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親友に送ったLINE20200630

私は見た目はゆるふわ?(他人からどう見られてるかしらんけど母親にはよく「内に秘めた野望と見た目のギャップがある」といわれる笑)だけど根性はあると自負している。誤解されたくないので先に言っておくと、根性論は支持するつもりはない。根性以前に最低限のロジカルかつ合理的な姿勢で物事を扱っているなら根性論は補助的なものとして存在を認めてもいいとは思って生きてる。ベースがないのに根性で乗り越えようとするようなのは批判されても仕方ないと思うけど。

意地でも信念を突き通すってのは、もしかしたら陸上競技を9年間続けても何一つ大きな功績を残せなかった悔しさやその過程が影響してるかも。あと、長女のステレオタイプを押し付けられてきた(家族内ではそうでもないけど)後遺症かも笑
あとは、金銭的な面で意地を通す余裕があったから単なる我儘ってのもありえる笑

小さい頃は6年間一人っ子でしかも親が18だったから親戚には子供いないわけよ。で、当然黙ってても家族や親せきからかまってもらえたし、欲しいものは思いつく前に買ってもらってて、モノをねだったことはない。だから我儘にさえなれなかった笑←ちゃんと言語化できてないな…笑

以上の理由からか、小学生以降は社会的な営みが必要になって外部に対して自発的に欲しいものを求めていくっていうのが苦手だった。高校まで苦しんだよ。いや、なにで苦しんでるか当時はわかっていなかった。何をするにも答えがないものをおそれ、自信を持てるのは勉強したことだけだった。そのくせエネルギーは部活にほぼ全振りしてたから、勉強の絶対量が不足してたんだろうなって今ならわかる。だから将来やりたいこと、なりたいもの、って言ってることもほぼ他人からの勧めだった。きっかけは自分で見つけても、それ以上その思いの根拠を探る作業はできなかった。受験に失敗して初めて家を巣立って仙台で暮らして、そこでの一年弱を通して初めて私は自分の人生を面白くすることってできるんだ!と気付いた。たったの11か月であらゆるものが変った。人を今までと全く違う環境に置くと変わるのは当たり前に思えるけどすごい良い手段だなと自己の体験で確信したよ。

もちろん高校までの自分が人生を悲観していたわけではない。悲観する以前に直視していなかったというのが正しいかも笑。目の前のことで精一杯で、それはそれで典型的な学生だったのかもしれないけど、今の自分からしたらちょっとつまんない。おそらく中高の時点で将来のビジョンを掴めてた人たちはより早く勉強量が思考の必要量の閾値に達していた人なのではないかな。そして悩み始めるのが早ければ選択肢は増える。だから最適の勉強環境として大学を吟味できる余裕も出てくる。
私はそれが遅かったから無知の知を持っていなかった。大学の選択も当然できなかった。

弟を見ていて思うのは、まじでビジョンを持ち始めるのが早いなってこと。もちろん、長女である私の四半生を見て親も経験をもとに子育てをアップデートしているから当然と言えばそうかもしれないけど、、ちょっとうらやましいよ。2番目以降が勉強得意になる確率が高いってのはマジだと思う。周囲の友達も数人どころじゃなくて当てはまる。

ごめんねいつも長文で。君に自分語りしたいわけじゃなくて、いつも気が付くと自己分析し始めちゃうんだよね

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