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【眠らない猫と夜の魚】 第3話

 「埋める」③


 ――コツン。

 小さな物音に目を覚ました。
 見慣れた木目の天井が月明かりにぼんやりと浮かびあがって見える。頭を動かすと、すぐ近くに朱音さんの寝顔があった。

 そうだ、朱音さんの部屋が散らかってて片付けるのに時間がかかりそうだったから、今日は居間に布団を敷いて眠ることになったんだ。私は朱音さんといっしょの布団で、隣の布団に小夜ちゃんと水鳥さん。
 小夜ちゃんは寝ぼけて、さらに奥の水鳥さんの胸に抱きついていた。水鳥さんは寝ぼけて小夜ちゃんの髪をかじっている。亜樹さんは部屋に戻って寝ているようで、亜樹さんの部屋に続く襖は閉められていた。

 ――コツン。

 また音がした。何かがガラスに当たるような音だ。
 体を起こして庭に面したガラス戸に目を向ける。ガラス越しに、月明かりに照らされた庭がぼんやりと浮かびあがって見えた。でも、ガラス戸の一部だけが何かが立てかけられているように暗い。
 なんだろう、と目を凝らして、意識が一気に覚醒した。

 小さな人影が、ガラス戸の向こうに立っていた。

 体を起こしたままで、息を呑む。朱音さんを起こそうと思ったが、目を離すと家の中に入ってきそうな気がして、動くことができなかった。
 しばらくそのまま影を見つめていると、雲が流れて、明るさを増した月の光が、ガラス戸の外の影を照らし出した。こちらに向けられた小さな顔を見て、喉からかすれた悲鳴が漏れた。

 立っていたのは、赤い前掛けをした、小さな地蔵だった。

     *

「昨日も来た?」
「……うん」
 翌週の水曜日。アボカドのカウンターに座って、私はだいぶまいっていた。
 先週の水曜日に朱音さんの家に泊まって、窓の外から覗く地蔵を見た。
 あの日、私の悲鳴に起きた朱音さんたちが窓の外を調べてくれたけど、地蔵の痕跡は何もなかった。夜歩きという感じでもなかったから、前日に見たもののせいで、夢を見たのだろうということになったんだけど……
 あれから毎日、地蔵は私を訪ねてくるようになった。猫地蔵はどれも同じような形をしているからはっきりとは断言できないけど、たぶん、あの夜に木陰から覗いていた地蔵だと思う。

 部屋の窓から覗いていたり、電柱の陰に立っていたり。昨日は二階にある私の部屋の天窓から眠る私をじっと見ていて、叫び声をあげてしまった。
 悪意のようなものは感じないけど、心臓に悪い。
「どうしろってんだろうね。犯人じゃなくて波流のとこにくるなんて」
 朱音さんが腕組みをして考え込む。カウンターの中の水鳥さんもドリッパーを手に唸っている。
「犯人のとこに行ったけど、霊感がないとかで全然見えなかったから波流のところに来たとか」
「埋められた人の無念を波流に晴らして欲しいってこと?」
「期待されても困る……」
 ついぼやきが出た。地蔵は、引きこもりの小学生に何ができると思っているのだろう。
 何度目かのため息をついたとき、朱音さんのスマホに着信があった。
「小夜? どうした? うん、いるけど。えっ?」
 朱音さんが私のほうをちらりと見る。
「うん、わかった。とりあえず向かう」
 朱音さんは電話を切ると、脱いでいたパーカーを羽織った。
「波流、今からいっしょに大学に来れる?」
「えっ、大学?」
「波流に関係ある話だったん?」
 朱音さんは水鳥さんに向かって微妙に頷いた。
「関係あるかはわからないけど、ちょっと気になる話だった。小夜が学食でお昼を食べてたときに、近くいたグループが怖い話をしてたらしいんだけど」
 怖い話……
 そう言えば小夜ちゃんは、誰かが怖い話をしてるときに偶然側に居合わせるという、奇妙な特性があるのだった。
「そいつらの友達に、地蔵に追いかけられてるやつがいるんだって」

     *

 私と朱音さんはバスで、水鳥さんはバイクで、朱音さんたちの通う「まほろば大学」に向かった。大学に足を踏み入れたのは初めてだ。
 夕方なのに思ったよりたくさんの人がいて、人混みが苦手な私は人に酔いそうになる。当たり前だけど、朱音さんと同年代の人たちばっかりで、小学生は私以外に見当たらなかった。
 朱音さんは「へーき、へーき」と言っていたけど、ジロジロ見られ続けて居心地が悪かった。フードコートっぽい雰囲気のところに入ると、隅っこのテーブルで小夜ちゃんが手を振っているのが見えた。

「小夜、サンキュ。で、その地蔵に追われてる人は?」
「ここに呼び出してくれるって。呼び出した人は、講義があるから行っちゃった」
「なんて言って呼んでもらったの」
「ほら、朱音たちが怖い話を集めてるのって、わりかし有名じゃない。だからその人の話、ちょっと聞きたいんだけどーってお願いしたの」
「さすが小夜、機転が利く。んじゃ、怖い話を聞く体で進めるか」
 朱音さんが小夜ちゃんの隣に座る。私もその隣に腰掛けた。
「ていうか水鳥も来たの? 店は?」
「緊急事態につき、閉めてきた。どーせ夕方以降、あんま客来ないし」
「相変わらず自由な店ね……まあ、あそこ、水鳥の店みたいなもんだし」
 水鳥さんが朱音さんに向かって片手をあげる。
「んじゃ、朱音。私はあっちにいるから」
「プランA、よろしく」
「ラジャ」
 水鳥さんはテーブルを離れて、入り口近くの別のテーブルに陣取った。
「あれ? 水鳥はあっち?」
「とりあえず話を聞いたあとでちょっとカマかけるから。怪しい動きを見せたら、水鳥が尾行することになってる。尾行するなら面の割れてないほうがいいかなって、水鳥はバイクで尾行もしやすいし」
「尾行って、何のために?」
「波流と同じ地蔵に追われてるとしたら、埋めた本人である可能性もあるよね」
「まあ、すっごく極端に言えば」
「カマかけたら慌てて戻るかもしれないじゃん、埋めた場所に。だからうまく行けば場所を特定できるかもって」
「それがプランA? プランBは?」
「いや、Aしかない」
「それはただのプラン」

 朱音さんと小夜ちゃんの会話を聞きながら、まわりをぐるりと見回す。食事をしている人だけじゃなく、本を読む人やパソコンを広げている人もいる。カフェみたいだ。
 あちこち見回していると、人波の向こうに、ちらりと青い影が見えた。
「……あっ」

 魚だ。

 出入り口に行き交う人の上に、ひらりと魚が泳いでいる。やがて人波をかき分けて、暗い雰囲気の男の人がこちらに歩いてきた。魚は、その肩にまとわりつくように泳いでいる。
「波流、どうした?」
「……たぶん、あの人だと思う」
「何か見えた?」
「魚が、くっついてる」
「……オーケー」
 朱音さんがポンと私の頭を撫でる。魚は男の人のまわりをひらひら泳いでいたが、テーブルに到着する頃には消えてしまった。

「……あの、小野寺さん、ですか?」
「あー、小野寺は私なんだけど、話を聞きたいのはこっちの」
 小夜ちゃんが朱音さんを指す。
「ども、黒崎です。わざわざごめんね、えーと」
「あ、横田です」
「横田くん。私、怖い話を集めててさ、君の体験した、地蔵に追われてるって話を聞かせてもらいたいんだけど。あっ、こっちの子は気にしないで。妹なんだけど、大学見てみたいってついてきちゃってさ」
 急に妹にされてしまった私は、慌てて頭を下げた。
 横田さんは向かいの席に腰掛けて、地蔵の話を話し始めた。内容は、私の体験とほぼ同じだった。誰かの気配を感じて振り向くと、物陰から地蔵が見ている。家の窓からも覗いている。車のバックミラー越しに、後部座席にいる地蔵が目に入る……

「それが毎日続くから参っちゃって……友達は誰も信じてくれないし……これ、どう対処すればいいんでしょうか。やっぱりお祓いとか行ったほうがいいんでしょうか」
 横田さんは縋るような目を朱音さんに向ける。こういうことの対処に詳しい人だと思われているようだ。
「うーん、私は怖い話を集めてるだけで専門家じゃないからなぁ……地蔵に追われる心当たりって、何かないの?」
「そんなの……ないですよ」
 横田さんは少し言葉に詰まってから答えると、ごまかすように珈琲の入ったカップを持ち上げた。朱音さんと小夜ちゃんが一瞬、視線を合わせる。
「そう? 何かあるんじゃない? 例えば…………車で、誰かを轢いたとか」
 え? それを聞くの?
 と思った途端、横田さんの手からするりとカップが抜け落ちて、膝のうえに派手にこぼれた。
「あっつ!!」
「ちょ、大丈夫!?」
「あ、私、布巾とってくる」
 小夜ちゃんが走ってカウンターから布巾を取ってきた。
「す、すみません。あの、僕、ちょっと用事あって……失礼します」
 横田さんはこぼれた珈琲を片付けると、朱音さんの質問には答えないまま、そそくさと歩き去っていった。朱音さんが水鳥さんにハンドサインを送る。水鳥さんは小さく頷き、少し間を空けてから横田さんを追っていった。

「怪しい動きをしたらとは言ったけど……なんだあのベタな反応」
「私は朱音さんの聞き方が直球すぎてびっくりした……」
「うそ、自然に聞いたつもりだったけど。ねえ小夜、自然だったよね?」
 話を振られた小夜ちゃんは、顔を傾けて唸っている。
「……私、いまの横田くん? どっか見たことある気がする」
「何かの講義がいっしょとかなんじゃない?」
「うーん、そうなのかなぁ……」
 小夜ちゃんはしばらく頭の中を検索するようにこめかみに手を当てていたが、やがて思い出したようで、パッチリと目を開いた。
「……思い出した。こないだうちに来たわ。お店のほうに。ちょうど波流から夜歩きの話を聞いた日だったと思う」
「小野寺モータースの客?」
「そう。ぶつけてライト壊したから、直してくれって。テールランプ」
「……へえ」
「普通に駐車場でぶつけたとか言ってたような……。私、事務所でデータ入力手伝っててちら聞きしただけだから、あんまりよく憶えてないけど」
「人を轢いたような傷じゃなかった?」
「わかんないな、車は見てないし。でも、流石にそれっぽかったらうちのお父さんも通報すると思う」
「だよね。まあ、あとは水鳥の報告を待ちますか」

 そのまま食堂で待機していると、1時間ほど経過したころに、水鳥さんから朱音さんのスマホに電話があった。
「どうだった? あ、ちょっと待って。みんなにも聞こえるようにする」
 朱音さんがスマホをスピーカーに切り替えてテーブルに置く。すぐに水鳥さんの声が聞こえてきた。
「ビンゴですよ、ビンゴ。車で移動したからバイクでついてったんだけど、山道に入って、途中で車停めて森の中に入ってった。南の、みたま市からまほろば市に続く山道の途中。あ、旧道のほうね。Google Mapにピン刺しといた」
「ナイス!」
 報告を聞いた朱音さんが指を鳴らす。
「でも、ちょっとまずいかもしんない」
 水鳥さんの声が硬くなった。
「え、何かあったの?」
「あいつさ、たぶんサイコパスだよ」
「なんでよ」
「ちょっと想像してみて。あなたは死体を埋めました。んで、バレたかもしれなくて、死体を埋めた現場に戻ってます」
 朱音さんが目を閉じる。想像しているらしい。
「うん、想像した」
「どんな気持ち?」
「どんなって、確かめるまで気が気じゃないっていうか」
「でしょ? そんなとき、なにか食べようと思う?」
「それどころじゃないでしょ」
「あいつ、ファミマ寄ってファミチキ買ったぜ」
「ファミチキ?」
 朱音さんが変な声を出す。
「まあ、ひとまず向かうよ。水鳥いまどこ?」
「まだ尾行中。横田くん、山を降りてすぐにあるコメダに入って、カウンターでスマホいじってる。私はシロノワール食べてる」
「オーケー、そのままよろしく。また連絡する」
 通話を終えて朱音さんが立ち上がる。
「じゃあ、行ってみよっか。小夜、車お願いしていい?」
「いいけど……行ってからどうする気?」
「それは行ってから決めようかなって……あ、人数は多いほうがいいかもしれないな。亜樹も呼ぼう」
 朱音さんは珍しく緊張した顔をしてから、スマホを耳に当てた。

(第4話に続く)


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