見出し画像

踏み台の話

オオクボさん、お前のあだ名。あの女芸人に似てるからオオクボさん。「さん」までセットでお前のあだ名。見た目もあだ名もキャッチーでいいよな、おかげでH1会だと知らないやつ居ない人気者だし。あ、勘違いすんなよ。モテてんじゃなくて、笑われてんだからな。ここ大事だから忘れんなよ。

俺がオオクボさんと初めて会ったのはH1会だったな。魚や一丁の20人ぐらいの集まり、盛り上がってるのは幹事とイケメンのテーブルで、残りはビミョーなヤツの寄せ集め。ビミョーなメシ食いながらビミョーな話して、まぁそこそこ盛り上がったら二丁目に流れて九州男あたりに行くパターン。

「H1会たのしかった!みんなと話してめっちゃ酔った」このツイートが出来るか出来ないかで生き方の勝敗に差が出る。有象無象ながらも幹事側の主要なゲイに認識されていて、毎回H1会に呼ばれる。ピラミッドの頂点ではないが最下層でないことがこれで証明される。

俺は地味ながら次回呼ばれない組にならないよう毎回全力でビミョーな卓を盛り上げることに専念した。幹事卓のメンバに顔と名前は覚えてもらうために。次回のインビテーションをもらうために。

「なんかさ、あんたオオクボさんに似てるよね」緑ハイを流し込み、パッとしなくてブスな初対面のお前をイジった。大成功した。「ほんとだ、オオクボさんだ!」「OLやってるんですか?」幹事席にもお前の存在は拡がり、イジられキャラとして一晩で定着した。

俺はお前の個性に寄生した。ブスなお前は引き立て役、地味ながらフツメンな俺も幾分マシに見える。「オオクボさんの名付け役で、いつも2人セットのブスじゃないほう」このキャッチコピーでH1界隈で知名度を上げていった。

地元は熊本、3人兄弟の末っ子。父はガソリンスタンドと中古車屋と携帯ショップを営む会社の社長。車はセルシオ、ロレックスは金、服はダンロップのゴルフウェア、趣味はパチンコとキャバクラ、悪趣味で偉そうな田舎者の父も、遊び人の父を看過する母も大嫌いだった。

兄2人は要領がよかった。頭も良く、一方田舎のヤンキー文化も適当にあしらい、長男は熊大の医学部から市民病院、次男は早稲田商から父の会社に、地元の勝組路線に乗った。

俺は小さい頃からオカマ、ホモといじめられ、地元で友達はひとりも出来なかった。法政商から飲料メーカーの営業になり、熊本から逃げて東京に身を潜めた。

オオクボさんは同じ九州は福岡の出身、親は法務局勤めで、地元の名門私立高から上智、NTT系SIのコンサルタント。見た目がオオクボさんなのにプロフィールは綺麗なのが鼻についた。

オオクボさんは性格が良い。オオクボさんのあだ名も嫌がらず、周りのイジりを受け入れ、適度にホゲて、時にブスを自虐して自分のテリトリを確実に広げて行った。俺はオオクボさんに乗っかって、小判鮫のくせにオオクボさんが広げたテリトリを我が物顔で歩いた。

それでもオオクボさんは俺に「ケイスケほんと良い友達だよ」と言ってくれた。オオクボさんは俺に利用されていることに全く気づいていなかった。

30を目の前に、営業先のスーパーの店長と課長両サイドからのパワハラに耐えかね、通勤中幡ヶ谷の駅で足が動かなくなりそのまま休職した。誰にも休職したことは話さなかった。オオクボさんにも連絡を取らなかったが、向こうから連絡をくれて呑者家で集まった。

「俺会社の留学プログラムで半年アメリカに行くんだ」オオクボさんが切り出した。オオクボさんのくせに、俺のつけたあだ名で生きてるくせに、俺の踏み台のくせに、俺が休職中でお前が留学なんてそんな話ないだろ。

「すごいじゃん、気をつけて行ってきてね」自分でも片頬が引き攣るのがわかったけど、笑ってオオクボさんのアメリカ行きを応援するフリをした。

俺は2ヶ月後復職した。営業企画に配属され、ひたすらSAPから抜いた販売伝票のCSVを月次会計と突合し、課単位で現場に差分指摘をする仕事を与えられた。パワハラ課長とのやりとりがあり、また俺は体調を崩し会社を辞めた。

俺はオオクボさんの留学に執着していた。踏み台に踏まれた俺は、またオオクボさんを踏み台に戻さないと気が済まなかった。

仕事もなく金もない俺は仕方なく熊本に帰った。嫌いで戻った地元に帰るのは惨めだった。同級生に会わないよう、会っても気付かれないよう目立たない格好で帰った。俺は嫌いな父に「留学してやり直したい」頭を下げて金の相談をした。父は「そうか、わかった。ちゃんと卒業するんだぞ」と言い何も聞かず学費と渡航費を出してくれた。

留学先はイギリスの大学院を選んだ。学校のレベルなんてどうでもいい、手っ取り早く留学した事実、卒業した事実、アカデミックガウンと角帽の写真が手に入れば良かった。ディプロマメーカー的な外国人留学生向けの、誰でも入れて簡単に卒業できる学校を選び2年間通った。

英語は苦労したがどうにかなり、クラスメイトは卒業後の明るい未来についていつも話していた。俺みたいに「パシリのような友達に追い越されたのが悔しくて留学しました」なんて捻くれた暗いやつはいなくて、友達は1人もできなかった。

粛々と授業を受け淡々と課題をこなし、アカデミックガウンと角帽の写真は無事手に入った。集合写真はひとりぼっちを隠すため、横のスコットランド人グループになんとなく近づき斜め上を向いて撮った。友達に写真を見せるときは「シャッターの合図とか無くてアホ面になっちゃった」と毎回補足した。

日本に帰り再び俺は東京に住むことにした。外資転職を試み、この頃から毎月100人ペースで大量採用を始めたコンサルファームに受かった。「誰でも入れて高給取り、その代わり激務でボロボロと辞めていく」現代の蟹工船に俺は乗った。

俺はこの時30歳、職位はシニアアナリスト、新卒の同じクラスは20代、上司の女マネージャは同い年、毎晩深夜まで資料レビューで怒鳴られその修正に追われた。

書いた資料は毎回指摘だらけで、「全然ダメ」「ウチっぽくない」「私の好みじゃない」「冗長すぎて眠くなる」「私の頭が悪いのかな、全然内容入ってこない」「新卒みたいな指摘させないで、あなた幾つだっけ?」語気が強く抽象的なレビューに耐えた。

前職なら音を上げていたが、俺は耐えた。俺は留学帰りのコンサルタントだ。パッとしない俺を一気に輝かせたこのブランドを手放すわけにはいかない。レッドブルで眠気を払い深夜まで働いた。

東京に戻って間も無くオオクボさんと会った。「留学後外資コンサルってすごいじゃん、尊敬するよ」「なんか顔つきも変わったよね」「イギリス楽しかった?」オオクボさんは相変わらず良いやつで、無邪気に俺を褒めた。

俺はオオクボさんを越えるブランドを手にして安心した。オオクボさんが引き立て役の踏み台に戻ってくれた。俺とオオクボさんは前よりもマメに遊ぶようになった。毎週飲みに行き、毎週ドラゴンメンに行き、毎週インスタを上げた。

オオクボさんは知らぬ間にお洒落になっていた。前髪を上げた短めワンカールのツーブロック、サンローランのショルダー、アダムエロペのセットアップが2人で被った日は、「偶然セットアップかぶり」と書いてストーリーズを上げた。ブスのくせに調子乗るな、それが本心だった。

俺と会うオオクボさんはいつも嬉しそうだった。本音のグチ、本音の恋愛話をしてくれた。そしていつも本音で俺を褒めてくれた。

一方俺の話はいつも明るい嘘だ。来週留学先の友達会うんだ、本当は友達なんか出来なかったのに。今度兄貴の結婚式だから伊勢丹でオーダースーツ買ったんだ、本当は死ぬほど行きたくないのに。今のプロジェクトは前職の経験が生きててバリュー出てるんだ、本当は半泣きで上司の詰問に耐えてるのに。

オオクボさんは俺の明るい嘘を信じて、楽しそうに聞いてくれる。俺が踏み台にしてたはずなのに、踏み台のほうが幸せそうだし、踏み台ポジションを楽しんでいるようにも見える。イジられたり、野次られたり、バカにされたり、俺が子供の頃から避けて来たことをオオクボさんは飄々と受け入れて、自分の生きる場所を開拓しているんだ。

俺にはそんなこと出来ない。ゲイとして生きるにはオオクボさんが開拓した土地をこれからも間借りするしかない。じゃないと俺には友達も出来ない。オオクボさんに気づかれないよう、内心バカにして、下に見て、寄生して、使い走りさせて、俺のブランドと自尊心を保つのにうまく利用するしかない。

オオクボさん、ごめん。オオクボさんは良い人で、俺の大事な友達だよ。ずっと俺よりブスで、脇が甘くて、プライドなんて知らないオオクボさんのままでいてね。じゃないと俺が生きていけないんだ。これからもよろしくね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?