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【創作論】の【呪縛】、【ワクワク】の救済(第6回・完結)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、このところ【創作論】とされるものが溢れる一方で、息苦しそうな【作者】さんの姿もまた多く見られることについて【考察】を巡らせております。

 ここでは【創作論】とされるもののうち、不特定多数へ向けて【一般論】的に叫ばれがちな内容を“【攻略法】的【創作論】”と呼んでおりますが。
 これはよく【一般論】のように扱われるだけあって、その【本質】を私なりに言語化するならFAQ、『よくある困りごとと、その対処法』と、私としてはそういう【認識】です。

 前回は“【攻略法】的【創作論】”をレゴやレンガになぞらえ、これで表面を覆って体裁と防御を整える【姿勢】に言及しました。『【無粋な輩】が“【攻略法】的【創作論】”を振りかざして攻めてくる』のに対して、“【攻略法】的【創作論】”で迎え討つ、というわけですね。

 このやり方自体は、『レゴやレンガで体裁と防御の【盾】を作る』ことにはなります。ですが同時に『“【攻略法】的【創作論】”というレンガで、【ワクワク】を閉じ込める【檻】を作っている』ということでもあるわけです。なぜなら“【攻略法】的【創作論】”は『自分独自の【ワクワク】には【ドンピシャでは使えない】のが当たり前』なのですから。

 これはつまり『【道具】に振り回されている姿』であり、言い換えるなら『【道具】の【可能性】を引き出せない【小者】の姿』であるわけですが、なるほどこれでは【創作】に【ワクワク】できなくなるのも無理はなさそうです。

 今回はこれに続いて、『【ワクワク】を救う【発想】』について【考察】を巡らせてみましょう。

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 では、救いがないかと申せば。
 ここで、【発想】を変えてみましょう。先述した内容を掘り下げますが、『“【攻略法】的【創作論】”がレゴやレンガのように扱える』と考えるなら、【思考】をこう【発展】させてみるわけです――『では、【踏み台】にすることもできるはず』と。

 もちろんこの場合、目指すのは『上へ上へと、そのままでは手の届かない領域へ向かうこと』です。これには【応用】と【発展】を試みるわけで、『“【攻略法】的【創作論】”からはみ出す』ことになります。イメージとしては、『足元に【踏み台】としてレンガを積み上げ、その上に乗って、【ワクワク】に合うように、【一般論】の地べたから上へ離れていく』ようなものです。
 この場合、もちろん『“【攻略法】的【創作論】”というレンガを、自分を守る【盾】としては使えない』ことになります。ですからこの【姿勢】は、『最初のうちは【無粋な輩】に【攻撃】されやすい』ことにはなりますが。
 ただし、それも最初のうちだけです。

 『“【攻略法】的【創作論】”』を『レンガの【檻】』としてその中に閉じこもるのではなく、『【応用】や【発展】のための【踏み台】』とするからには、これは即ち『“【攻略法】的【創作論】”というレンガを構成する【思想】や【概念】を引き継ぎ、自分の【ワクワク】に合わせてアレンジする』ということです。
 となれば、その【姿勢】が向かう先は『思い通りに【思想】を扱うことになって、【守破離の守】が完成する』という姿です。同時に【応用】によって少しだけ型から外れるため、『【守破離の破】にも少し踏み出す』ことになります。

 大事なのはここからです。
 “【攻略法】的【創作論】”というレンガを【踏み台】として積み上げていき、【塔】にまでしていったなら、さてどうでしょう。
 【塔】の頂上に立つ【作者】には、剣は届きませんし、矢もいずれは届かなくなります。【汎用的な創作論】、つまりは“【攻略法】的【創作論】”という剣や矢で攻撃してくる【無粋な輩】は、『【塔】の高さ』を前に沈黙するしかなくなるわけです。
 さらにこの段階まで至れば、『【作品】も【作者】も、地べたを這いずる【無粋な輩】には実現不可能な【凄み】を帯び始める』ことにもなり得ます。即ち『下手に攻めようものなら、それは自ら墓穴を掘るに等しい』ことだけが伝わる――という構図が出来上がるわけです。
 もちろんたまに、『【凄み】すら【認識】できず自ら墓穴を掘る【無粋な輩】』が現れるわけですが。ただしこの【無粋な輩】、もちろん相手になるまでもありません。そのまま墓穴に埋まって果てるか、見逃されていることにも気付かず墓穴を掘り続けるか、というところがせいぜいです。自ら手を汚すまでもありません。汚れ役は同じ地べたを這いずっている【無粋な輩】が、勝手に引き受けてくれるでしょう。

 こう捉えてみれば、“【攻略法】的【創作論】”を始め、『既存の【方法論】』は例えるなら『【汎用品】の【道具】』というわけです。『使うもの』であって『使われるもの』ではない、つまりは『使え。使われるな』ということですね。

 『やりたいこと、「好き!」なこと、つまり【ワクワク】』を芯に持ってこそ、【作品】も『【作品】としての【作者】』も成り立つものです。ゆえに私として申し上げるべきは『積み上げつつも【挑戦】せよ。さればこそ道は開かれん』。
 私が【推察】するに、恐らく『覚悟完了ガン決まりの【化け物作品】や【化け物作者】』という形容が似合う存在は、そうして【ワクワク】と「好き!」に基づいた【挑戦】の上にこそ立っています。

 もちろん、この考え方は【多様】な場に【応用】可能です。
 あくまで『自分独自のやりたいこと』、つまりは【ワクワク】を芯に据えて、その実現のために【模索】を続けていけば、どうなるか――ということです。

 仮に【他者】と似通ったところがあったとしても、それは『独自の道筋で辿り着いた【仮説】や【方法論】という、いわば【通過点】に過ぎない』のであって、つまりは『その先の【発展】を考える時、猿真似とは比べものにならない【可能性】を秘めている』ことになるわけです。

 なぜなら『その【方法論】に自力で辿り付いたからには、背景にある【原理原則】を理解していることにもなるし、であるからには【状況】に対して【応用】もできることになるから』。だからこそ、そこを足場に【応用】も【発展】も利かせられるわけですし、個々の要素を束ね合わせて相乗効果を生み出すこともできる、というわけです。

 なので私としては【ワクワク】をあくまで主と据えて、【創作論】は同じく従と捉えて、【作品】を形にしていく――という【姿勢】をこそお勧めするものです。【檻】を作ってその中に閉じこもるよりは、【塔】を打ち立てて【ワクワク】をそのまま形にするべく【挑戦】と【模索】を続けていく、そんな姿にこそ楽しさを覚えるところですね。

 よろしければまたお付き合い下さいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

(マガジン)


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