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【綿町ダイアリー】#453 挫折と希望の歴史「僕とブライダル」全3回の3

連載日記『綿町ダイアリー』✏︎姫路市綿町でブライダルプロデュース「スウィートブライド」と「綿町カフェ」と婚活サロン「姫路の縁むすび」を運営しています。ウェディングプランナー&カフェマスター&婚活プランナーの三刀流の日々を綴ったエッセイです。

前回からの続き。

大きな挫折のあと、
しばらく僕はお世話になった人の下で
ブライダルプロデュースのコンサルをした。

そのプロデュース会社も順調に成長した頃、
コンサル契約が終わり、僕はフリーになる。

あの挫折から3年の月日が過ぎていた。

僕はWEBデザイン事業で再起をかけるため
オフィス物件を探していた。

と、同時にWEBデザイナーの募集も始めた。

そんな時だった。
ブライダル業界から声がかかりはじめたのだ。

「中道さん、フリーになったのなら
うちの結婚式をプロデュースしてくれないか?」

こんなぼろぼろの僕にまだ需要があるのか・・・
ありがたくて頭の下がる思いだった。

43歳。

色んな人に背中を押され
僕はもう一度ブライダルで勝負することに決めた。

そこで、人生の集大成として
完全オリジナルのブライダルプロデュース会社
スウィートブライドを立ち上げた。

ありがたい事に初年度から絶好調。
すぐに以前の会社の利益を超えるまでに成長する。

併せてプロデュースの質もかなり上がり
僕は“ブライダル道”の奥深くへと突き進んでいく。

ウェディングプランナーという仕事が
自分に憑依したかのように感じた。

そして49歳の時。

僕はプロデュースの理想郷にたどり着く。

それはまさに僕にとってのゴールであり、
プランナーの仕事を極めた瞬間でもあった。

挫折や失敗で傷まみれだったけど、
この仕事を続けていてよかった。

心からそう思った。

その日を境に僕は自分のことを
スウィートブライド代表という言い方から
ウェディングプランナーと言うようになる。

50代になりコロナがやってきた。
再び僕は暗黒の時代に突入する。

やれやれ.....
人生は山あり谷ありである。

もう辞めようかとも考えた。

でも、僕はこの仕事が好きだし、
僕を育ててくれたブライダル業界に
僕ができることを恩返ししていかなきゃいけない。

だからもう少しだけ
ウェディングプランナーでいようと思った。

そしてもう少しだけ
新郎新婦様を応援しようと思った。

どんな世になっても、
希望があればやっていけると信じて。

全3回。完。

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