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タバコとゲームとギャンブルと

一回り歳が離れた兄とは価値観が真逆なおかげで、一緒にいるととても疲れる。結婚して実家を出てから、それは顕著に感じる。

兄はとても苦手だけれど、父と違って良い思い出もたくさんあるので、用事があるときだけ年に数回会う、この距離感がちょうどよいのだと思う。

私の中で一番のトラウマとなっている出来事がある。
タバコにまつわる話。

兄が高校生の頃。
なにげなく兄の部屋に立ち入った際、兄がタバコを吸い、黙々と白い煙が立ち上っている光景に出くわした。私は幼心に、やばいものを見てしまったと悟り、すぐさま兄の部屋をあとにした。しかし兄は凄い勢いで追いかけてきた。

「お前……タバコ吸ってたこと、親に言うなよ。言ったら殺す!!!」

恐ろしい顔とドスの利いた声で言われ、私は震え上がる。はじめて自分に向けられた「殺す」という言葉がとてつもなく恐ろしかった。もちろん兄にしたらたわいもない脅し文句だったのだろうけど、私はその後、兄に殺されるかもしれないという恐怖に怯え続けることになった。うっかり口をすべらせてしまったらどうしよう、と思えば思うほど、兄がタバコを吸っていたという事実がしっかりと脳裏に焼き付いて離れない。

そんな怖い日を数日過ごしたあと、兄はあっさり、母にタバコを見つかってしまった。白ワイシャツの胸ポケットにタバコの箱を入れたまま、家の中を歩いていたのだ。人に「殺す」まで言っておいて、自分はなんと愚かなのか……。
しかしあとで母に聞いてみると、タバコは匂いや煙で、隠していてもすぐにわかると言っていた。とりあえず私はこれで兄に殺される心配がなくなった。心の底から安堵したことを覚えている。

兄は短気ですぐに切れるし怒鳴り散らかす。
私は今でも男性の大声が苦手なのだけれど、父より、もしかしたら兄の影響かもしれないと、ちょっと思っている。父も大きな声を時々出していたけれど、外面の良さとずる賢さはピカイチで、ご近所に聞こえてしまう大声よりも、見えないように隠れるようにねちっこく攻撃する人だった。対して兄は、瞬間湯沸かし器のごとく、怒りとともに大声を出し威嚇する。手を出しはしないものの、物にはあたり、小さい頃の私にとって、怒った兄は震え上がるほど怖い存在だった。

昭和な時代、テレビ番組を録画するときはビデオデッキを使っていた。予約を入れているときは、電源を消したのち、録画待機状態にしないといけない。一度電源を入れると、待機状態は解除されてしまう。
兄は仕事に出かける前に家族に申し送りをする。

「今日は予約入れてあるから、ビデオにはさわるなよ」

はい、と返事をする私は、まだ小学校高学年。
しかし、アニメっ子だった私は、ビデオに録画したアニメを観るのが大好きで、それこそテープがすり減るくらい、同じアニメを何度も観ていた。学校から帰ると、兄からビデオにさわるなと言われていたのを覚えていても、アニメを観終わったあとに母にお願いすればよいと、我慢できずにアニメを再生し、お約束のように母にお願いするのを忘れていた。そして仕事から帰ってきた兄の逆鱗に触れ、殺されるんじゃないかってくらいの剣幕で怒られて、何度か(心が)死にかけた。こういう時の兄は本当に怖い。ビデオをいじった私が悪いんだけど……。

もう少し大きくなってから、録画待機状態にできるようになった私は、観終わったあとにきちんと設定しておけばよいのだと、やはり同じようにアニメを視聴し、同じように何度か忘れ兄の逆鱗に触れる。兄も兄だが私も私だ。しかし、大好きなアニメを観れないのは辛いので約束は守れないのだった。

今のように見逃し配信があるわけでもなく、録り逃したら最後。兄の怒りはごもっともなのだ。そのうち兄はもう一台ビデオデッキを購入し、めでたく視聴用と録画用に分けることができたわけだが、そうなると同時間だからとあきらめていた録画が可能になり、2つの番組を同時録画していた兄に、やはり私は時々やらかし怒られていた。

そんな兄にも優しい一面があって、私をよくゲームセンターに遊びに連れていってくれた。兄は私にお小遣いを少しだけくれる。おお、いいお兄ちゃんじゃないか。
100円とか200円くらいだったかな。金額は日によって違う。
その頃のゲームセンターは、インベーダーみたいなゲームなら、20円とか30円で遊べた時代だ。ちょっと最新のゲームになると50円とかになる。
しかしこの頃のゲームセンターって、不良のたまり場だったわけだけど……。幸い怖い思いはしたことがないけれど、兄も不良に片足突っ込んでいたのだろうか。

私が社会人になると、今度はパチンコを教えてくれた。
私はどちらかというと、パチンコより自分で揃える楽しみがある(実際には揃えているわけではないのだろうけど)パチスロの方が好きだった。はじめこそ楽しくて一緒に行ったが、あまりのタバコ臭さと、こんなことにお金をたくさん使うことの虚しさに気づいてしまい、すぐに行かなくなった。

さらに兄は、競馬にも連れていってくれた。
馬券の買い方や、どの馬が強いかとか、いろいろ丁寧に教えてくれた。私は一緒に競馬場に行き、馬券を買い、単勝とか複勝などの単語を覚えたけれど、これまたここにお金を使う意味がわからなくて、結局数回買ってやめた。

今思うと、私をめっちゃギャンブルの世界に導こうと必死だな!
私は心の隅々まで貧乏が染み付いてしまっていたので、ゲームは置いておいて、賭け事にお金を使うことに楽しさは見いだせなかった。

兄は車を運転するのが大好きで、よく母と私をドライブに連れていってくれた。そういうときはとても面倒見の良い兄である。

私が高校生のとき、好きなアーティストのコンサートが、終電ギリギリの場所で行われていて、行きたいけど一人で終電に乗って帰ってくるのは怖い、というと、車で連れて行ってくれることになった。
めちゃめちゃありがたくて嬉しくて、私はなけなしのバイト代から、兄の分のチケット代、高速代、ガソリン代を出して、兄と一緒にコンサートを楽しんだ。
感謝して帰ってきた数日後、母と話しているときに、母も妹の面倒をみる兄の行いが嬉しかったらしく、「吹由美をよろしく」と兄に1万円のお小遣い(交通費)を渡したらしい。(言っておくが兄はこの時二十歳をとっくに過ぎたサラリーマン、そして実家暮らし!)

母からお小遣いをもらっていたなんて兄からは一言も聞いてない。
チケット代と、高速代と、ガソリン代、プラス感謝の気持ちで色をつけて、私は兄にお金を渡していた。チケット代はともかく……え、高校生のバイト代から必死に捻出してたんですけど「母からお金もらってるからチケット代だけでいいよ!」とか言えなかったんか……とあとから怒りがフツフツとこみ上げてきた。

そんな、面倒見が良い兄です。

兄はお金がない、と言いながら、お酒もタバコもたくさん買うし、休日はパチンコ通いだし、それらを全部やめればお金がないなんてことにはならないんじゃないかなと思っていた。でも今更それらをやめるのはきっと難しいのだと思う。私はその道に染まらなくてよかったと思っている。

兄は成人になってから堂々とタバコを吸い、ヘビースモーカーとなった。
家にいるときはタバコの副流煙を当たり前に吸っていたけれど、実家から離れて、まわりにタバコを吸う人がいなくなると、ほんの少しタバコの匂いがするだけで辛くなってしまった。会う度にとてもヤニ臭い兄と同じ匂いが、自分からもしていたのだろうか。悲しい……。

兄のお金に関する話題は尽きなくて、一番頭にきた出来事。
母が認知症になってから、母の貯金をギャンブルに使い込んでいたことが発覚し、姉に通帳の類を全て没収される。
母が汗水垂らして働き貯めたお金を、よくもギャンブルに使えるなと、このときばかりは本当にあきれた。母のこれまでの苦労を一緒に見てきたはずなのに。

そういうとこだぞ、って言いたいけれど、いや、さんざん言ってきたけれど、何を言っても怒鳴り返されるだけなので、兄とは良い思い出もあるし、今は言葉を飲み込んで距離をおいている。この距離感がきっと正解なのだ。

時々会うぶんには、そこそこ愉快な兄です。

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