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【創作論】の【呪縛】、【ワクワク】の救済(第3回)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、このところ【創作論】とされるものが溢れる一方で、息苦しそうな【作者】さんの姿もまた多く見られることについて【考察】を巡らせております。

 ここでは【創作論】とされるもののうち、不特定多数へ向けて【一般論】的に叫ばれがちな内容を“【攻略法】的【創作論】”と呼んでおりますが。
 これはよく【一般論】のように扱われるだけあって、その【本質】を私なりに言語化するならFAQ、『よくある困りごとと、その対処法』と、私としてはそういう【認識】です。

 前回はこの“【攻略法】的【創作論】”を【作品】の【中核】に“据えない”、つまりは『【自分】独自の【作品】や【方法論】を【開発】する』という【作者】の皆さんが、むしろ【ワクワク】して【創作】を楽しんでいる、その【背景】に【考察】を巡らせました。

 今回はその逆へと、【考察】を巡らせて参りましょう。

 ◇

 さて、『【自分】独自の【作品】や【方法論】を【開発】する』という行為の見返りを知った上で、です。
 “【攻略法】的【創作論】”をよく観てみたら、果たして何が【観測】できるでしょうか。

 “【攻略法】的【創作論】”というものはFAQ、『よくある困りごととその対処法』、言い換えれば『既存の【方法論】のパッケージ』に過ぎません。極論すれば、“【攻略法】的【創作論】”それ自体は、例えるなら『レゴのブロック単体』や、良くても『レゴのパッケージ商品』にしか過ぎないのです。あるいはあるいは『レゴのブロック単体』を『レンガ単体』、『レゴのパッケージ商品』を『レンガで定型のものを作るDIYパッケージ』に置き換えてみてもいいでしょう。

 これ、どこをどう間違っても『レゴやレンガを素材に使ったアート【作品】』には“なり得ない”わけです。
 なぜなら『“【攻略法】的【創作論】”という【マニュアル】』通りに組んだら、『【他人】と同じものが出来上がる“だけ”』だからです。そこに『【独自性】は存在し得ない』わけです。
 つまり、『レンガ単体』や『レンガで定型のものを作るDIYパッケージ』というのは、『【汎用的】な【商品】』でこそあれ、【作品】たり得ることはないのです。誰にでも可能なことなのですから。

 この【事実】を【前提】として頭に置きつつ、“【攻略法】的【創作論】”や『汎用性の高い【創作論】』を『上から眼線のドヤ顔で語る』という【姿勢】を【観測】してみたなら、さてどう映るでしょう。

 この【姿勢】、実は『【独自性】に溢れた【応用】を“【自分】のものとして体得していない【証拠】”』であるのかも知れません。
 なぜなら『【自慢】できることが、「【汎用品】を持っている」ことしかないから』です。さらには『数少ない【自慢の種】だからこそムキになってこだわる』という【背景】も窺えてきます。
 この場合は『【自分】の【底浅さ】が露呈することを激しく嫌う』という【可能性】が極めて高そうですね。

 要はこういった人物は『身のない【自慢】でしか【自分】を【肯定】(【承認】ではなく)できない【小者】』という【可能性】が高いわけです。そんな【小者】が『上から眼線のドヤ顔で語る』というからには、『【現状】の【自分】と【謙虚】に向き合う』つもりなどない、というのがより自然な【推測】ということになります。
 ということは『“【攻略法】的【創作論】”を上から眼線のドヤ顔で語る』という【姿勢】、【背景】にあるのはむしろ『【不都合な自分】から【逃避】したい【願望】』――というのが【推察】として【説得力】を帯びてくるわけです。

 このような【背景】を抱えているとなれば、『【不都合な自分】に向き合わされる【現実】』には、極めて強烈な【拒否反応】を示したとして何の不思議もありません。

 ◇

 さて、今回は一旦ここまで。

 “【攻略法】的【創作論】”は、対象となる状況が広いがために【汎用品】としての性格を色濃く持つわけですが。
 であれば、【汎用品】を『絶対普遍の法則』と振りかざす【背景】には、ただの勘違いばかりでなく『【事実】から【逃避】したい【心理】』までもが作用している可能性が見えてきそうです。

 次回はこの辺りの事情について、もう少し【考察】を巡らせてみましょう。

 よろしければまたお付き合い下さいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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