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村田沙耶香作『殺人出産』を読んで

ここ1ヶ月ほどで、村田沙耶香作品の私の感じ方に変化が生じてきたという感覚があります。

これまでは、村田沙耶香作品は、ジェンダー問題、現代の人間関係の問題点などについて考えさせられる小説だと捉えていました。

しかしこの『殺人出産』を読む頃には、村田沙耶香作品に出てくる女性達が、「武器」を振り回しているような感覚を感じました。

『殺人出産』は、10人出産をすることで、交換条件として、誰か好きな人を殺すことが許可されている世界の話です。

『殺人出産』には、本人にとって、出産が命懸けのマイナスなもの、そのリスクがある出産というマイナスな行為を行うのだから、殺人をしても社会的に許されるという構図があります。

以前までなら、そこで私は、
出産って大変だから、殺人が許されるくらい交換条件がないとやってられないよな
という感情になっていたかもしれません。

でも、今は、その感情だけで、『殺人出産』を読むことができなくなってきました。

『殺人出産』の後半には、命懸けの出産という行為に、生命の誕生という喜びを見出し、殺人という報酬を必要としない人が少しずつ登場していきます。
主人公も最終的に、出産することの喜びを受け入れていく決断をします。

その展開を読んだ時に、
出産が必ずしもリスクだけの行為でないということに気が付く人達が登場してきた時に、
私はなにか『武器』のようなトゲトゲしたものを感じました。

(こういう感情になった自分がすごく嫌になりました。)

他の村田沙耶香作品を読んだ感想でも書いているのですが、村田沙耶香作品に出てくる女性と男性の描かれ方に少し違和感があります。

それは村田沙耶香作品では、女性は悩みを持ちながら、何か世界に歯向かう人間として描かれますが、男性が欲望のままに生きる単純な人間として描かれていることが多い点です。

(それでも村田沙耶香作品を読み続けているのは、その違和感を楽しんでいるからだと思います。)

私は村田沙耶香作品が好きです。何かを考えさせられます。

『殺人出産』を読んだ時に、私の考え方が少しずつ変化していることに気がつけました。それは読書を通して、自分の変化に気がつけるという面白い感覚だと思います。

さて、『殺人出産』の他にも、『清潔な結婚』という作品もこの文庫には収録されています。

『清潔な結婚』も、恋愛と結婚は別といった言説や、性的嗜好が単純ではなくなってきた現代について考えさせられる作品で、『地球人間』にも通づる設定を感じます。

私の感覚では『清潔な結婚』で描かれる夫婦像は、もうスタンダードな夫婦の形の一つだと感じました。

最近、私の中にまた孤独が足りていません。
ありがたいことに、食事などのお誘いを受けることがあるのです。
本当にありがたいと思う反面、人といると、人といない時の孤独感が強くなるのと、人に依存しようとする自分の傾向が出てくるので、怖いのです。

とりあえず、『殺人出産』は二面性がある作品です。



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