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あなたたちが褒めてくれたから僕は今日まで生きてこれたんだよ

仕事終わり、白飯とタッパーの野菜炒めを電子レンジに突っ込む。チンの音が鳴るのを待っている間にメールを返そうと思っていたら、また液晶に釘付けになっていた。気がつけば21時も過ぎ、あぁ今日もまたこんな時間か、萎えたところだった。

ヴン、とスマホが震え、反射的に目を移すと昔のバイト先の人たちからのオンライン飲みのお誘いだった。すでに4人ぐらいが参加していて、僕も乗り遅れるまいと慌てて参加した。単純に寂しかったから嬉しかったし、何ヶ月もずっと会ってなかった人たちが皆変わらずニコニコとしていることにほっとした。

オンライン飲みを何回かして最近気づいたことがある。おそらく僕は人生でこんなに相手の顔をまじまじと見ることは無かったかもしれない。目がずっと合っている、という緊張感が少ないのと、別に本気で飲み食いしているわけでもないので他によそ見をするところもない。だから、ずっと相手の顔を見ることになる。そしてふと視線をずらすと、もちろん自分の顔も視界に入ってくる。

僕は5つ並んだ男女の顔つきを見て、全然似ていないな、と思った。

僕らは全然似ていなかった。そこまで遠くはないとはいえ皆年齢はばらばらだし、出身も地方だったり首都圏だったりだ。バイトに応募したときの状況だって、今携わっている仕事だってもちろんばらばらだ。そのバイトはなんてことない普通の飲食店だったので、飲食業をやっている人は一人もいない。僕はしがないサラリーマンだけれど、保育士やバンドマンもいる。みんな僕が触れたことのないところで生きている。環境がその人の全てを作るとは思わないけれど、少なからず影響はあって価値観や風貌もきっと例外ではないだろう。だから、全然似ていなかった。

そんな人たちが集まって、楽しく話している。この人たちとの話はほとんどが新しいことばかりだ。
甘酒とココアが合うなんて知らなかった。
1歳の子供の正しい喜ばせ方なんて知らなかった。
僕は最近のリモートデスクワークの実情なんてお返しにもならないような話をしたけれど、普段と変化なく仕事が進んでるなんて逆に新鮮だね、なんて面白そうに聞いてもらった。
この空間の中では、誰もが個性で、誰もがイレギュラーで、誰もが特別だ。この人たちはきっと僕がこの先何をしても、驚いて、笑って、すごいねと言ってくれるのだと思う。

彼らに同じ感情を持ったことが5年ほど前にもあった。あの時僕はいろいろと精神的にきつくなり大学に行けない日があった。日、というかそれは半年ぐらいずっとそうだった。
今は誰かと繋がりたいという気持ちばかりだけれど、あの時は完全に真反対といってもよくて、この世の何からも、何ならこの世からも隔絶されたいと思っていた時期だった。
学校の人たちと会おうとすると心が沈んで体が動かない。別に学校の人とだって仲が悪いわけでは無いけれど、なぜか僕は怖かったのだ。同じような生活をし、同じように生きている人たちがすいすいと海流に乗って泳いでいくのを見ると体が鉛になって海底に沈んでいくような気分だった。

それなのに、今思うと本当に変な話だけれど、僕はそんなときもなぜかバイトにはちらほらと出ていたのだ。自分でも不思議だった。自由な生き方を尊重している彼らと会って会話をすることは、全然苦しいことではなかった。むしろ、もしあの時にあの場所すらなかったら、僕は今も独りで暗い闇の中を漂っていたのかもしれない。僕は喉の奥からせぐりあげてくる何かを飲み込むために、残りの酒を飲み切った。

自由の人たちは今日も僕に言う。5年前ずたぼろになっていた僕にかけた言葉と同じトーンで、慰めや励ましなんかじゃなく、ストレートな褒め言葉を。
そうやって僕は無責任なお世辞を、今日も真に受けるのだ。最大の感謝をもって。

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