け込んだのはとある整体院だった。

お世辞にも安いと言えない金額に息を飲んだが、ええい健康への投資だ!と思い通い詰めた。

「吸うのは出来てますけど、吐ききるのが苦手ですね」

施術中、そう言われた。

‥吐ききれていない?‥考えもしなかった。

②恩師から
現在進行系で、自身の体調や環境が変わっていくことに焦りを感じている。

「吐ききったら吸えるから、まずは吐ききって」

そんな私を見かねてもらった言葉だった。

そのとき初めて、吸わなきゃ、ばかりに囚われていたことに気づいた。

③恋人から
つい最近、発作が起きて涙が止まらず呼吸が上手く出来なくなった。

「ゆっくりで大丈夫だから、しっかり吐いて」

電話越しの彼からもらった言葉だった。

大丈夫。

(改めて書いてみると似た形の三文字の熟語だな‥)

弱っているときの「大丈夫」は琴線に触れる。

この言葉が痛いほど嬉しかった。


生きているとふと、呼吸の仕方が分からなくなる時がある。

恐らくパニック発作の症状のひとつで、過呼吸の一歩手前といったところだと思う。

なんとなく深呼吸が苦手だ。生まれてこの方、うまくできた試しがない。

しかし、呼吸において「吸う」と「吐く」は表裏一体だ。

いかに片方をおろそかにしていたか、周りの助言がなければ気づくことが出来なかった。これに気づけたのは、私の中では大きな一歩である。

物理的にも精神的にも、だ。


調子の波が激しい今は、創作活動にも向き合えていない。
「できていないこと」に目を向けると山のように積み重なっている。

まるで他人事かのようにそしらぬふりをして、今はこの文を書いている。

現実逃避したっていいじゃないか。たまにはね。


好きな作品を思い思いに眺めたり、映画のフライヤーに心をときめかせたり、少しずつ好きなものを楽しめる瞬間を取り戻していきたい。


まだまだ先は長いように思う。

きっとこのもどかしい時間は、無駄だけど無駄ではないはずだ。

まずは、現状を認めること。

そして、“ちゃんと”生きることを諦めない。

2023年はたくさんの目標を掲げたが、心身が参っていく一方でほぼほぼ達成ができなかった。

過度な期待をしすぎない。

まずは、一日一日を生きてみる。

そうしてあっという間に過ぎていく今年を駆け抜けて行きたい。

なんとなくだけど、今年は良くなっていける気がしている。


そんなわずかな希望を持てるだけでも幸せだ。


息を大きく吸って、いや、きちんと吐くところから続けていこう。

大丈夫、と言い聞かせながら。


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