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自己を紹介する記事 40代こそ考えよう!

なかこうと申します。

静岡県静岡市出身、現在も静岡市在住。 24年1月で40歳を迎えた男性。
東京の大学からUターンし、地方の中小企業に就職。
15年くらい転職はせず、1社でサラリーマンです。

多様化が叫ばれる時代にろくに準備も進めて来なかった40代がどう向き合うのか。 そんな大難関を感じながらどうしたらいいかわからない。
そんな人間の1人です。

10代や20代前半の何者でないものへの発信はあふれるほどあります。
登場してくるテクノロジーに対応をどうしようとか考えずとも受け入れる世代。

50代〜60代になると、諦める人がほとんど。

問題は30代後半〜40代がどう立ち振る舞うか。
下の世代と上の世代のギャップを最も感じ、自分もどうしたらいいか。問題が大きすぎて、動くにも動けない。
いつの間にか時間だけが過ぎてしまう、本当にこれでいいの?

この時代まずはコンテンツを発信する側をやってみよう。
ということで、noteを更新していきたいと考えました。

簡単ですが、自身のことを現在から振り返ってみますので、お読み頂けると嬉しいです。

“70〜80点思考”を育んだ学生時代

「ホリエモン 小利口」などで検索すると出てきますが、まさしく私の学生時代は“小利口”そのものでした。
私なり言い方をすると、“70〜80点思考”です。

それは、、、

“周りの様子を気にしながら70〜80点くらいが取れればいいな”

という気持ちが行動のベースにある状態です。

ありがたいことに、客観的にみると、知能的なことは平均よりも少し高めの遺伝子を頂けたんだと思います。

だから、運動も勉強も人並みにやっていれば、平均以上を取れていました。

社会的適用に十分な常識も持ち合わせているので、他者や親からどう思われるかなども感じ取るし、一線を超えない程度の空気を読むことが出来ました。

もちろん、例外的なことはありましたが、無意識的に常に“70点〜80点”を目指すことが自分のスタンスになっていました。
評価軸は自分の価値観ではなく、他者や社会的にみての“70点〜80点”。
自分の気持ちはゼロではないものの、前面に押し出すことはほぼなかったです。

極端な高いところも目指さない、けど、他者から見られても恥ずかしくない程度に収まることが目的化していました。

努力してからの失敗が怖い

中学校の時にバスケで静岡市選抜に選出されました。
市選抜に選ばれたいは思いましたが、静岡中部、静岡県選抜と上のレベルに入ろうとする気持ちが全然持てませんでした。

当時は、身長だとか身体能力が、、とかもっともらしい理由を付けて、納得させていましたが、本質的には失敗に見られるとか、周りのレベルに追いつけないとかが嫌だったんだと思います。
市選抜に入っただけでも十分周りからの評価が感じられたので、“70~80点思考”の人間にはお腹いっぱいでそれ以上はいりませんでした。

上手くなりたいとは思っていたけど、バスケットを知ろうとしたり、チームメイトと勝つためとか上手くなるために熱く語りたいと思うこともなかったです。
客観的に第3者の意見を求めることもしませんでした。

やれる範囲でやればいいっか。
上手い奴は身体能力が高いからとか、どうしようもならない理由があるかのように考えていました。そこまで追求せずとも自分の中では“70~80点”に達して、小利口そのもの。

一生懸命何かを考えてやるということをほぼしなかったように思います。

大学受験も変わらず

大学受験でも最上位偏差値大学を強い目標に掲げる“リスク”を取りませんでした。
行けそうな範囲で腕を伸ばすくらい。
結果的に日東駒専と呼ばれる偏差値の大学にセンター試験で合格し、幕を閉じました。

東大とは言わなくても早稲田とか慶応を本気で目指そうとしていたら、また違った人生があったと今は思うのですが、当時はそれ自体がダサいことのように思えていました。
受験も立教や法政・中央などを受けて、私立の最難関には全然行こうとしない。
ここにも“70〜80点思考”が滲み出ているいます。

大学での過ごし方も特に上を目指すことなく、無難に単位だけを集めるダメ学生。
バスケットサークルでそれなりに楽しむことで満足していました。

就活で少し流れが、、

なぜか就活に関しては、世間的な“70点〜80点”を目指すことはしませんでした。
今でもはっきりとした理由はわかりません。
でも、振り返るとこの決断はファインプレーだったと今は思います。
就職に対してはそれなりに収まろうとすることへ強烈な疑問がを持ったことを覚えています。
テレビ業界を夢見たかもしれません。

結果、テレビのADバイトをしたり、王道から外れた行動をし始めたのですが、常識のスイッチは残っており、この世界では生きていけないと、地元静岡に帰ることにしたのでした。

地元の中小企業への就職

全然大卒だけにこだわるとかでもない、地方の中小企業で働き出します。
今でもお世話になっており、非常に感謝しています。

が、同時に時代は変わりスマホが登場し、4G回線が普及。
SNSやYouTubeなどの動画サイトによる個人はもちろん著名人が専門チャンネルを持ちながら発信をする時代が到来しました。

行動に起こすことに臆病ではありながら、新しい価値観と触れることは好きで自然と色々な考え方に触れ合う機会が増えてきました。

同時に仕事も慣れてきて、いつもの“70点〜80点”が取れる環境が整ってきましたが、就職は学生と違い、3年間とか4年間の時限がありません。
10年以上ほぼ同じような社員さんの中で“70点〜80点”を取り続けることが続く現実に不安を持ち出しました。

・従来にないような情報発信社会との触れない
・現在の働き方、生き方への漠然とした不安や懸念

この2つが混ざり合いながら、テクノロジーが進化し、あらゆる業界に大きな変化をもたらす現実を目の前に自分の行き方を問い直し出します。
その間に結婚し、子どもが生まれという変化も大きかったと思います。

“今”を生きろ

最大の出会いはアドラー心理。
大ベストセラーの『嫌われる勇気』を読んで自分の中の価値観が崩されていく感覚がありました。

そして、武井壮さんの「オトナの育て方」。

世間や周りで起きる出来事への向き合い方と真剣に生きようとする姿勢。
“考える”ということをもっとしなければならないと心から思うようになりました。

そして、2017年くらいから行動が少しずつ変わり出します。

運動習慣を意識(体重を絞る)
・体重が9kgくらい減った(現在が人生で最も少ない)
・マラソン5回完走(23年12月 サブ3.5達成)

ブログ開始(更新止まってます) 
30記事くらい書いて止まりましたが、復活に向けて考え中
WordPressやサーバーとの契約など初めてづくしに挑戦はいい経験

プログラミング
ものになったとは言い難いですが、ドットインストールなどで触れてみました。

日記を書き出す
ほぼ毎日書いており、月日記や年日記なども書いています

睡眠の気にしだす
Garminで毎日の睡眠データを確認中です。

新しいモノへの挑戦を意識
note
・Notion
・つみたてNISA

色々と調べながらとにかく行動を起こすことをし始めたのです。

何もしないリスクがある

人生30年以上、“70点〜80点”が最も効率が良いと考えて生きてきました。

noteで発信することも別にやらなくてもいいことかもしれません。
でも、40代がもっと前向きに活発に活動出来れば、日本の未来は明るくなると信じています。

もう40代ではなく、まだ40代。そんな時代に入っているし、これから副業や複業が当たり前になることでしょう。

1つの収入源、1つの職業をやっているだけでは人生もったいない。
40代こそ輝けるということを土台にして、情報発信をやっていこうと思います。

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