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人生かけてしまった祈り

 こんばんは。メリークリスマスですね。
 わたしは先ほどステーキで祝いました。
 8時になるとスーパーで半額になるステーキですね(涙)

 しかし祈りましたよー。
 普段祈りつけてない旧友や、熱を出しやすい隣の猫の健康まで祈りました(笑)。
 
 そんななかで、プロテスタントですが、カトリック定型文の祈りも、祈るこどがあるんです。
 なんでかというと、これが、わたしの理想とする生涯を言い尽くしているからなんですね。
 それを今日ちょっと紹介させていただきます。。
 イエズス会を創設したイグナチオロヨラと、アッシジのフランシスコの祈りです。

 主よ。
 わたしの自由をあなたにささげます。
 わたしの記憶、知恵、意志を受け入れてください。
 わたしのものは、すべてあなたからのものです。
 今、あなたにすべてをささげ、みむねに委ねます。
 わたしに、あなたの愛と恵みをお与えください。
 わたしはそれだけで満たされます。
 それ以上何も望みません。

 神さま。
 わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
 憎しみのあるところに愛を
 いさかいのあるところにゆるしを
 分裂のあるところに一致を
 疑惑のあるところに信仰を。
 誤りのあるところに真理を
 絶望のあるところに希望を
 闇に光を
 悲しみのあるところに喜びをもたらす者としてください。
 慰められるよりは慰めることを
 理解されるよりは理解することを
 愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
 わたしたちは、与えるから受け
 ゆるすからゆるされ
 自分を捨てて死に
 永遠のいのちをいただくのですから。

 これが、わたしの、こうありたいという、こころなのです。
 こうあらせてくださいと、毎日祈る祈りです。
 以前は、こんな祈り祈ってしまったら、そのあとどんな人生が待っているんだろう、と恐ろしくもあったのですが、今は、出来るならこう生きたい自分がいます。

 で、今日も、祈ってしまいました。
 かなえられるなら、わたしの全生涯が変わります。
 祈りって、恐ろしい一面も、あるのかもしれませんね。

 

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。これからもがんばります。中村 拝。