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朝できることは夜にもできるから朝活をやめた

生まれてこの方、僕は朝にめっぽう強く、7時には目覚める生活を送り続けてきた。小学生のときは野球の練習をして、中学生のときは本を読んで、高校生のときは学校に早めに行って勉強をした。

しかし大学生になった今、果たしてそこまで早起きして朝活する意味はあるのかとふと考えてみた。その結果、別に無理に朝活しなくていいじゃんということに気がついた。というのも今の生活スタイルからすると早起きすることが逆にストレスになってしまうからだ。

まず、世間一般で朝活がもてはやされるのはなぜなのか考えてみよう。それは「早起きして1日が長くなり、時間に余裕ができた分、いろんなことができる」からだ。1時間早く起きてランニングしたり、英語の勉強をしたり、ちょっといい朝ごはんを作ったり、カフェでくつろいだり。確かに早起きして普段できないことをするのは気持ちがいい。

ただここでちょっとおかしいことがある。1日24時間という時間は誰に対しても平等であり、朝早起きしたからといってその24時間が長くなるわけではないのだ。1時間早く起きるのであれば1時間早く寝るか、1時間睡眠時間を削らなくてはならない。

僕は中学から高校まで部活がとんでもなく忙しく、夜に勉強をする余裕がなかった。部活が終わる頃には一日のエネルギーを全て使い果たしてしまい、とてもじゃないが机に向かう気力が起きなかったのだ。そこで1時間早く寝ることでその分早起きをし、しっかり寝て回復した体で勉強をしたわけだ。決してトータルの勉強時間が増えたわけじゃない。

もちろん睡眠時間を削ってまで早起きをしたこともあったが、その結果は悲惨なもので、こちらのnoteに書いたように疲れが取れなくて授業中に爆睡する始末だった。

大学3年生までは実家から大学まで片道2時間というちょっとした旅行並みの移動時間がかかったため早く起きる必要があった。おまけに理系なので遅刻しただけで単位が危うくなる実験の授業もあり、5時半には起きて6時半には家を出る生活をしていた。本当によく頑張ったと思う。

こんな感じで僕は好きで早起きをしていたわけでなく、早く起きる「必要」があったから早起きしただけだったのだ。そして今の僕にはその「必要」がなくなってしまったのだ。

休学を終えてこの4月から大学に戻り4年生になったのだが、ご覧の通りコロナの影響で大学には行けない。せっかく大学の近くで一人暮らしを始めたのに一回もキャンパスに行かずに春学期が終わってしまった。単位も3年生のうちにほぼ取り終え、残った授業も全てオンラインだ。録画された講義をいつでも見られるので、一限が始まる9時にパソコンの前にいる必要もない。研究室のオンライン輪講も午後から始まる。要するに今までの生活と違って早起きする必要がなくなってしまったのだ。

そして僕の今の生活は「執筆活動」で成り立っている。誰かと会うわけでもなく、話し合うこともない。いつ起きるかも自由だ。それなのに一人暮らしを始めて最初のうちは今まで通り7時には起きていた。それは染み付いた習慣のようなもので、たとえば夜中の2時に寝ても勝手に7時に目が覚めてしまった。はじめはそれでも早起きは気分がいいからと7時に起きていたが、5時間睡眠では体にガタが来る。結局お昼ご飯を食べた後に猛烈な眠気に襲われ、そのまま死んだように何時間も昼寝をしてしまい罪悪感に苛まれることが多かった。それなら無理に早起きせず、9時とか10時に起きてのんびり作業した方が生産性はよっぽど高い。

そもそも朝にできることは夜にだってできる。朝活と言えば早起きして読書とかランニングとか英語の勉強とかをするものだが、そんなものは夜にだってできる。結論、1日にやると決めたことをその日のうちに終わらせることができればいいのだ。朝やるか夜やるかの違いだけで、そいつを終わらせてしまえば結果は変わらない。ただの気分の問題なのだ。それに人によって朝型か夜型かも変わってくる。夜の方が集中できる人が無理に早起きして冴えない頭で朝活しても逆に非効率だ。

大切なことは早起きすることではなく、いかに集中して仕事や勉強をこなせるかだ。早起きすることはあくまで過程であり、早く起きることが偉いわけではない。人それぞれ生活スタイルがある。みんなそれぞれ集中できる時間にバーっと片付けてしまえばいいだけだ。

朝できることは夜にもできる。何時に起きても、結果としてやるべきことをきちんとやれればそれでいい。自分に合った生活スタイルをこれからも探していこう。

それでは素敵な1日を。

最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!