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【眠らない猫と夜の魚】 第2話

「埋める」②


 それから小夜ちゃんの車で適当に山道を走ったけど、当然、死体どころか昨日見た広場も見つからなかった。朱音さんもドライブが目的だったようで、見つからなかったことにあまり落胆していない様子だった。

 帰り道、小夜ちゃんが車をみたまタウンの駐車場に入れた。「みたまタウン」は幾つかの店舗が集まった大型のショッピングセンターで、フードコートにはソフトクリームやたい焼きなどのB級フードが充実しているのだ。
「あー疲れた。ちょっと糖分買ってくる」
 小夜ちゃんは首をコキコキ鳴らしながらフードコーナーのほうに歩いていった。
「じゃあ、私は飲み物買ってくる。波流、テーブルで待ってて」
 朱音さんに言われて空きテーブルを探す。平日の夕方で、フードコートは学生で混み合っていた。ようやく空きテーブルを見つけて椅子に手をかけると、隣のテーブルから「げっ」という声が聞こえた。

 声を聞いた瞬間、体が硬直して動けなくなった。
 ゆっくり視線だけを声の方に向けると、椅子に座った三人組の女の子が私を見て顔をしかめていた。そのうちの一人は、去年同じクラスにいた美咲さんだった。
「いこ」
 美咲さんは不機嫌そう言って、残りの二人を従えてテーブルを離れていった。三人は私のほうをちらちらと見ながら、顔を寄せ合って話をしている。三人の背中が見えなくなってもしばらくの間、椅子に手をかけた姿勢のまま動くことができなかった。

「波流?」

 気がつくと飲み物のコップを両手に持った朱音さんが、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「もしかして、誰かいた?」
「……うん。去年のクラスの子が」
 朱音さんは「そう」と短く言って、私を椅子に座らせてココアの入った紙コップを握らせた。しばらくして、小夜ちゃんが両手にたいやきを持って戻ってきた。
「あれ? 波流、顔が白いよ。酔っちゃった?」
「……ううん、ちょっと疲れただけ」
「そういうときは糖分とりな、糖分。はいこれ」
 小夜ちゃんはそう言って、私の手にたい焼きを押し込んだ。
 時間をかけてたい焼きを食べると気分もだいぶ落ち着いてきた。でも、まだ胸の奥が少し重くて、誰かいないかが気になって、定期的に周りを見回してしまう。朱音さんは落ち着かない様子の私に向かってスマホの画面を見せた。画面には朱音さんと私のお母さんのLINEの会話が表示されていた。
「波流、今日うちにおいで。素子さんにはもう連絡したから」
 素子というのは私のお母さんの名前だ。お母さんは看護師で夜勤が多い。今日も夜勤の日だから、夜はひとりで過ごす予定だった。
「……行っていいの?」
「来て欲しいって言ってんの」
 気の利いたことを言えなくて、無言で頷いた。
「よし。小夜も来るよね?」
「え。水曜だし元からそのつもりだけど」
「だよね。ちょうど夜歩きもあったから、みんなでどう調べるか作戦会議しよう。亜樹が今朝磯釣りに行ってたから、なんか美味いご飯ができてるはず」
「オッケー、じゃあお酒買っていこ」

 途中、朱音さん行きつけの個人酒店で何本かお酒を買ってから、朱音さんの家に向かった。
 駅前の通りから外れて、田園地帯をまっすぐに突っ切る道路を進む。ポツポツあった民家の姿は5分もするとすっかり消えて、辺りには田んぼしか見えなくなった。そのままさらに5分ほど進んでいると、進行方向にある山の麓あたりに平屋の屋根が見えてきた。
 あれが朱音さんの家である「サイレントヒル」。もちろん正式な名前じゃない。朱音さんたちが勝手にそう呼んでいるだけで、名称は朱音さんが好きなゲームソフトのタイトルから来ている。しょっちゅう霧が出ることが命名の理由だとか。
 朱音さんの家はみたま市の北西のはずれにある古い平屋の一軒家で、前は見渡す限りの田んぼ、後ろにはすぐ山肌が迫っている。隣の家までは数百メートル、最寄りの外灯までも百メートルあるので、家の近くは夕方でも暗いし、夜になると完全に闇に飲まれてしまう。

 サイレントヒルに到着するころには、日はすっかり落ちてしまっていた。車から降りると、山の匂いに混ざって炊きたてのご飯の甘い匂いがした。朱音さんに続いて家にあがり、手を洗って居間に入ると、開け放した襖の向こうに、料理をする亜樹さんの後ろ姿が見えた。
「おかえり。二人ともいらっしゃい」
 亜樹さんが手を止めてこちらを振り返る。普段は眼鏡をしているけど、今は料理中だからかつけていなかった。
「おじゃまします」
「おじゃましまーす。亜樹くん、日本酒買ってきたからみんなで飲も」
「やった。じゃあ、何かつまみ作るよ。先に飲んでて」

 亜樹さんも朱音さんたちと同じまほろば大学に通う大学生で、朱音さんと二人で暮らしている。いわゆる同棲。もちろん、二人は恋人同士だ。
 亜樹さんは背が高くて、物静かで、いつも本を読んでいて、綺麗な字を書いて、とんでもなく美味しい料理を作る。男の人が相手だとどうしても緊張してしまうので、そんなにたくさんは話したことがないけど、亜樹さんは同じ空間にいてもあまり気にならない。いてもつい存在を忘れてしまうような、存在感のなさがあるせいかもしれない。そんなことを言うと失礼かもしれないけど、私にはその薄い存在感が、とてもありがたい。

 朱音さんと小夜ちゃんが庭にランタンをセットして、キャンプ用のテーブルと椅子を並べた。ご飯ができるまでの間、庭でお酒を飲むらしい。私には亜樹さんが炭酸で割った梅ジュースをくれた。たぶんこれは亜樹さんが漬けた梅ジュースだろう。日本酒を開けて乾杯をしようとしたところで、遠くから甲高いバイクのエンジン音が近づいてきた。目を向けると田んぼに挟まれたまっすぐな道を、眩しいライトがまっすぐにこちらに向かってくる。
「さっすが水鳥、鼻が利く」
 朱音さんと小夜ちゃんは笑ってグラスをテーブルに置いた。すぐに大型のバイクが敷地に入ってきて、小夜ちゃんの車の隣に止まる。バイクを降りた水鳥さんがフルフェイスのヘルメットを外しながら走ってきた。
「やっぱり! 走ってくる途中から吟醸香がしてたんだよね」
「んなわけないでしょ」
「で、何買ってきたん?」
「仙禽のドメーヌと裏春鹿」
「いいですね〜」

 そのまま乾杯をして、三人は立ったまま日本酒を飲み始めた。甘い日本酒の香りが、ふわっと鼻先をかすめる。前にぺろっと舐めさせてもらったことがあるけど、お米から作られているとは思えないほど甘い味がして驚いた。舌がピリピリとしびれる感覚はまだ苦手で、そのときは舐めただけで顔が赤くなって眠くなってしまったけど、この匂いは好きだ。
 三人は正三角形を描くように等間隔に立って、大学の講義のことを話している。意識してるわけじゃないだろうけど、喋る言葉の量も、それぞれに向ける視線のバランスも等しく見えて、それが三人がお互いに対して持つ対等さと信頼を表しているようで、なんだか羨ましくなる。私は朱音さんの斜め後ろに、おまけの点みたいな感じで立っていた。

 話をしている三人からそっと離れて、少し離れたところにキャンプチェアを置いて座った。目の前に広がる田んぼに目をやると、その向こうに市街地の灯りが瞬いているのが見えた。夜の街の灯りを遠くから見つめていると、いつも少し寂しくなる。でもそれより、街から離れていることにほっとする気持ちのほうが、ずっと大きかった。

 朱音さんがキャンプチェアを持ってきて、私の隣に並んで座った。朱音さんは目を細めて市街地の灯りを見ながら、しばらくの間、黙ってお酒を飲んでいた。少し離れたところから、水鳥さんと小夜ちゃんの笑い声が聞こえてきた。
「波流は、不幸を呼ばないよ」
 朱音さんが静かに言った。
 私は頭を振って朱音さんの言葉を否定する。
「不幸が起きるとしても、それは波流が呼ぶものじゃない。原因はきっと別のところにある」
 反論したかったけど、何か喋ると声が震えそうで、口をつぐんだ。

 でも、違う。
 呼んでしまうんだ。

 それは単なる噂でも同級生から向けられる中傷の言葉でもなくて、実際に言葉の通りで、私の存在は事故を、悪意を、不幸を呼ぶ。私がそこにいるだけで、起きる必要のない厄災が呼ばれたようにやってくる。だから私は、学校に居場所がない。
「でも、私はずっと波流といっしょにいるけど、不幸なんて起きないよ。だから何かが起きるとしても原因があると思う。私はその鍵が、波流の『夜歩き』にあるんじゃないかって思ってる。だって不幸も夜歩きも、波流が神隠しから戻ってきてから始まったから」
 朱音さんは物事を分析するように、淡々と言った。
「つながりがあるなら、私が絶対に見つける。だから、くだらないこと言う奴らなんかより、私のことを信じてよ」
 朱音さんはそう言って、私の頭をくしゃっと撫でた。私が鼻をすすると同時に、家の中から、亜樹さんがみんなを呼ぶ声が聞こえてきた。

     *

 夕食はカサゴの煮つけと唐揚げ、アジの刺身、春菊とちりめんじゃこのサラダ、それに、きりたんぽと鶏団子の入ったせりと薺の鍋だった。
「春菊の季節もそろそろ終わっちゃうね」
「んっ、じゃこがいいアクセント」
「せりの根っこ美味しい」
「鍋はそのまま食べていいし、ちょっとポン酢落としてもいいかも」
「朱音、お酒おかわり」
「もうないが?」
 みんなと囲む食卓はいつもにぎやかで、栄養だけじゃなく、いろんなものを吸収している気分になる。

 食事が終わるとみんなでお皿を洗って、水鳥さんがコンロを借りてハンドドリップで珈琲を淹れてくれた。珈琲がみんなに行き渡ってから、朱音さんがノートを見ながら昨日私が見たことを手短にみんなに話した。
「今わかってる情報から、なんとか場所を探せないかな」
 朱音さんが珈琲片手に見回すと、小夜ちゃんが手を上げた。
「やっぱ、バス停から洗うのがいいんじゃない? もう使われてない路線のどこかなのかも。そういう情報なら、ネットで見つかるかも」
「でもこのあたりって山だらけだし、廃路線めっちゃありそうじゃない?」
「う。でもまあ、いちおう調べてみるわ。水鳥、手伝って」
「おっけー」
 小夜ちゃんがノートパソコンを取り出して、水鳥さんはスマホでそれぞれ廃路線の情報を調べ始めた。
「亜樹、なんか思いつくことない?」
 朱音さんが亜樹さんに話を振る。
「そうだなぁ……地蔵から探せないかな」
「地蔵から?」
「森の中に猫地蔵あったって言ってたよね。猫地蔵って地蔵っていうか道祖神で、普通は路傍とか境界にあるものだから、森の中にあるっていうのが珍しいと思った」
「言われてみれば、そうかも」
「教授にみたま市の道祖神関連の資料を借りてみるよ。猫地蔵に関する論文や調査資料もあったと思うから、もしかしたら地図とかもあるかも」
「なるほど、もしかしたら図書館にも地域資料として似たような資料があるかも。ちょっと蔵書検索してみる」
 亜樹さんも朱音さんや水鳥さんと同じく民俗学を学んでいる。私は民俗学がどういう学問かよくわかってないけど、朱音さんたちが楽しそうに話しをしているのを見ると、勉強したくなってくる。

「埋めてたのって、やっぱ死体なんかな? 夜の森の中にわざわざ埋めるんだから、文脈的には死体だろうけど」
 検索に飽きた水鳥さんがいかり豆をかじりながらつぶやく。
「死体ってのは極端だけど、夜中の森に埋めるってことは見られたくないものってことよね」
 小夜ちゃんがパソコンのキーを叩きながら答える。
「じゃあやっぱ死体じゃん」
「死体だとして、森に埋める理由は?」
「そりゃ、見つからないようにでしょ」
「森ってけっこう見つかるらしいけどね」
「でも地元の人は、この辺の山ってあんまり近づきたがらないじゃん。特に三珠山は。だから見つかりづらいかもしんないよ」
「まあ、そうかもね。私だったら絶対入らない。特に夜は」

 三珠山は、みたま市の北西に位置する山で、昔は霊山と呼ばれ禁足地だったらしい。そのせいか、三珠山には怖い話がたくさんある。山を歩いているといつの間にか空が真っ赤に染まって、何かに追いかけられるという話が多いそうだ。そして、その話がただの言い伝えでないことを、私は知っている。

 朱音さんたちが蒐集した話を読ませてもらったことがあるけど、山を舞台に何かに出会う話がいくつかあった。中でも「イミコサマ」は、私の体験にとても似ている話だった。

「ていうか、埋められてるのが三珠山だったりしたら、死体、起きあがっちゃうんじゃないの。ほらあそこ、『山に埋葬した死体が帰って来る』みたいな、起きあがりの伝承もあるし」

 水鳥さんの言葉に想像する。
 夜の森の中、湿った土を掻き分けて、死体が起きあがってくる。
 死体はふらふらと歩き始めて……何をするんだろう?

「……死体って、起きあがったら何をするの?」
「そりゃあ、恨みを晴らすために犯人を探すんじゃないかな。ホラー映画的には」
 私の疑問に朱音さんが答える。
「あと怪談的には、目撃者のところに来るってのもあるかな」
「……えっ」
 泣きそうな顔になっていたのか、朱音さんは私の頭をポンとたたいて、笑った。
「ごめんごめん。大丈夫、来たりしないよ」

 けど、それはやって来た。
 思っていたものとは、別のものだったけど。

(第3話に続く)


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