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2016年 12冊目『日本の雇用と労働法』

日本の雇用の特殊性の全体像が良くわかる本でした。

日本では、会社に就職し、他国では就職(文字どおりその職種に就く)するという違いが、歴史や背景から丁寧に説明されています。

1日本型雇用システムの本質

メンバーシップ(職務の定めのない)契約としての雇用契約

雇用契約

・日本以外の先進国では、職種(ジョブ)ごとに雇用契約を結びます。

・一方、日本では雇用契約で職務が書かれていません。(=空白の石板)

・つまり、日本のみ、企業は労働者の職種変更が可能なのです。

・結果、同一企業では、職種を超えて賃金体系が同一となります。(そうしないと異動させにくい)

3種の神器

・このメンバーシップ契約が、会社ごとの企業別組合、長期雇用慣行、年功序列賃金(3種の神器)の理由なのです。

・欧米では職種ごとに労働契約を結びます。よって、企業を超えて産業、職種別の団体交渉を行う産業組合が合理的です。

採用主体

・欧米では、職種ごと採用ですので、現場に採用権があります。日本では職種を超えて採用するので、人事部に権限があります。

解雇

・欧米では、企業が労働者を必要としなくなれば解雇するのが原則です(ただし、理由なしに解雇できるのはアメリカのみ)。

・しかし、日本では労働者個人の能力を理由とする普通解雇よりも、仕事がなくなった整理解雇を厳しく制限しています。

企業内教育

・日本企業は、職種超え異動を行うので、企業内教育訓練(特にOJT)が重要です。一方、欧米では職種のスキルがある人を採用するので、企業内教育訓練はあまりありません。

賃金制度

・日本では、定期昇給があり、これが年功賃金を生み出しています。

・日本ではブルーカラーも査定を行います。欧米は査定対象外であるケースが多いのです。

労働場所・労働時間

・日本では、正社員である以上、企業が時間外労働、休日労働を命令すれば、それに従う義務があります。
転勤に応じることも当然とみなされています。
他国ではそのような事はありません。

非正規労働者

・日本における非正規労働者は、欧米の職種別採用と類似です。現場に採用権があります。

・ただし、正社員と同様の権利はありません。

日本型雇用システムの形成

戦前

・20世紀初頭の日本の労働市場は、高い移動率で、労働者は「渡り職工」と呼ばれていました。親方が工場主から仕事を請け負っていました。給料を上げるため、親方単位で会社を変わることが普通でした。

・日露戦争後、生産技術が高度化し、大工場は自社養成施設を持ち、職工育成を行いました。この基本要素が定期採用制であり、職工の忠誠心確保のために定期昇給や業績査定が導入されました。

戦中

・戦時期は、新卒者割当制、転職許可制、許可なき採用、退職、解雇を禁止しました。養成工制度を中堅企業にも義務付けしました。

・「皇国の産業戦士」の生活保護のため、地域別、業種別、男女別、年齢階層別に平均時給が定められました。

戦後

・戦後も戦中の思想が継続されました。世界でも稀なホワイトカラーとブルーカラーが同一の企業別労働組合が設立されました。

・戦後、生産活動が停滞し、企業には余剰人員が溢れていましたが、この労働組合は、解雇に対して厳しい姿勢で臨みました。

・企業主導で解雇などを行いましたが、戦闘的な企業別組合は大規模な労働争議を起こします。

日本型雇用システムの法的構成

・日本の雇用契約の実態はメンバーシップ契約ですが、法的には労務供給契約です。

・種類は雇用、請負、委任、寄託の4種類です。

・雇用契約を債権契約の一種とするのはローマ法の伝統。(イギリスのコモンローは、主従契約。日本もかつては奉公関係でした)

・法律上の社員は株主だけ。ところが日本では、雇用労働者を社員と呼んでいる。

・2007年に制定された労働契約法が、メンバーシップ型に修正された労働法制と言えます。

・雇用契約とジョブ契約の間を繋ぐのが「就業規則」

就業規則の歴史

・1911年:工場法に就業規則に関する規定はありません。

・1926年:改正工場法に50名以上の工場主は作成を義務付け

・1947年:労働基準法は労働組合との労働協約の範囲で就業規則を規定。

・1949年:労働組合法改定。経営側は一方的に就業規則を定められる。

募集・採用

新規学卒者定期採用の確立

・明治期:工場(親方)が必要な人材を都度採用

・日露戦争前後:親方に代わる職長には採用権限がなく、企業が縁故採用。

・第一世界大戦後

:高等小学校卒業者を14歳で一律採用。自社養成制度のスタート。

:親方から採用権がなくなった前後にホワイトカラーも一律採用。

・1960年代(高校進学率大幅向上)

:高校推薦(実績に基づく1人1社制)の拡大。

・1990年代(大卒進学率の向上、景気後退に伴う高卒採用の減少)

:普通高校卒業者は自由市場に投げ出され、非正規雇用の増大。

:大卒者もフリーターの増加。

採用法理の確立

・1947年:労基法(差別の禁止)。職安法(差別的取扱いの禁止)

・1973年:三菱樹脂事件:心情を理由の解雇は合法(←メンバーシップだから)

・1979年:大日本印刷事件:内定は労働契約である。(それまでは労働契約予約)

退職・解雇

・明治期:渡り職工引き止めのため有期雇用!(その期間はいて欲しい)

・第一世界大戦後:定年制導入(長期にいて欲しい)。有期雇用は現在の意味に。

・1936年:退職金を法制化(失業保険の代替)

・1941年:労働者年金制度。→44年厚生年金。

第二次世界大戦後:定年制導入。(組合側:雇用安定。企業側:定年時の解雇)

・1955年:生産性三原則(雇用維持)

・1974年:厚生年金支給が60歳から。→定年延長促進施策。早期退職の普及。

:雇用調整助成金(労働大臣指定業種に休業手当の一部を支給)

・1975年:日本食塩製造事件(客観的・合理的理由がなければ解雇できない)

・1986年:高年齢者雇用安定法(60歳以上定年の努力義務)

・1994年:60歳未満定年の禁止。65歳までは継続雇用。

定期人事異動

・1950年代:化学や鉄鋼などの技術革新に伴い大規模な配置転換

・1960年代:グループ内企業への出向・転籍。

・1970年代:ブルーカラー含め出向・転籍。(←事業転換等出向給付金)

・1986年:東亜ペイント事件(家庭環境を理由に地域間異動拒否への解雇は合法)

・1989年:日産自動車村山工場事件(20年の機械工のほか職種異動は合法)

・1995年:労働移動雇用安定助成金

教育訓練

・19世紀末:生産技術高度化に伴い、大企業が熟練工の自社養成に取り組み

・1947年:労基法は企業内教育訓練には消極的。公的教育がすべき。

・1950年代:生産性向上運動、QC活動が活発化。

・1969年:日経連能力主義管理研究会が「能力主義管理ーその理論と実践」発行。

・1973年:雇用政策が、企業内教育訓練に財政的支援を行う方向に。

・1980年代:OJTが法的位置づけ確立。

・1990年代:自己啓発の美名のもと、個人主導の職業能力開発奨励。

・2008年:ジョブ・カード制度。今後日本版NVQ(全国職業資格)へ発展

報酬管理システム

年功賃金制度

・第一次世界大戦後:子飼い職工への長期勤続のために年功制度が導入。

・1939年:第一次賃金統制令(未経験者の初任給最低額と最高額を公定)

・1940年:第二次賃金統制令(地域別、業種別、男女別年齢別平均時給公定)

・第二次世界大戦後:勤続手当、ブルーカラーへの賞与、勤続年数に応じた退職金。

:通勤、住宅、被服、日用品、食費、出勤、職務手当など。

・1946年:日本電産労働評議会が勝ち取った年功序列型賃金

・1950年代:職務給の唱導はあるが進まず。

・1960年代:逆に職能給への舵取り(配置転換ができない)

・1969年:能力主義管理ーその理論と実践で年功制を高く評価。

人事査定制度

・明治期:職工の技能評価により決定。ただし賃金は親方が決定。

・日露戦争後:工場監督者による直接管理体制に移行し、出来高制なども始まる。

・第一世界大戦後:査定に基づく、定期昇給制導入。

第二次世界大戦後:電産型賃金(生活保障給7割、能力給2割、勤続給ほか)

・1990年代:成果主義の登場と迷走。

労働時間

・1911年:工場法(女子と年少者の深夜残業禁止と12時間労働)

・1919年:ILO(1日8時間、週48時間労働:例外あり)

・1939年:工場就業時間制限令(1日12時間労働)

・1947年:労基法(上記ILOを提唱するが、三六協定により労働時間青天井)

・1954年:労基法施行規則改正(労働者申請がなければ使用者に有休付与義務はない)

・1980年代:時短(週40時間、年休初年度6日から10日へ増加)

・1998年:労基法改正で裁量労働制可能。

仕事と生活の両立

・1970年代:国連女子差別撤廃条約→男女平等法制検討

・1985年:男女雇用機会均等法(女子保護維持、努力義務)

・1991年:育児休業法(1歳未満養育のため無給休業認定)

・1995年(3ヶ月の介護休暇の請求権)

・1997年:改正時に入口から出口まで差別禁止。

・2001年:改正育児・介護休業法で上限を超える時間外労働の免除請求権(1年150時間、1月24時間)

・2004年:年5日の看護休暇請求権

・2007年:労働契約法(労働契約は、労働者及び使用者が仕事と生活の調和にも配慮しつつ締結し、または変更すべきものとする)

・2009年:父母ともに育児休暇取得(パパママプラス)

過労死・過労自殺問題

日本型雇用(メンバーシップ型)における出世競争のなかで自発的に長時間労働に駆り立てられている。

日本以外の社会では自己責任でしかない脳心疾患や自殺が労働災害とみなされる。

正社員の長時間労働が必須要件として組み込まれた雇用システム。

・2001年:国の認定基準変更(長時間外労働と発症の関係性)

・2007年:労働契約法(使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働する事ができるよう、必要な配慮をするものとする)

福利厚生

立法化など

・1922年:健康保険法(労使折半で保険料を徴収し、傷病に対して給付を行う)

・1936年:退職積立金及退職手当法(賃金を一定率控除し、積立て、退職時に支払う。会社都合時は特別手当を加算)

・1952年:退職給与引当金制度

・1965年:厚生年金基金制度

・1970年代:福利厚生から企業福祉へ

・1990年代:カフェテリアプランから福利厚生の抜本的見直し

・2001年:確定給付企業年金法

団体交渉・労働争議システム

・1897年:高野房太郎が鉄工組合(職種別労働組合)設立

・1898年:日本鉄道機関方(のちの日鉄矯正会)による企業別組合

・1900年:治安警察法(団体交渉、ストライキの禁止)

・1912年:鈴木文治が友愛会(後の大日本労働総同盟友愛会)設立

・1930年:総同盟が協調的な企業別労働組合

・1945年:総同盟は産業別単一組合を志向するが、企業別組合へ。

・1947年:急進的な全官公庁共闘がストライキを計画、マッカーサー命令で中止

・1949年:労働組合法(急進活動を抑制、不当労働行為制度)

・1950年:総評設立されるが左傾化。右派が脱退し全労を結成。

・1955年:総評主導で春闘による新たな賃金交渉

・1974年:73年の石油ショックによるインフレ対応で30%台の大幅賃上げ成功。その後賃金抑制、雇用維持と言う日本型の社会契約

日本型雇用システムの周辺と外部

女性労働者と男女平等

明治から大正にかけて日本の労働者の過半は繊維工場の女工。

・1872年:官営富岡製糸場(士族の子女で福利厚生も厚く、エリート女工であった。繊維工場拡大に伴いでかせ中心に)

・1911年:工場法(上述)

・1930年代:女性事務員(職業婦人)が婚期を逃さないように女性の定年を25、30歳に引き下げる企業が続出。

・1936年:退職積立金及退職手当法(女性の結婚退職は自己都合としない)

・1943年:改正労務調整例(17職種で男性の就業が禁止)

・1944年:女子挺身勤労例で300万人が就労。戦後の女性意識変化に影響

・1947年:労働省に婦人少年局設置

・1950年代:OL,OG(高卒、短大から結婚退職)

・1967年:ILOの男女労働者に対する同一報酬に関する条約批准(しかし進まなかった)

・1985年:男女雇用機会均等法(努力義務だが男女均等待遇)

・1997年:同法改正(努力義務から法的義務へ)

非正規労働者

臨時工から主婦パート、フリーターへ

・日露戦争後:子飼い職工と臨時工(仕事ではなく身分)

・1938年:労務供給請負業については原則許可制に

・1941年:労働調整例(臨時工の雇止めも合意が必要)

・1947年:職業安定法(労働供給事業の禁止。しかし50年に緩和)

・1960年:好景気で臨時工を常用雇用へ

・1960年代:パートタイマーの増加(フルタイム・パート)

・1970年代:臨時工やパートタイマーの大量整理

・1985年:労働者派遣法

・1990年代:製造への請負業増加

      :フリーターの増加

・2003年:労働者派遣法改正(製造業派遣解禁)

・2007年:改正パートタイム労働法(厳格な定義だが差別禁止)

日本型雇用システムの今後

・日本の企業にとって年齢は最も重要な採用基準

・2006年:安倍官房長官の再チャレンジ推進会議(新卒一括採用システムの見直しを打ち出す)

・2007年:自公が採用の際の年齢制限の禁止合意

・2010年:日本学術会議が大学教育の職業的意義向上を訴える

・2010年:青少年雇用機会確保方針改正(卒業後3年は新卒採用枠で応募できる)

雇用問題の全体像の外観を把握するのにとても良い本でした。

▼前回のブックレビューです。

▼PIVOTに出演しました。よかったらご覧ください。


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