図野象作『おわりのそこみえ』を読んで
夏休みが終わり、やらなければいけないことが多く蓄積している中で、
何かを表現しようとする時間は自分の中でとても大事な時間なんだと考えてnoteを書いています。
どうして村田沙耶香作品が好きなのかを考えていると
女性作家が書いている性描写が好きなのか?
という問いを自分にしています。
個人的にはそうでないと自分で思いたいので、他の女性の作家の作品も読むように意識しています。とりあえず有名な人は読もうと。
どこかの文学の賞の審査員をしている人や新聞に紹介されている人から入り、一冊は読んでみる。
この『おわりのそこみえ』もそんな感じで手に取りました。
いや、図野象さんは男性ですが、なんというか絶望がある、推理小説じゃなくて、現実のやるせなさをそのまま描いたような作品を読みたいと思ったんです。
読んだ後に希望が明らかに持てるような作品じゃなくて、絶望した気持ちの中で、でも前を向ける作品を探しています。
『おわりのそこみえ』は、絶望と狂気の中に、希望がはっきりと感じられる作品でした。
家族ってなんだかんだいいなとか、友達っていいなとか、男ってどうしようもないなとかいう感想を感じました。
借金をして、マッチングアプリに忙しい主人公は、私からすると、少し憧れの生活でした。借金はともかく、マッチングアプリで異性と遊びまくる生活には少し憧れもありました。
でもこの『おわりのそこみえ』を読んで、その憧れの気持ちはだいぶ減ったと思います。
主人公や登場人物と自分を比較したときに、その思考パターンが自分にはなもので、無理は良くないと思いました。
誠実な人が、主人公の海外出身の友人以外に出て来ず、みんな騙しあっています。
私を振り返った時に、私は『おわりのそこみえ』に出てくる誰みたいにもなりたくないと思いました。(こんな感覚は村田沙耶香作品を読んでる時はありません。)
反面教師的に、私がこれから大事にしていこうとする価値観を確認できました。
多分私が『おわりのそこみえ』に登場人物で出たら、騙されて酷い目にあっていたと思います。
貞操観念がぶち壊れた世界ではなく、ある程度の上品さを持った、(綺麗事ですが)誠実な人間を目指していこうと思えました。
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