見出し画像

中野えびす丸、noteはじめます②

中野えびす丸船長の中野圭です。

前回に続いて、インタビュー内容の書き起こしをお送りします。
前回はこちら

今日は、自分が考える「水産業が解決しなければならない課題と大きな可能性」についてです。

太字部分はインタビュアーのイイジマケンジさんことけんじです。

水産業に対する課題感と可能性

漁業については大学生のころから考えること、引っかかることがあって、
課題感がたくさんあったし、それと同時に、可能性というのもたくさん感じていました。なので、ただ「家業だから」「親がやっているから」という理由だけで継ぐことを選んだというわけではなくて、水産業というものに対する可能性、チャレンジングな業界(なんだろう)と思って、漁業をやろうと決めました。

ーー現在漁業4年目で、漁師といっても産品が色々あると思うので、そのへんのところを教えてください。

メインはホタテの養殖をやってきてます。そのほかに、ホヤの養殖、ワカメの養殖もちょこちょこやってきてます。また、季節によってはウニをとったり、アワビをとったり。ただ、収入の9割はホタテの養殖で成り立っている感じです。今は両親がまだ元気なので、親二人と3人でやっている感じです。

ホタテ養殖が始まったストーリー

ーーちなみに、元々だと思うんですが、なんでホタテの養殖を始めたんですか?

中野家でホタテの養殖を始めたストーリーもあって、今から50年くらい前ですかね、ホタテの養殖というのはうちの地元では元々やられていなかったんです。
僕のじいさん、ひいじいさんの世代は、漁業は多くが出稼ぎの仕事で、船乗りとして日本各地、世界各地へ遠出しながら生計を立てていました。

その当時の地域の課題というのがあって、働き盛りの若手たちが、稼ぎを求めて地域からいなくなってしまう、季節的なもんだけど過疎化みたいなのが当時も課題としてあって。うちの親父は漁業を始めるにあたって「地元に定着しながら安定した収入をつくれる産業を」という想いがあって、ホタテの養殖を別のところでやっていたのを学びに行き、地元に技術を持ち帰って、ホタテの養殖を始めたんです。なので、50年くらい前からうちの地域でホタテの養殖が始まっていったかんじですね。

ただ、震災前の2011年3月の段階では、ホタテの養殖を営んでいたのがうちの実家も含め24軒だったんですが、震災があっていまでは7軒まで減ってしまいました。

画像1

岩手県の大船渡、越喜来(おきらい)崎浜(さきはま)という町なんですけど、元々は自分が子供の頃は岩手県三陸町という自治体だったんですけど、平成の大合併で大船渡市に合併して、三陸町という町がなくなり、いまは大船渡市になりました。

画像2

画像3

なので、個人としても大船渡というものに対して地元感というのはそこまで持っていない(小さくてすんません・・)というのが正直なところでして、越喜来や崎浜というエリアが自分の地元、という想いがあります。

いま越喜来は、保育園も小学校も中学校もなくなったんで、子どもたちもそんなにいない。中学校は大船渡の街中にいってしまって、それは良いところもあり、悪いところもあり、っていう感じで思っています。

海洋資源の変化で養殖ホタテの生存率が激減

ーー2016年から本格的に漁業を始めて、思ってることはありますか。

2016年から漁業を始めて、実は2020年から親父から代替わりをして、自分が船長になっています。

画像4

色々課題を感じていて、大きく分けて2つで。

1つは、そもそも海洋資源の変化、現象の問題。
温暖化の影響かどうかわかりませんが、元々とれていたものがとれなくなってきている、育っていたものが育たなくなってきています。
ホタテの養殖についても問題があって、ホタテを養殖している生存率というのが大きな問題になってきています。いわゆるホタテのタネがあって、1cmにも満たないところから生育するんですけど、そこからの生存率が10%も満たない(震災前は80%程度!)状態で、ホタテが大きくなる前に死んでしまうという状況です。
もうひとつ、貝毒という問題もあって、これはホタテ自体は問題もないんですが、食べる人体に影響があるという「フグ毒」と同じ原理のものです。これは越喜来だけの問題ではなく、日本全国でそれが起きはじめていて、北海道から沖縄まで各地で貝毒というのが発生して、いままで食べれていたものが食べられなくなってきている、という状況です。

ただこの貝毒に関しては「フグ毒」なんで。今はだれも「フグには毒があるらしいから皆フグを食べに行くのはやめよう!」とはならない。むしろ好んで皆行きます。ホタテも同じ。しっかりした知識と適切な処理を施すことで食べれるんです。ここが浸透していないから、「貝毒?!なんかこわいから食べません」となってしまう。認知の問題よね。

画像5

水産業を「守る」制度の存在

もう一つは、岩手の水産業「守る」はずの制度の課題があります。
岩手県では共販(きょうはん)制度というのがあって、ホタテに関しては共販制度の対象の産品で、生産者が消費者に直接売るということができないんですよ。漁業協同組合を経由して、権利を有する卸業者に対してしか共販の産品を供給できないというのがあって。
でもこれ自体は問題ではない。そもそもなぜそんなルールが有るのかと言うと、元々は生産者を徹底的に保護するためのルールで、生産者は生産に関することを集中して良いものをつくることを考える、協同組合や加工業者がどういう風にそれを売っていくかを特化して考える、という分担でやっていたんです。生産者はとりあえずどこに売るのかというのを考えなくても生産に集中できるから、これはこれで素晴らしい制度。

それがずっと続いていて、問題なのは「それしか許さない」という閉鎖性なんです。自分がつくったホタテを、「中野圭がつくったホタテを食べたい」と思う人にぜひ食べてもらいたいというのがあって、これから社会のニーズはそっちに変化していくし、人と人のつながりをホタテを通じて作っていきたい。

いまの新型コロナウイルスの影響の中でより問題が顕在化してきています。
現在、岩手県産の養殖のホタテは多くが首都圏の飲食店向けに売られていて、その首都圏の飲食店のニーズがものすごく落ちているなかで、ホタテの値段もどんどん下がって、昨年比で言うと半分から3分の1の値段になっています。その値段は、生存率が良かったころは成り立っていたけど、今の生存率では漁業者の生計が成り立つような水準の金額ではなくなっていて、ただ、だからといって自分で価格決定して顧客開拓することも制度上できないし、巣ごもり需要で「家でホタテ食べたい人」に届けることもできないし。

なので、元々は生産者を守るためのルールだったのが生産者をしばりつける形になっているというのが、大きな課題と感じています。

僕は自分でお客さんを探したりとか、発信したり、販売したり等していきたいと思っています。結構謎なんですけど、特に縛りが強いのがここらの大船渡エリアなので、そこにどうやって風穴を開けようかというのを考えています。繰り返しますが、共販制度を否定しているのではなく、制度の縛りを緩和して自己努力の枠を希望者には設けることで、モチベーションの維持や漁業者の生活を支えることになるのです。もちろん卸業者を中抜きせず、その革命を一緒にやっていくことが必要、というかそうでなければ共倒れの未来しかないんです。まじで。

ーー大船渡エリアでは自分たちで売ってる漁業者はいないんですか?

実は越喜来よりももう少し南にある小石浜(こいしはま)漁港では、”恋し浜ホタテ”とブランド化して、消費者に直接販売しているんですけど、その仕組は漁業協同組合がしっかり入りながらも生産者から消費者へ直販しているという先進的なスキームです。県漁連の共販制度にしっかり乗るかたちで、生産者がグループをつくって、ホタテを消費者に届けるという形なので、ひとつの事例としてそれを作り上げたのはすごいことだと思います。


<③へ続く>


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?