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自炊のハードルを下げてくれ

自炊のハードルを下げてくれ。頼むから。できるだけ下げてほしい。
私は自炊気負ってないですよ、ってやつが「米を炊けば自炊でしょ?スーパーで惣菜買ってくればいいじゃん」って言うけれど、どうしても米を炊くサイクルに入れない時もあるんだ。
朝ごはんに米を炊いて、納豆ご飯でも食べればいいじゃないって言うけれど、どうしても米を炊く気力が湧かなくて駅前の松屋に朝定食を食べに行く。そんなサイクルの日もあるんだ。松屋の朝定食に出てくるとろろはいつだっておいしい。味噌汁はそんなに。
思うに米を炊く行為は未来に生きる行為である。その意味で大いに人間的な行為である。
30分~1時間後の腹をすかせた自分のために、想像力を働かせて米を炊く。そんなたった1時間後のために布団の上から動けない時もあるんだ。
米を洗って炊飯器のボタンを押したからといって、すぐにお腹が膨れるわけじゃない。1時間後の自分への祈り。それが米を炊くということだ。

実家に帰った時に、最近自炊してるの?って質問される。
あー、うん。パスタ茹でたりとかしてるよ。後は米炊いてレトルトとかかな。
それ以外の回答をしたことがない。だって自炊してないから。
きっと実家基準で考えると最低一汁一菜、サラダなんかも時々食べる、そのくらいが自炊の最低ハードルなんじゃないだろうか。
それを考えると気が滅入る。
ビタミンをほぼ野菜ジュースだけから摂取するような生活をしていてごめんね。

自炊と認められる最低ラインに満たないなら、一切自炊しなくていいんじゃないか?
コンビニ弁当とか、外食で済ませたほうが時短にもなるしいいんじゃない?
大学受験をするわけでもなく、高校を卒業出来さえすればいい人が卒業できるギリギリのレベルで勉強をやめてしまうのに似ている気がする。
実際そうじゃないことなんか分かっている。自炊も勉強もできる範囲で、できるだけやるべきだ。そう、わかっちゃいるんだけど、ネ。

あーー、今日は米を炊きたくない。

「いいんですよ、気負わなくて」

……あなたは?

「私は自炊の女神です。自炊のハードルを下げに来ました」

自炊の女神か。自炊の女神ならハードルを下げてくれるかもしれないな。

「お聞かせください。あなたが考えている自炊の境界線はどこですか?」

そうですね、おかずはレトルトでもスーパーの惣菜でもいいから、最低限自分で米を炊いて食事をすることでしょうか。袋麺のインスタントラーメンがギリギリ自炊じゃない境界線だと思っています。

「いいんですよ、インスタントラーメンも自炊の一つです。袋麺じゃなくて、カップ麺でも。なんならコンビニ弁当や惣菜パンも自炊に入れてかまいません」

総菜パンまで入れていいんですか?さすがに自炊の概念を広げすぎじゃ……

「そんなことありません。逆にお聞きしますが、あなたにとって自炊とは何ですか?」

自炊っていうからには自分で米を炊くことは最低ラインだと思ってます。

「そうですね、米を炊いて自分でご飯を用意する。自分のために調理して食事を用意することが自炊です。しかし、米を炊くこととインスタントラーメンを作ることの間にどれくらいの隔たりがあるのでしょうか」

いや、手間のかかり方はかなり違いますよ。米を炊いてる時間待たなきゃご飯が食べられないし……

「そうですか?米を炊くことも、炊飯器と生米さえあればそこまで手間じゃないでしょう。あなたは米を炊く行為を1時間後の自分への祈りと捉えているようですが、それならインスタントラーメンだって3分後への祈りです」
なるほど、米を炊くこととインスタントラーメンを作ることの間には時間の程度くらいしか差はないかもしれませんね。
「そしてレトルト食品を使わないような、手間のかかる自炊を考えたとしても、食材を用意して食べられるように調理する。大枠で捉えれば、これもインスタントラーメンを作ることと地続きだと考えられます」

食材を自分の手で用意して、調理して、食べる。そこまで単純化するなら確かにそうですね。でも、インスタントラーメンは工場で作られて、お湯を注げばすぐ食べられるように人の手によってかなり加工されています。最後のお湯を沸かして注ぐひと手間だけで自炊したって言ってもいいんでしょうか?

「はい。自信を持ってください。インスタントラーメンはもっと手の込んだ自炊と比較しても本質は同じです。一汁三菜の食事を家で作ったとして、その食材はどこから買ってきたのでしょう。スーパーマーケットから買ってきたのなら、そのスーパーに届くまでに多くの人の手が介入しています。私たちは大きな人間社会の中で自炊をしているに過ぎないのです」

ずいぶん自炊のハードルを下げてくれそうな意見ですね。

「インスタントラーメンを作ることが自炊のレベルに達していないというなら、自炊のハードルはどんどん上がって、完全に自給自足の人以外は自炊と呼べなくなってしまうでしょう。もう少し自炊の概念を拡張すると、この人間社会でする食事はすべて自炊と言っていいでしょう」

調理することすら自炊の条件ではないと?

「はい。働いていて、家に帰れば食事が用意されているような人はその給料を対価に食事をしている。すなわち自分の価値と引き換えに食事ができていると考えられます。赤ちゃんや子どもも、その家庭に生まれたという価値によって保護され、食事ができています。人間社会で行われている食事はすべて社会との契約関係に基づいた自炊といえるでしょう」

外食も配達も、対価として自分のお金を払っているから自炊である、と。

「はい。これでずいぶん自炊に対する考えが変わったんじゃないでしょうか」

そうですね。今、自分の中に自炊のハードルはなくなってしまいました。この社会で生活する以上すべては自炊なのですね。

「理解していただけたようで何よりです。自炊の女神冥利に尽きます。私は自炊の女神として自炊の概念を拡張していかなければなりません。女神や神というものは信仰される対象が多いほど力を増すのです」

なるほど、自炊なんてできないって思っている人が少ないほどあなたは強力になっていくのですね。

「では私はもう行きます。世界中の自炊のハードルを下げるために。」

ありがとう、自炊の女神。俺が自炊の概念を拡張して、あなたの力を増幅させます。
自炊の女神が食の女神となるその日まで。

定期的に更新したいという気持ちはほんもの