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能を知ろう Vol.1

 皆様は「能楽」と聞いてどの様なイメージを持たれていますか?多くの方は「退屈」「難解」「古くさい」と仰います。しかし殆どの方が「食わず嫌い」のまま、家族や先生の感想を鵜呑みにして答えているのだと私は思っています。その誤解を解き、皆々様に能楽について知っていただきたく思い、お話をさせて頂きたく存じます。

 能楽は様々な奇跡が重なり合い、「変化しなければ生き残れない」という演劇の宿命から逃れることのできた、珍しい演劇といわれています。しかし、江戸時代に武士の「式楽」になったことで「観る」演劇から「演る」演劇へと変化しました。
つまり、観客=役者の図式が出来上がり、動きや台詞を知っていれば大変シンプルで面白く楽しめますが、知らない人には極めて不親切で難解な演劇となってしまいました。

さてここで、まず能楽の歴史についてお話していきたいと思います。
能楽の原型となった演劇「猿楽」は、室町時代に都であった京都・奈良を中心に活動していた、「座」と呼ばれていた集団によって演じられていました。

 この「座」を構成していたのは何者であったかといいますと、神主や僧侶であったとされます。なぜ神職であったかといいますと、室町の世において、人々が多く集まり、雨風のしのげる屋根のある建物であった神社仏閣の境内にて催しを行っていたという背景があります。余談ですが、演劇を「芝居」と呼ぶようになったのは、庭の芝生の上で座って観ていたところに由来があるそうです。

0616_「国栖」①

 当時の神社仏閣の募集要項のようなものには、第一条件として「見目麗しい者」とあったそうです。見た目がよく、口が達者、そして声のいい人が一番向いていたとされていました。いまのお坊さんや神主さんにはいわゆるイイ男が多いですし、歌の上手い人も多いように見受けられますね。
この要項は現代の芸能プロダクションの募集のようなものでして、美少年をスカウトしては祝詞や教典を簡単にした狂言綺語といったものを教え、先達として外へやる。

 そして街角や橋のたもとなどで演じさせ、人々の目を引き、寄付を募る。若者を見た人々が「あなたはどちらの子?」と聞くと、「私達は〇〇神社(寺)」に居ますと答える。やがてそこへ見に行くともう少し年上の美男子達がしっかりとした芝居をしている。それに見惚れた人々が通いつめ、寄付をすればその神社仏閣は潤う、という図式になっていました。

 つまり、神社仏閣の集客のために芝居はあり、その道具として役者という人々が存在していたということになります。ちなみに、当時奈良の興福寺で活動していた「座」が能楽の起源といわれています。

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