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強い言葉は苦手だけれど

「毒親」や「モラハラ夫・妻」のような、それ一言で強い印象を与える言葉がとても苦手なのだけれど、ときにその強い一言がキーワードとなり、「もしかしてこれって」と気づくきっかけになる。

そのキーワードごとに、いくつかの特徴があって、全て当てはまればその言葉通りなのだろうけど、たいてい複数の要因が重なっているし、人間誰しも完璧ではないので、どこかしら、何かしらに属しているのだと思う。

私が長年夫の特性だと思っていたものも、もちろん特性の部分はあるだろうけど、それだけでなく、違う特性が重なっていて、気づけなかった部分があった。そこに最近気づいてしまい……いや正確には、数年前、次男にいろいろあったときに気づいていたのだけれど、その後の夫の態度を見ていて、変わってくれたのかもしれないと思ってしまっていた。
でも人ってやっぱり、そんなに簡単には変わらない。

これまで、楽しかった思い出はたくさんあるし、本当は距離をおきたいほど精神的に辛い状況だけど、今は私さえ我慢して普通にしていれば、少し前の穏やかな家庭と変わらない。せめて次男が元気になるまでは、この状態を維持したい。だから頑張るしかない。そう決めた。
「私さえ我慢すれば」は私の悪い特性だけれど、これも変えたいけどなかなか変えられない。
私と夫の悪い部分の特性は、相性最悪だな、と今なら思う。

そもそも夫も酷い家庭環境で育ったのだから、憎むべきは夫ではなく夫の親なのだろう。ぱっと見、夫は優しく穏やかに見えるからわかりにくいけれど、それなりに心の傷を負っていることはわかる。
けれど、私にはもう、そんな夫を支えるだけの元気も余裕もなくなってしまった。
悪いのは夫じゃないとわかっていても、もう昔のように支えていきたいとは思えない。それだけのことをされた。

夫は絶対に謝らない。
どんなときにも自分の中にある正義を貫く。
弱っている人にも容赦しない。さらに追い詰める。
自分が第一。

夫が私の父と重なるのは、話していると「お前はだめだ」と言われていた頃を思い出してしまうからだ。
父親のような人とは結婚しないと思っていたのに、気づけば夫と父が重なる。
久しく忘れていた、小さい頃の傷口がパックリ開いてしまった。

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