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「頑張る自分を信じてあげる。自分を諦めない底力 ヨーク水砂子」

 「七転びやる気」
  福島正伸

voicyラジオは対談相手を応援すること、そしてリスナーに勇気と元気を与えることを目的に毎日放送を続けている。

今回の放送は、まさにリスナーに勇気と元気を与える放送になったと思う。「苦しいのは諦めていない証拠」と水砂子。人は苦悩する渦中にいると語れない。自分の中で整理できて糧にした時、笑って話せる過去がある。かなりヘビーな内容になったが、今、水砂子は違うステージにいる。表情は心の状態を映し出す。50代になって水砂子は綺麗になった。今、アメリカ、ワシントン州のオリンピック国立公園そばで優しいアメリカ人の旦那さんと海辺と山に家を買い心穏やかに暮らし、カナダ人、アメリカ人(ペルーからの移民)と3人で起業して海外で活躍している。

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そんな水砂子と日本時間10時、アメリカ時間は前日の17時という時差の中、ZOOMで対談した。リスナーで友人のトム(中根勉)から「勇気の循環」ってコメントをもらった全8回のvoicyラジオ放送、フォローして聴いてほしい。

水砂子と「わらし仙人」の速読術&心理劇セミナーで初めて会ったのは2002年、誰が今の水砂子を想像できただろうか?大河の流れに身を任せながら、選択を続けて自分の使命にたどり着いたのだと思う。そして2013年出版記念で一時帰国した彼女と再会。あれから実に9年の歳月が流れていた。異業種交流会、「21時から倶楽部」を主催するシンマさんのおかげで、離れていても心は繋がっていた。そのシンマさんからの推薦で彼女にvoicyラジオに出演してもらった。出会って20年になるが、そのうち水砂子はアメリカ領サモアに3年、ハワイに1年、アメリカ本土に11年、なんと15年も海外暮らしが続いている。

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アメリカで一大産業となっているパブリックスピーキングの世界を初めて知った。水砂子がやっているのは、「行間を読み、この人が話したいのはこういうこと、その人ならではのコア(核)を見つけること」で舞台裏を支えるスピーチ講師だ。スピーチコーチも組立、発音、話し方、言葉の選び方など細分化されているらしいが、水砂子はボディランゲージを担当している。水砂子は英語で学んだから日本語で教えられないという。脳の働きっておもしろい。言語学の研究によると、「使用する言語を変えると、同時に行動や物事の捉え方も変わる」という結果が出ているらしい。

父と母が旅行中に生まれ、お手伝いさん、運転手付きの裕福な家庭で育った。14歳の時、父の事業の失敗で急転直下、180度違う人生を歩むことになる。父のビジネスパートナーが自殺し、父も兄も酒に溺れてアル中になり家にあるもの全てを売り払った。高校時代はパン屋や飲食店でバイトに明け暮れ残り物でお腹を満たした。高校卒業後、豊田商事で3ヵ月無休で働き、研修中に社長が殺されるのをTVで観た。ワタミフードサービスで働くことになっても宴会の残り物を食べながら生活を続けた。どん底の時に優しくされたことは忘れない。35年前に言われた「どうせ私なんかって言っちゃダメだよ!」は今も座右の銘になってる。できない自分と存在としての自分自身を切り離して考えることができたのだ。俺もどん底の時、ゲイの友人に言われた。「隊長に今一番必要なのは自分自身を思いっきりハグすることよ!」って。だから思う。「自分を大切にできないと他人を大切にできない。一人で抱え込まないで誰かと話すのがいい。時には甘えてもいいんだよ。」って。

26歳で社内結婚。「妻はこうあるべきだ!」的な旦那。仕事も家庭でも頑張り屋の水砂子は体調を崩し39kgになってしまう。脳が働かないから仕事でも家庭でもミスが続き、終には会社に大きな損失を出して仕事を辞めると、居づらくなった旦那も辞める。会計士の資格を取るため学校通いをする旦那から「好きな人ができて・・・」と泣かれて離婚。退社と離婚のダブルパンチに自尊心がボロボロになった。多くの人に伝えたい!「諦めるな!」「ダメな自分を責めるな!」って。どん底だと思っても、光は差している。ただ、一筋の光は自分で見ようとしないと見えない。俺も24歳で離婚した時、物が食えなくなり現実逃避して日本を飛び出し、目的のない海外放浪を始めた。人生には「逃げるが勝ち!」ってあると思う。偶然にも仕事も結婚も失敗した水砂子が選んだのは400日間、海外一人旅。

今、苦しくてたまらない人へ向けた水砂子からのメッセージ

最初の目的地、オーストラリアで英語が通じない洗礼を受け、カルチャーショックを受ける。ここでワタミの先輩の言葉を思い出す。「自分を叩くことに頭を使うな。どうするか?頭を使え!」

ATMを使えない時も、警備員に「使い方を知らなかったんだから仕方ない。知らないのは罪でない。そんなことで自分を責めなくていい。」と優しくされた。それでも、言葉が通じなくて子供扱いされる悔しさをバネに旅を続けた。自力で旅を続けていくうちに少しずつ自信を取り戻していく。そんな旅の途中、「マグロ漁船」のアメリカ人と恋に落ちる。「アメリカ領サモアに仕事あるみたいだよ!」の彼氏の一言でサモアに移住。島で初めて「チャイナへ帰れ!(※俺も海外では中国人に間違えられた)」とアジアン蔑視を体験するも優しくしてくれる隣人家族のおかげで移住生活は3年続いた。

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そこへサモア沖大地震に遭遇しハワイへ移住。そこで今の旦那さんと出会い、中古のウエディングドレスを身にまとい裸足で挙式を挙げる。この再婚でパートナーと対等で自分らしくいられる幸せを味わう。人生はたった一人との出会い、たった一言、たった一つの選択で変わる。

自分を満たした後、英語のレベルを上げ自分の本当の居場所をつくりたいと奮闘。「英語の習得には教えるのが一番!」とネットで調べて知ったパブリックスピーキングの世界に入っていく。世界チャンピオンから直々に教えてもらう幸運をつかむ。心が前向きになると運も味方してくれる。練習量は裏切らない。努力に努力を重ねてその世界で頭角を現しコンテストで入賞していく。その結果にやる気に火がつく。初めて優勝した動画がある。

それがコレだ。初のオンラインコンテストで優勝(英語スピーチ、日本語字幕付き)。

今は世界中の人にオンラインで教え、アメリカでパブリックスピーキングと出会って英語の本を多数出版!!

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ラクな事に流されず、敢えて困難に挑み成長する道を歩む水砂子。さらなる高みを目指して勉強し始めたこととは?

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 「人生とは自分探しではない。自分を創ることだ」
     ジョージ・バーナード・ショー


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