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旅の終わり。そして始まり。

大学を卒業した。4月から社会人になるということで、会社の近くで新たに一人暮らしを始めた。荷ほどきを終え、ほっと一息ついていると、開け放した窓から気持ちのいい風が入ってきた。冬とは明らかに違う、肌を包み込む暖かい風。春がもうすぐそこまで来ている。

見知らぬ街での散歩はいつだって楽しい。午後2時過ぎ。桜が満開の公園では親子が楽しそうに遊んでいた。雲ひとつない空の下、幸せな時間が流れている。公園のベンチにひとり座りながら、僕は旅の終わりを実感していた。

5年前の4月1日。僕は絶望しながらキャンパスへ続く桜並木を歩いていた。浪人の失敗。叶わなかった夢。失意の中で迎えた大学生活のスタートは全くもって楽しいものではなかった。1年生から今に至るまでを全て綴るのは無理だ。が、あえて端的に表現するならば、僕の大学生活は1〜2年生までは闇。そして3〜4年生は光、だった。

闇、とかくと不吉な感じしかしないが、闇があるから光があるとはよく言ったもので、僕の光の時代が始まるためにはどうしても闇の時代が必要だった。受験に失敗したコンプレックス、お金に対するコンプレックス、モテに対するコンプレックス。いろんなコンプレックスに挑み、負け続けたのが大学生活の前半だった。3年前、大学2年生が終わる頃の僕は、未来に対して何も希望を抱いてなかった。人との繋がりも、お金も、才能もない僕はきっとこのまま陰の人生を歩んで死ぬんだろう、そんな無力感に苛まれていた。

しかしそんな僕に光が差し込んだ。大学2年生の1月から始めたこのブログが、仕事になったのだ。当時ははてなブログを使っていて、記事の中に広告を貼っていた。ブログを初めて3ヶ月程度でアクセスが伸び始め、広告収入が得られるようになり、バイトをしなくても学費をまかなって暮らせるようになった。お金のコンプレックスがなくなるほど大した額ではなかったけど、この経験はその後の人生を左右するほど大きかった。なぜなら僕は生まれて初めて「自分の好きなこと、得意なことを武器に自由を獲得する」という経験をしたからだ。これでバイト先の塾のうざい塾長にグチグチ言われながらバイトをしなくてもいい。夜遅くまで残ってバイトしてまで学費を稼がなくてもいい。自分の力で自由を獲得する素晴らしさを、この執筆活動が教えてくれた。

大学3年生からは光の時代だった。好きなことをして楽しく生きていると、同じように好きなことをして楽しく生きている友達が増える。大学には全く友達がいなかった僕だが、この執筆活動を知っている数少ない友人の紹介で、同じように自分で仕事を作って自由に生きている人たちと友達になれた。彼らは年齢も性別も国籍もバラバラで、僕が属していた理系の学部の狭い世界では決して出会えないような多様性に富んだ人たちだった。そんな彼らにたった1つ共通しているものがある。それは「自己責任で生きている」ということだ。大学を休学したり、はたまた中退したり。誰もが羨む大企業を辞めたり、親の説得を無視して海外の大学に1人で飛び立ったり。世間一般の常識から外れた道を行く人が多かったが、誰ひとりとして自分でコントロールできないことに愚痴をこぼす人はいなかった。僕は彼らを素直にかっこいいと思った。闇の時代の頃、僕はずっと生まれた場所とか実家の太さとか、自分ではコントロール不可能なことに対して文句を言っていた。しかしそんなことをしても、何も変わらない。このことを自覚してから、光が差すようになった。

大学4年生になった初日に、僕は休学届を出した。理由は「なんとなくこのまま卒業するのがもったいないから」で、当然教授にも止められた。意味不明な理由で一年を無駄にするのかと。それでも僕は自分が巡り合えた執筆という仕事の謳歌、そして最強になるという野望を叶えるためにも、どうしても1年間休んでみたかった。今思い返せばこの判断は100%正しかった。というより、100%正しかったと思えるように行動することができた。僕の個人的な体験だから詳しくは書かないけど、大学を休んだ2019年度の1年間で、僕の世界はさらに大きく広がった。だからもし休学を悩んでいる人がいたら、何も問題ないからどんどん休もうと僕はアドバイスしたい。人生100年時代の1年や2年の遅れなんて、もはや遅れにもならない。今が一番若い日だし、明日交通事故で死ぬかも知れないんだから、今やりたいことを今やればいい。根拠のない夢とか希望は嫌いだけど、これは僕というn=1がいるから信用して欲しい。

そして大学最後の2020年の1年間は、僕も他のみんなと同じように外に出られない1年だった。それでもいろんな人に会う機会に恵まれて、また一回り二回り世界が広がった。就職するという決断をしたのも一つのイベントだった。僕は就活を嘘つき合戦で全く本質的じゃないお遊びだと思っているから、就活について語らないようにしている。面接のネタにするためにインターンに行ったり、Webテストに通るために勉強したり替え玉を用意することほど無意味な努力はない。人生は自由なのに、自分から進んで会社にペコペコするのはおかしいじゃないか。僕の就活に対する考えはたった一つで、ゴールドマンサックスとかマッキンゼーとか、年収が高い順に上から受ければいいと思っている。事実、僕もそうしたし、それで良かったと思ってる。

あえてもう少し就活について語ると、僕は客観的に見て勝利を収めたことになる。4月から働く会社は就活生の人気が高く、倍率も高い。大学入学時点で育ちが良くなければコネもなかった僕からすれば、うまくやれたことになる。だけど、最強になるという僕の生涯の目標のゴールは就職ではない。肩書きでイキる人生はダサい。自分の頭で考え、自分で成し遂げたことを誇りに生きていきたい。だからネットによくいる「GAFAの最年少マネージャー」みたいなしょうもない名乗り方をする気はないし、今後もどこの大学出身かもどんな顔をしてるのかも分からない男として執筆を続け、最強を目指していく。

この5年間を振り返ってみると、いろんな思いがこみ上げてくる。涙が出るほど悔しかった思いもたくさんしてきたはずだけど、どういうわけか、楽しかった思い出しか頭に浮かんでこない。終わり良ければ全て良しとはよく言ったものだ。最後の1年間が最高に楽しかったから、オールOKな学生生活に思えてきた。いや、事実として本当に最高だったのだろう。

いつも友達が少ないと言ってきたけど、僕は決して1人ではなかった。執筆を初めて3年、僕が把握しているだけでも延べ人数で100万人がこのブログを読んでくれた。これは本当にすごいことだと思う。僕がすごいのではなく、僕という得体の知れない学生が書いた文章を読んでくれたみなさんが、だ。心から感謝を申し上げたい。電車で隣に座っている人のスマホの画面がチラッと見えると、まれに僕のブログを読んでいたりする。インターネットの力は本当にすごいなと、常々実感する。誰しもネットの力を借りて発信すれば、作家にだって思想家にだって、起業家にも宗教家にもなれる。便利な反面、恐ろしささえ感じるネットの力を身をもって体験できたことも、貴重な経験であり財産にもなった。


散歩を終え、部屋に帰る。引っ越したばかりの部屋からはまだ慣れない匂いがする。新鮮な空気を取り込もうと窓を開けると、一枚の桜の花びらが舞い込んでき......たりはしない。現実はどこまでも現実で、ある日突然白馬に乗った王子様がお城のパーティーに誘いにくることも、助けた鶴が恩返ししにくることもない。しかし自己責任で生きて、自分の力で人生を楽しもうと愚直に努力を重ねていれば、いつか報われる日が来る。いつか、必ず。どこかで聞いたことがあるクサいセリフだけど、これだけは間違いない。自分で体験したから分かる。だから僕はこの先も自分でコントロール不可能なものは無視し、コントロール可能なものだけに注力し、結果を出していく。それ以外に道はないのだから。

桜の花びらは舞い込んで来なかったが、まだ何も飾っていない白い壁に西陽が差し込んできた。一日が終わろうとしている。今日僕は、昨日より強くなれただろうか。明日僕は、今日の僕より強くなれるだろうか。

社会人になっても、30代になっても、いくつになっても最強を目指し、昨日より今日、今日より明日強くなれるよう、僕は引き続き鍛錬を積もう。

僕の文章を読んでくれるみなさんと、これからも高みを目指せたら、これほど嬉しいことはない。

それでは素敵な一日を。


2021年3月30日 意識高い系中島 都内某所にて。


最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!