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【眠らない猫と夜の魚】 第22話

「猫と魚」④

 
 夜の三珠神社は怖いくらいに静まり返っていた。その静寂を破って微かに土を掘る音が聞こえてくる。
 神社の敷地に隣接して建っている剣道場に近づくと、床下に入る格子が外されているのが見えた。音はそこから聞こえてくるようだ。近づくとぴたりと音が止んで、床下に入る口から波流がぬっと顔を出した。
「……なんだ、まだ用があるのか」
 サダコみたいに這い出て来ながら、波流の姿をした猫が泥だらけの体をパタパタと叩く。敵意らしいものは感じなかったけど、強いて言えば、ものすごく嫌そうな顔をしていた。
 おかげで毒気を抜かれて、素で声をかけた。
「……何やってんの?」
「破片がでかいんだ。お前、そんなに暇ならちょっと手伝え」
 波流の姿をした猫はそこまで言って、ようやく私の後ろにいる、猫の姿をした波流に気づいた。
「なんだそりゃ? あ、お前、あの子供か? はっ。あははははは!」
 猫はしばらく笑ってから「ウケる」と言った。猫が猫を見て何がウケるのかさっぱりわからなかった。

「……で、何をすればいいって?」
「そこから床下に潜ったところに石がある」
「石って、地蔵の破片?」
「そう。自然に劣化して崩れたんだな。そのせいで村から呪いが溢れて来てる。道場がギスギスしてたのはそのせいだ。それ全部掘り出せ」
「ずいぶん簡単に言うよね」
「これ使っていいぞ」
 猫が手に持っていたスコップを足元に投げてきた。亜樹が家庭菜園で使ってるやつだった。
「勝手に持って来るなよ」
「ケチくさいこと言うな」
 言い争いをしていても仕方がないので、言われた通りに床下に潜った。床は思ったより高かったけど、それでも重労働であることには変わりはない。魚が見える目のおかげか、暗闇がよく見えるのが救いだった。

「ちょっと聞いてもいい? 幾つかすっきりしないとこがあるんだけど」
「手を動かしながらだぞ」
 人にものを頼んでるのにずいぶん偉そうだ。猫っていうのはみんなこんな感じなんだろうか。親切にされるより猫っぽい気もするけど。
「で、なんだよ」
「お前、地蔵の欠片を集めてるだろ?」
「まあな」
「それは何のために?」
「地蔵をちゃんと眠らせるためだ。死んだり殺されたままだと村に通じる穴が開くんだ。穴が空くと、村から呪いが溢れてくる」
「村って……あの赤い空の世界のこと?」
「そうだ。もう二回も行っただろ。常連だな」
 猫が愉快そうに笑った。笑いのツボがいまいちわからない。
「そういうの癖になるからな。また迷い込まないように気をつけろ」
「村って……いったいなんなの」
「何か考えくらいあるだろ。二回も入ったんだから」
 偉そうに言われてムカついたけど、頭の中で立てていた仮説を口にした。
「みたま市の昔の姿……で合ってる?」
「合ってるよ。昔、ここにあった村だ」

 湾や山の形は同じだったけど、建てられている建物の類は何もなかった。あちこちにあるはずの猫地蔵も。だから未来か過去なんだろうと、漠然と思っただけだった。

「村って……何かいるよね?」
 水鳥と迷い込んだ時に見た、青白い手を思い出しながら尋ねる。
「いるよ、呪いを埋める巫女が」
「巫女?」
「そう、巫女だ。お前らの神事にも出てくるじゃないか」
「神事って夏祭りの劇のこと?」
「そう。大筋は劇の通りだよ。ここにあったのはそういう村だ。呪いを剥がして、埋めて、鎮めてきた。でも、それにしくじって村中に呪いが溢れたんだ。だから村を閉じた」
「……それ、いつくらいの話?」
「昔だよ。正確な時期は私にもわからない。私もずっと見張ってるわけじゃないからな」

 口ぶりからして、猫は他にもいるようだ。考えてみれば、赤い目の女の子の目撃譚は昔からあるのだ。波流みたいに猫に操られた人間が、他の時代にも存在していたのかもしれない。

「閉じたとは言っても、この土地には巫女のかけた術が半端に残ってる。だから呪いが剥がれやすいんだ、この街は」
「……猫地蔵は? その巫女の話と関係してんの?」
「猫地蔵は重石になって村との境界を塞いでる。塞の神だからな。だから地蔵が死ぬと境界が曖昧になって、村の呪いが入ってくる」
「そんなもんだったんだ…………よっと」
 掘り出した石を抱えて外に出る。石は全部で20個ほどあって、表面はだいぶ脆くなっていた。
「石だから時間が経てば壊れる。ちょこちょこ鎮めてはいるけど、たまにまとまって壊れる時期があるんだ。今みたいに。今回はあちこち壊れてたな。こいつの学校の教室の床下にもあった」
 猫の波流が、むう、と鳴いた。
「じゃあ、この石を全部持って着いてこい」
「え? 私が?」
 大きいものはスーパーファミコンくらいの大きさがある。少なく見積もっても、全部で10キロ以上はありそうだった。
「……わかったけど、どうすんの、これ」
「別の石とまとめて鎮めるよ。地蔵が眠れるような静かな場所に。もう当たりはつけてあるんだ」
 猫は偉そうに言って、さっさと歩き出した。

 *

「……人が悪いぞ。人じゃなくて猫だけど」

 連れてこられたのはサイレントヒルだった。家の横の空き地には小夜のRX-8が停まっていて、シートに沈み込んだ小夜が静かな寝息を立てていた。助手席に猫地蔵の破片が入ったエコバッグと、工事現場から持ち出したと思われる割れた地蔵が置いてある。小夜の手は泥だらけだった。
「……これ、小夜がやったの?」
「ちょっと動いてもらっただけだよ。本人は覚えてないと思うけど」
「……そんな簡単に人を操ったりできるもんなんだ」
「こいつはやりやすかった。怪異に縁がある体質みたいだな。修行すればいい巫女になるかもしれないぞ」
「……やっぱり」
「それも持って来い」
 猫に言われて、助手席の地蔵とエコバッグの破片を家の裏に運んだ。もう逆らう元気もない。
 猫はしばらく裏庭を歩き回っていたが、家庭菜園の脇にある空いたスペースに立ち止まった。
「ここ、もらうぞ」
「もう好きにして」
「じゃあ穴を掘れ」
「だと思った」

 50センチ四方の穴を掘って、集めた石を納めた。
 波流のリュックに入っていた石。小夜が集めてきた石と地蔵。道場の下から掘り出してきた石。そして私の部屋に積み上げられていた石。

「で、次は?」
「水を汲んでこい。庭の水道のやつでいいから」
 園芸用の如雨露に水を満たして渡すと、猫は地蔵の欠片の上にまんべんなく水をかけた。そして穴に向かって姿勢を正した。
 猫がパンと柏手を打つ。
 何かが始まった感じがして、後ろに並んだ。猫の波流も私の横に並んで、心なしか背筋を伸ばしていた。
 猫は手を合わせたまま、祝詞のようなものを唱え始めた。
 やがて、石が薄く赤い光を帯びる。
 石は残った力を使い尽くすようにしばらく光っていたが、やがて時間をかけて元の色に落ち着いた。すべての石が輝きを失うと、猫は深々と頭を下げた。私も慌てて頭を下げた。
「はい、終わり」
「なんか……神事みたいだな」
「神事だよ」
 さらりと言う。
「まあ、これでこの石は大丈夫だ。さあ、埋めろ」
 何となく、スコップじゃなくて手を使って穴を土で満たした。
「ねえ、地蔵が死んだときって、こうやってお前らみたいな……猫?が祈らないとダメなの?」
「いや人間が祈ってもいいよ。力は弱くても大勢で祈れば地蔵も眠る。昔はそうやって勝手に穴が塞がったりしたけど、最近は誰も祈らないだろ」
「……そうだな」
 そう言われて初めて、人間がやるべきことを猫に押し付けているみたいな、申し訳ない気持ちになった。

 石を埋め終わると同時に、遠くからバイクの排気音が近づいてきた。
「あっ、やばっ。そう言えば全然連絡してなかった……」
 ポケットを探ったけどスマホがなかった。どこかに落としたらしい。たぶん神社で階段を転げ落ちたときだ。
「えっ、どうしよ。この状況、なんて説明すればいい?」
「自分で考えろ。じゃあ私は戻るぞ」
「ちょっと!?」
 水鳥のバイクがすごい勢いで敷地に入ってきて横にスライドしながら止まった。ヘルメットを脱いだ水鳥が大股で歩いてくる。
「ちょっと朱音! 何でぜんぜん連絡よこさないんだよ!!」
「ご、ごめん、いろいろあって……」
「ていうか波流見つかってんじゃんか!! おいっ!!」
 後ろを振り返ると、地面に横になった波流が穏やかな寝息をたてていた。
 猫の姿をした波流は、どこにも見当たらなかった。

 *

 まずはわめく水鳥をなだめて、説明は後回しにしてもらい、波流を着替えさせて布団に寝かせた。次にぐっすり眠った小夜を車から引っ張り出して、その隣に寝せた。手や顔についた泥をウェットティッシュで拭いてやったけど、小夜はぜんぜん目を覚まさなかった。
 それから水鳥のスマホで亜樹に無事を伝えてもらい、バイクに乗せてもらって夜見神社でスマホを回収した。スマホには亜樹と水鳥からのメールや着信が3桁近く届いていた。
 スマホを回収してサイレントヒルに戻ってくると亜樹も帰ってきていた。台所には具がたっぷりはいった味噌汁と塩おにぎり、卵焼きと焼きソーセージ、それにたっぷりと珈琲が入ったサーバーが準備されていた。涙が出るほどありがたいラインナップだ。
 ご飯を食べながら、長い時間をかけて昨晩からの出来事を説明したけど、私自身がうまく飲み込めていない部分もあるせいで、説明が終わったのは空の端っこが白くなった頃だった。

 説明を聞いた二人は、長い時間黙っていた。
 やがて、水鳥がポツリと言った。
「とりあえず……小夜には黙っとく? 黙っといたほうがいいよね?」
 私と亜樹は、無言で頷いた。

 *

「なんか、疲れてたせいか変な夢を見たのよね。車で地蔵を運んだり、水鳥の家に忍び込んだり」

 小夜はしっかりと覚えていた。
 猫め、何が「覚えていないと思うけど」だ。
 でも脳みそが理解を拒否したみたいで、夢だと解釈したようだった。今はアボカドのカウンターで、いつも通り波流に勉強を教えている。

 今日は金曜日。

 あれから一週間が経った。
 サイレントヒルの地蔵を埋めたところには、亜樹が毎日水や榊を供えている。私と水鳥は相変わらず怖い話を集めまわっていて、波流は週に数回、保健室登校を続けている。夜歩きは、あれから起きていない。

「あ、私、家に電話しなきゃいけないんだった。朱音、ちょっと交代して」
 小夜がスマホを手に外に出ていった。代わりに波流の隣りに座る。
「いまどこやってる?」
「この、方程式のところ」
「これね、これは、えーと」
「ひとまず、自分で解いてみる」
「おっけ」
 参考書に向かう波流の横顔を見ながら、先日のことを思い出す。あれからそんなに経っていないのに、憎まれ口を叩いていた波流が懐かしかった。
「……あの猫、元気にしてるかな」
 窓の外に広がる青空に、目を細めながらつぶやく。
「おい、いなくなったみたいに言うな。まだいるよ」
 波流を見ると、薄っすらと目が赤く光っていた。
「……急に出てくるなよ」
「い、いまのは私じゃないからね」
 波流に戻った波流が申し訳なさそうに言う。
「わかってるわかってる、ややこしいな。ていうか用は済んだんだろ。さっさと波流から出ていけよ」
「適当な憑坐が見つからないんだよ」
「誰でもいいとか言ってたくせに」
「どうせ棲むなら居心地がいい体のほうがいいだろ」
「じゃあせめて、波流が起きてる間は寝てろ」
「猫は寝ないんだよ」
「……私にも喋らせてよ」
 コントみたいで吹き出すと、波流に戻った波流が不満そうに唇を尖らせた。
「もう少し喋らせろ、こいつに用があるんだよ」
 再び主導権が猫に移る。ややこしい。
「用って、私に?」
「まだどこかで地蔵が壊れてるみたいなんだよな。魚が減らない。お前ら怪談集めてるだろ、あれ、地蔵を探すヒントになるからもっと集めてこい」
「言われなくても集めてるよ。ていうか夜中に歩き回るのはやめろよ。それ波流の体なんだから。手が必要なら私がやってやるから」
「猫が人間の力なんて借りれるか」
「こないだ、ほとんど私がやったじゃん。あと小夜の体も借りてたじゃん」
「うっさいな」
 子供みたいな拗ねた口調に苦笑いすると、波流は恥ずかしそうに「今のは私じゃないからね……」と言った。

(エピローグへ続く)


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