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島口大樹作『鳥がぼくらは祈り、』を読んで

今日は天候は雨。でも出勤しないとダメなので、傘を刺して外を歩いていると、上着もズボンも全てがべしょべしょになりました。不快ですが、これも受け入れるしかないかと諦めていました。

この本との出会いはおそらく何かの文学雑誌で、何かの文学賞候補に挙げられていたところからでした。

読んでみた感想は、なんだか特殊な文章構成で、でも癖になるような、不思議な感じを受けました。
最近私は村上春樹の影響で、Jazzをよく聴いているのですが、島口さんの文章に何かJazzを感じました。最近聞き始めたばっかりで何もJazzのことを知らないのですが、そのfreeakyだけど、理論がある、そういった洗練された自由さを感じました。

内容としては、家庭に複雑な事情を持つ4人の高校生が集まり、一夏の様子を映画に撮る、喧嘩してまた仲直りするというものです。

私の読解力のなさからか、文章の中に出てくる、俺や僕という表現が一体4人のうちの誰のことなのか分からなくなります。

(はっきり言って、このストーリー展開から置いていかれる現象は私が小説を読む時によく陥る現象で、
最近はもう分からなくてもいいや、なんとなくその表現や雰囲気を楽しもうと思っています。)

(別にストーリーを全て綺麗に把握できなくてもいいし、本のページの匂いを嗅ぐぐらいの気持ちで本と向き合うようにしようとここ2ヶ月ぐらい思っています。)

(そんな、作者さんにとってはすごく失礼かもしれない私の読書法なのですが、あらすじが半分ぐらいしかわかっていないような読み方でも、小説を読み終えた時に、考えさせられたり感動するという心の動きを感じます)

(この本の読み方でもいいかも と肯定できたのは本の装丁やデザインをお仕事にされている祖父江さんのyoutubeを見たからです。)

私はいつも小説で気に入った表現が出てきたら、その部分をスマートフォンで写真を撮っておきます。さらに気に入った言葉は日記に書き留めておきます。

今回、私が気に入った部分は後半に出てくるセリフ
「絶対の楽しさが正しいのは、それは今を生きた俺らだ」
です。

この文法とかの考えからはズレた、でも熱量が届いてくるセリフが、私にとてっては気持ちいいです。
夕暮れ時、どこかの堤防で、一人で、自転車を漕ぎながら、このセリフを徐々に大きくなる声で、ぶつぶつと、叫ぶように声に出したくなりました。

この島口大樹さんの別の作品も、しばらくしたらまた、読んでみたいです。
(今は、幸せなことに、この文体に満足している状態です。)

(一昨日ぐらいから筋トレに気合いを入れ始めました。身体中が筋肉痛でなんとなくだるい中、この読書感想文を書きました。)


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