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【思い出作文】般若『何者でもない』を読んで pt.1

 僕が般若に出会ったのは、ZEEBRAのTokyo's Finestにボーナストラックとして収録されていたGolden Micのリミックスだ。これははっきり覚えている。僕はこの時高校1年生で、ヒップホップを聴き始めてから1年半くらいだった。中学生の頃はアメリカのヒップホップしか聴いていなかったから、日本語ラップを本格的に聴き始めたのは高校に入ってから。だからこの頃は紛れもないヒップホップビギナーだった。しっかり聴いていたのはキングギドラぐらい。元々洋楽からヒップホップに入っていた僕は、英語を多用するSphere of InfluenceやロックバンドのRizeを真っ先に好きになった。僕にとってのヒップホップはおしゃれでかっこいいアメリカの音楽。だから、日本のヤンキーや暴走族を想起させる日本語ラップにはあまり興味がもてなかった。ニトロや雷は全然ピンとこなかったし、妄走族も知ってはいたけどもちろん未聴だった。
 
 そんな当時の自分にとって絶対的な存在だったのはZEEBRA。DMXやJa Ruleにも引けを取らないフローで存在感も抜群だった。アメリカにも負けない、かっこいい日本人のラッパーとして僕の中で完全に神格化された。カリスマZEEBRAの新作アルバムでのラスト一曲、その最後のバースを任された得体の知れない男のことは、気にならないわけはなかった。ただ、同時に般若に対して僕は穿った見方をしていたように記憶している。「こんな日本語ラップ丸出しのやつをなんでZEEBRAは評価するんだ?」「ZEEBRAにフックアップしてもらってるのに、なんか生意気だな」。般若に対して、僕は懐疑的だった。
 
 当時のZEEBRAといえば、Based on a True Storyとキングギドラの最終兵器を出した直後で、メジャー仕様にアップデートしたパーティ路線に舵を大きく切った時期。supatechはミュージックステーションに出るぐらいヒットした。一方で、コアな日本語ラップファンからは叩かれていたような時期だった。ギドラでもK Dubが好きな人は本格派とみなされて、自称ヒップホップ通は皆、ニトロを聴いていた。当時の日本語ラップ界は「リアルヒップホップ」なる言葉が我が物顔で闊歩していて、その対になる言葉が「ポップ」あるいは「セルアウト」だった。ブーンバップ・ビートとけんか腰のリリックが評価されて、フロア向けのパーティーチューンは問答無用で低評価。そんな時代だったように思う。

 そんな時代背景もあって、般若の評価はコアな日本語ラップファンからの評価はすこぶる高かった。実際Golden Micのリミックスも「全部般若が持っていった」という評価が大勢を占めていた。般若のリリックはZEEBRAとSphereをDissしてるなんていう説もあったぐらいで、ZEEBRA、そしてSphereが好きだった僕にとってはこうした評価は不快だったし、正直この曲に関してはそこまで般若のバースが良かったとも思えなかった。おはよう日本も、ZEEBRAが率いている(と当時は勝手に思っていた)FUTURE SHOCKからリリースするのに、そのZEEBRAに対して無礼な態度を取っている(ように見受けられた)般若を見て、下品で無礼な人だなと感じたのを覚えている。

 だから、おはよう日本がリリースされたときも購入はしなかった。それでも気にはなっていたから、ツタヤでレンタルが出るまで待って借りた。当時は「一応聴いておくかな。」ぐらいの気持ちだったと思う。地元の相武台前駅から実家に向かって自転車に乗って、借りてきたCDを聴きながら帰った。今でも鮮明に覚えている。

 衝撃だった。家に帰るころには、僕は完全に般若の虜になっていた。「般若今日日」と「タイムトライアル」。般若が僕を狂わせるのにはこの2曲で十分だった。リリックのユーモアとメッセージ、そして圧倒的に聴き心地の良い独特なフロー。月並みな表現で恐縮だが、本当にやばいくらいの衝撃を食らった。

 ここから僕は般若に傾倒していった。根こそぎは発売日前にタワレコに行って、高校の寮の仲間と貪るように聴いた。やっちゃったと花金ナイトフィーバーで爆笑し、My Homeで涙し、サンクチュアリはキックザカンクルーが好きな後輩に何度も聴かせた。僕も「生まれて速攻片親のやつ」の1人だったので、My Homeは特に心に響いた。根こそぎ以降、日本語ラップファンは全員残らず、般若に熱狂していたと思う。イベントにいっても般若に対する歓声は圧倒的だった。2005年からは完全に般若の時代だったと思う。

 遡って、妄走族の音源も片っ端から聴き漁った。多分に漏れず、僕はProject妄から入り、Grand Championにドハマりした。1stアルバムの君臨も既に絶版になっていたが、相模大野の中古CDショップで偶々売っていて幸運にも手に入れることができた。妄走族での般若と桃太郎のフリーキーなラップはまるでWu Tang Clanの故ODBのようだったし(多分、参考にしていたと思う。)MASARUのハイトーンのラップとB BOY然としたスタンスに高校生の僕は憧れた。SphereやJesseが展開するアメリカのヒップホップの延長線上にある「日本語”の”ラップ」を聴いていた自分が、「日本語ラップ」にハマった瞬間だった。

 余談だが、僕は妄の中ではMASARUが一番好きで、次に剣桃太郎が好きだった。僕の周りでも般若・MASARU・桃が人気を3分していたように思う。グランドチャンピオンはMASARUのバースが多くて、本当にたくさん聴いた。先日、MASARUがMCバトルに参加していることをツイッターで知った。MASARUが出した2枚のソロアルバムはどっちも実家にある。桃は、今どうしているのだろうか。565と揉めたという話は聞いていたけど、「何物でもない」を読んで、赤の他人ながら心配になってしまった。ともあれ、桃の『飛ぶために生まれた男』は本当に素晴らしいアルバムだったと思う。2007年のB Boy Parkで5分ぐらいでライブをやめたり、RizeのJesseとハイタッチをしている姿には本当に痺れた。もちろん桃の3枚のソロ作も購入してまだ大事に実家にとってある。いつかまた、2人の音源が聴きたいし、ライブが観たい。

続く・・・

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