未来は僕らに何を見せてくれるのか。
私たちは今、急激に変わる歴史の真っ只中にいます。
極端にいえば、1年単位で「それが常識」「それが当たり前」と言われるものが違ってくる。そしてそれは正義だけじゃない。批判も賞賛も、モラルだって変化していく時代。それが今。それが私たちが生きている「今」という時代。
そう、それは事実として「変わっていく」だけじゃなくて、僕らがその変化に対応できるのかどうかを試されている。
たぶん10年後とか20年後に2022年を振り返ったときに「あそこが変革の時代だったよね」と振り返られる時代。
「今」とは そんな時代なのかもしれない。
時代は「当たり前」を変えていく。
昔、当たり前だったことが今の時代に受け入れられない。そんなことがいろんなシーンで起きています。いつからなのか、どのタイミングでそうなったのかと言えば それはそれぞれに理由はあるとは思うけど、それでも振り返ってみると大きな時代の流れなのかもしれないと思うことがある。
私が子供の頃は、運動中に水を飲むと横っ腹が痛くなるから「飲んじゃいけない」って教えられた。
芸人は芸の肥やしで、家族がいても女性遊びするのが当たり前だとも言われてたし、芸というのはそういうものだと思っていた部分もある。
そういうことを言い出せばキリがない。タクシーの中は当たり前のように灰皿があってタバコを吸う客がいたし、映画館だってそうだった。学生の頃、E.Tを観に映画館に行ったけど、大人たちのタバコの煙で目が痛くなった覚えがある。今では考えられないことだ。
教育やスポーツの世界では罰という名の暴力が「スパルタ教育」と言われて、ある意味「当たり前」とされていたし、部活動(特に運動部)においては下級生へのイビリが日常化されていた。
今挙げた過去の「当たり前」は、当然ながら現代においてはNGとされる。
中には不倫や体罰など、今の時代ならNGどころでは済まないこともある。
時代というのは、こういう「当たり前」を変えていく力がある。そしてそれと同時に、「当たり前」は時代によって塗り替えられるとも言える。
そう、今は急激に歴史が変わる渦の真っ只中にある。
今の「当たり前」だって、すぐ先にはもっとシビアで現実的な「当たり前」に変わっていく。まさに「今」はそんな変化の時代なんだ。
やらなければならないことと、夢中になれること。
皆さんには「夢中になれること」がありますか?
この質問は「OriHime」というロボットを開発された吉藤オリィさんが書籍に書いていた質問です。私はこの質問を目にしたときに「自分にはある」と思ったけど、でもそれは仕事じゃなかった。自分にとっての「夢中」は、仕事ではない。だからそのことについて考える必要があるような気がしたのです。
あなたには「夢中になれることがあるか」。
その質問に「ある」と思った方はその「夢中なこと」によって、生きる意味を感じていることだろう。なぜならば、人は夢中になることで生きている実感を感じる生き物だからだ。
一方、人には「やらなければならないこと」もある。
ある意味「仕事」もそのひとつかもしれない。仕事に夢中になっている人もいるはずだから必ずしも仕事が「やらなければならないこと」だとは思わないが、
いろんなストレスや圧迫の中で、そしていろいろと制限された中でルーティン化されている「労働」という行為も、もしかしたら「やりたいこと」ではなくて「やらなければならないこと」なのだろうと思う時もある。すべての人の仕事がそうだとは思わないが、少なくともそう思っている人も多いような気がする。
やらなければならないことを続けていくために「我慢すること」が必要になる。だって本来はやりたくないわけだから、それを続けるためには我慢が必要だ。
例えば、ウチの小学一年生の息子はスイミングスクールが苦手だ。そこそこ泳げるようにならなければいけないからという風潮が彼に「水泳を習いにいく」という我慢をさせている。
人は「夢中になれること」と「我慢しながらやっていること」を併せ持つ。
そして我慢することにストレスを感じる一方で、多少の我慢も必要だという世の中の風潮の間で悩むんだ。
私はそのことに随分長いこと答えを出せずにいた。
自分が育ってきた時代は「人と同じであるべき」「満遍なく平均点」「世間体」という「時代がつくった当たり前」を受け入れるしかなかった。
だから、嫌でもそれを自力で乗り越えることしか道がないと思っていたし、もしかしたら我慢することに自分の成長や実力を感じていたのかもしれない。
だから自分の子供たちに、自分が育ってきたように同じように要求してしまうことがある。我慢だってそのひとつだ。視力が落ちることだって、僕らの時代は「漫画を読むと目が悪くなる」と言われてて、今はそれがスマホやパソコンになっただけ。やってることや言ってることは同じだ。
でも時代は確実に変わっている。スマホやパソコンだって昔は無かったじゃないか。満遍なく平均点? 今は個性の時代だ。平均的ではなくて、得意なものがいくつあるか。それが大事な時代に、苦手なことを我慢させてやらせることにどんな意味があるのか。
これはとても難しいテーマなのかもしれないが、それでもひとつ確実に言えることがある。
これからの時代は、「人と同じこと」「我慢してやること」だけをうまく続けられても、生きていくことが難しい時代になるということだ。
テクノロジーが「我慢」を解決していく今後。
テクノロジーの進化によって、世の中は本当に便利になった。
昔は我慢するしかなかった「やらなければいけないこと」も、いろんな形で解決されていく世の中になった。
そろばんを覚えなくてもスマホに電卓Appがあれば計算はできる。
視力が悪い人はいっぱいいるが、メガネという技術が無かった時代に視力が悪い人は学ぶことすらできなくなったわけで、生活や成長にそれは大きく影響を及ぼしたはずだけど、メガネがある今は視力の悪い人を「障害がある」という人はいない。
アイロンがない時代は服を伸ばすのに何時間も何日間も平らで重いものの下に服を置かなければならなかったけど、今ならアイロンを使えば数分でシワが消える。
技術やテクノロジーの進化というのは、そのように人の生活や人の営みを便利にしている。スマホだってそうだ。今や自分の好きな店を一瞬で探せたり、そこまでの行き方をスマホが即座に教えてくれる。
そんなテクノロジーの進化によって「やらなければならないこと」「我慢して続けること」もこれからもどんどん解決していくことだろう。
人が嫌がることはテクノロジーがそれを解決していく。それはつまり、「やらなければならないこと」にこだわる昔気質の終焉なのではないかと、私は思うんだ。
僕らは、急激に変わっていく時代の真っ只中にいる。
今から10年も20年も経ったくらいの頃に「今」を振り返ってみたとする。
これは私の信憑性のない予感的な話なのだけど、
その時に私は「あそこが大きな変革期の始まりだったよね」と今を振り返って思うような気がするのです。それくらい「今」って、世の中が急激に変わっていく入り口のように思えるのです。
売れてたものが売れなくなったり、
やってたことをやらなくなったり、
当たり前が当たり前じゃなくなったり、
必要だと思ってたものが不要になったり、
今まで無くても不自由しなかったものが急に不可欠になったり。
NFTやブロックチェーンや貨幣価値やビジネスモデルだけの話じゃない。
人の生活そのものが、ライフスタイルや生き方そのものが、大きく変革していく時代。まさに今私たちは、そんな渦の真っ只中にいるような気がするのです。
そんな時代に必要なものは何か。何を中心において生きていくべきなのか。
それを考え続けた結果、私にはそれが「自分が夢中になれるもの」なのではないかと思うのです。夢中になれるものがいくつもある。それこそが大切な気がするのです。
時間は有限だ。有限だからこそあえて訊く。
「君に夢中になれるものはあるか?」
「やらなければならないこと」はこれからもっとテクノロジーが進化して、AIやいろんなものによってどんどん解決していくでしょう。
「我慢すること」は時に大事なことだし それを否定することはないけど、もしそれが世間体や「みんながやってることだから」という意味しかないのであれば、そんなものに貴重な時間を使うことはない。
時間は有限だからこそ、自分が夢中になれるものを見つけることに時間を使うべきだ。遊びはダメで勉強はいい? そんな昔の常識はこの10年で「古い時代の産物」と化すことでしょう。
なぜならば、時代はここから先 常に変化し続けるからだ。カメレオンのように変化に順応する能力もいいとは思うけど、変化していく中で私が最も大事だと思うのは「夢中になる時の、夢中なものに対する時のエネルギー」だと思うんだ。
「夢中」は生きる力を与えてくれる。「夢中」は生きる意味を与えてくれる。だからこれからの時代は「我慢しながら続けること」から「夢中になれるものを探す旅」へと思考をシフトさせなくてはならない。
だって、時間は有限だから。そして人生は有限なのだから。
夢中になるから手に入れられるものがある。
あなたが「夢中になって取り組むこと」は、まだこの世界で見つかっていない無数の価値や課題を見つけだすでしょう。
1年前の当たり前と1年後の当たり前が大きく違う時代。急激な変化という、歴史の真っ只中に私たちはいる。
もはや正義やモラルさえも急激に変化している。それが今という時代なんだ。
夢中になるから人は心の中に感情を覚えるのです。
野球が上手くなりたいっていうことに夢中になるから、負けた時に悔しいという感情が生まれ、次は勝ちたいという動機づけが生まれるのです。
それが nintendoのゲームだろうが、ポケモンカードゲームだろうが、
水泳だろうが、サッカーだろうが、テニスだろうが、
そして勉強だろうが、プログラミングだろうが、絵描きだろうが、
夢中になれることならなんでもいいって思う。
それくらい「夢中」には力がある。エネルギーがある。パワーがある。
生き方に「正解」などないんだから。自分の生き方は自分で決め、選択していく時代だ。まわりのみんなと少し違って不安になったとしても、それがあなたの個性だ。個性は素晴らしいし、個性はあなたが生きた証になる。
「みんなと同じ」が「当たり前」だった時代が長かったから、その時代を生きた大人ばかりだからそれを要求されるだろう。それは仕方がない。
でも考えてほしい。今は時代の変革期だということを。
10年前を思い出してほしい。スマホを持っている人も少なかった時代だ。
4GにもなっていなくてYoutubeもパソコンでしかみなかった時代。それがたったの10年前だ。
しかもここからの10年はそんなもんの変化じゃない。
私はこれからの時代を自分の頭で、自分の夢中になれるものと共に過ごし、
そしてそこから生まれる力とワクワク感で、自分自身の次の時代をつくっていきたいと思うんだ。
これからどう考えて生きていくか。
世の中は何も出来上がっていない。むしろこれからもずっと完成せずに変化を続けていくことだろう。
だから人生に正解も不正解もない。だからこそ自分たちにできることは必ずある。
未来のことは誰も知らない。
だけど今と変わらない未来が無いことだけはわかる。
人は歳を食うし、子供は成長する。テクノロジーだって日々進化するし、トレンドも変わっていくだろう。
どうなるかわからない未来を悲観しても仕方がない。
だったらワクワクしようよ。
自分の夢中なものと共に生きる未来に心をときめかそうよ。
「やらなくてはいけないこと」をやらなくてもいいんだよっていう「当たり前」をつくろうよ。
「我慢しなくてはならないとき」と「我慢しながらやり続けること」を区別する「当たり前」をつくろうよ。
「好きなこと」を、それが遊びだってゲームだって何だって、
堂々と「それに夢中です!」って言えることを「当たり前」にしようよ。
だって夢中になることの中にこそ、自分らしさや個性が磨かれる原石があるんだから。自分の個性が素晴らしいんだって思えるための土壌があるんだから。
私はこの歴史の変わる時代に、夢中になれることを大切にしながら
未来にワクワクしながら生きていくつもりです。
それでは今日はこのへんで。
またnoteでお会いしましょう。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?