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「自分の言葉で書く」ということ

こんにちは、中野あすかです!


一昨日はテンションが高ぶりすぎて、朝方まで9,000字超のnoteを書いてました。

「うわ~クマやばいだろうな」と思って、昼に起きて鏡を見たら、全然大したことなくて。


なぜかちょっとさみしくなりました。

クマができるのは嫌なことなのに、クマができていない事実がさみしいという。


人間って不思議な生き物ですね。




さて今日は、自分の言葉で書くということについて話したいと思います。


このnoteは、昔から「自分の言葉で書きなさい」と先生や親に叱られ続けたのに、「自分の言葉」の正体が分からないままここまできた、愛すべき大人たちへ書きます。


(Dear、先月までの自分)



作文が苦手だった



私はいわゆる作文や読書感想文、論文、就活のエントリーシートと言われるものが、本当に苦手でした。


反してレポートや調査書を作るのは結構得意。


一体何が違うんだろう、と思ってググって調べてみたら、その違いは、与えられた”明確な課題”の有無でした。


作文も読書感想文も論文も、

「夏休みの思い出について」
「読んだ本について」
「自分が研究したいテーマ」
「学生時代頑張ったこと」

など、ざっくりとした大枠はあるものの、何を選んでどう書くかは結局本人に委ねられます。



対してレポートや調査書は、多くの場合利用用途が明確だし、「○○の利用に関する調査報告書」とか、客観的な事実やデータなどをまとめて、そこから仮説を導き出すイメージ。


私は、調べれば分かることをまとめあげて、ちょっとだけ自分の考察を挟むのは得意だけど、「無の状態」から「自分という価値観を通した、有の状態」を作るのがとにかく苦手でした。



とにかく、「自分の言葉で書くこと」が苦手。



そもそも、「自分の言葉」という言葉の意味がよく分かってなかったんです。



学生時代はいつも、エラ~い人たちが書いた書籍や論文、ネット記事からバレないように文章をうまく改変して、コピペじゃないけど実質コピペ、みたいな文章をよく作っていました。

(大学の卒論は、評価がギリギリでした。あぶなかった。)



小学生の時ですら、読書感想文は、本に書いてある文章から、言葉をちょっとずつちょっとずつ切り取って書いていて。


もちろん読書感想文で受賞したことは一回もないし、ネットに落ちている言葉でつぎはぎだらけのエントリーシートは、バンバン不合格をくらいました。



「自分の言葉」とは



自分の言葉とは、一体何なんでしょ。


「自分の言葉」が分からなかった作文音痴の私は、noteを書き始めて少しずつ分かってきたことがあります。


それは、

自分の言葉で書く・話すには、
「体験」が必要

だということ。


自分の言葉とは、「体験」の言語化なのかもしれません。



例えば、「海は美しい」という言葉があったとします。



これまで海に行ったことがなく、本や雑誌で見た海を想像するAさんと、

沖縄の澄んだ海で、朝ダイビングをして、昼間にその海の幸を食べ、夕方にサーフィンをして、サンセットを見て、「海は美しい」ということを実際に目・鼻・耳・肌・舌で感じたBさん。


2人に、海の美しさとは何か?を聞いたとき、より「海は美しい」という情景を細かに思い浮かべることができるのは、考える間もなくBさんでしょう。


Aさんは、紙に印刷された海しか見たことがないので、その情報の中でしか話すことができません。



やっぱり私はBさんの文章の方が読みたいな〜と思います。




ただちょっと厄介なのが、より多くの情報を語ることが「自分の言葉」となるとも限らないということ。


例えば、Aさんが読んだ本には、海の写真と、その海の魅力の紹介が1万字分書いてあったとします。


Aさんは、その1万字の情報からペラペラと語り出すことは、もしかするとできるかもしれません。しかしそれは、実質コピペの語りです。


一方、Bさんは口数が少なかったとします。Bさんはボソっとつぶやきます。「海の美しさとは、表情だ」と。




このBさんは、言葉の純度がAさんよりもずっとずっと高いのです。




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Bさんが、「海は美しい。海の美しさとは、表情だ」という言ったのならば、恐ろしいほどに深みがあり、その表現に飲み込まれそうになります。



「純度の高い言葉」たちが、人を感動させ、人を動かす。


そして、「純度の高い言葉」こそが、「自分の言葉」になりうるのです。




体験から、言葉の純度が高まる。


そして、それこそが「自分の言葉」になるのでしょうね。




純度の高い言葉を使おう



世の中には言葉が溢れすぎています。



だから、疲れないためにも、自分を守るためにも、

まずは自分自身が「純度の高い言葉」を使い、そして、他人からは「純度の高い言葉」だけを、丁寧に受け取っていくといいと思います。



純度の高い言葉だけを取り扱っていくと、上っ面の言葉たちに不必要に心をかき乱されたり、心を奪われてしまうことは少なくなります。



noteを読むときも、Twitterのつぶやきを読むときも。

ぜひ、「純度の高い言葉」を使ってる人を、いっぱい見つけてください。



私も、そのうちの一人であり続けたいなと思います。



中野あすか @nakano_asuka12




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海の美しさは「光」なんだと感じた、パラオの海


この「サポート」って機能、なんなのか知らなかったのですが、どうやらチップ的なものらしいです。いただいたら、新しい本とちょっと美味しいお米を買う資金にしようかなと思います!