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現役で東大受験して数学0点で落ちた話

僕は現役の時の大学受験で東大の理科I類を受け、数学0点をとって落ちた。不合格通知から数日後、得点開示が送られてきた。目を背けたくなるような酷い点が並ぶなか、数学の欄を見ると

数学 0点

生まれて初めてテストで0点を取った。しかも人生がかかってる受験で。当然の不合格。しかも下位1%の成績だった。

他に受けた大学も数学がほとんどできなくて落ちた。0点ではないにせよ、偏差値にして35くらいの点しか取れてなかったと思う。そんな僕だがこれだけは言える。

ー受験数学にセンスは必要ない

と。いやいや、0点とったお前が何言うとんねんとツッコミを入れられてしまいそうだがちょっと待ってほしい。

たしかに僕は数学0点を取って浪人したが、その浪人の1年間で数学の偏差値がかなり上がったのだ。1番の得意科目とまではいかなくとも、合格点以上は必ず取れるようになり、苦手意識は無くなった。今でも数学は好きで、決して試験でいい成績が取れるほど優秀ではないけど、時間をかければ式を理解できるくらいには成長した。今日はそんな僕の経験を踏まえ、数学にセンスはいるのか問題について自分なりに書いてみようと思う。

1. 「勉強ができる」と「頭がいい」を勘違いしていた少年期


なぜ僕大学受験で数学0点を取ったか。その原因は僕の少年時代にまで遡る。僕はずっと学年で一番勉強ができた。誰よりも早く百ます計算を解き終え、パーンと鉛筆を机に叩きつけ踏ん反り返って偉そうにしていた。

九九もクラスで一番早く覚え、”いんいちが1、いんにが2”と呪文のように早口で唱えながら全然覚えられないクラスメイトをバカにしていた。

もちろんテストはいつも満点。自分で言うのも何だが素行良好、成績抜群。絵に描いたよな優等生で学級委員をずっと任されていた。

すっかり浮かれていた僕は自分を”天才”だと信じて疑わなかった。

そんな状況なら無理もないだろう。なんてったって勉強しなくてもクラスでトップ。塾にも通わず、毎日公園で野球していたのだ。同じように遊んでた仲間からは何でそんなに勉強ができるのか不思議がられていた。

そんな栄光の小学生生活を送っていた僕だが、一度だけプライドを打ち砕かれた事があった。それは小学五年生のとき、クラスの冴えないメガネ小僧が急に僕の机にきてこんなことを言ってきた。

”中島くん、僕この問題がどうしてもわからないんだけど教えてくれないかい?”

彼が見せてきたのが私立中学校の算数の入試問題だった。

そう、小学校高学年になり、私立入試組が現れ始めたのだ。

見たこともない問題に僕は全く手が出なかった。ただプライドだけは天よりも高い僕は問題を見るなり

”こんな問題も解けないのに受験だなんて笑っちゃうよ。もう少し考えてから僕のところに持ってきてくれ。”

と追い返したのである。なんて惨めなことだろう。

このとき10才ながらに感じたのは、僕が得意なのは”計算”で、”考えること”ではないと言うことに気が付いた。自分は筆算が人より早く正確にできるだけで、入試問題みたいに頭を使って解くのはてんでダメだったのだ。

そう、僕は勉強ができても頭は良くない人間だった。

それでも僕は小学生のうちはずっと成績トップだった。周りの親御さんからは当然中島くんは有名な私立に進むんだろうと思われていたが、地元に友達も多いし、わざわざ遠くの中学に通う魅力を感じなかった僕は地元の中学校へ進んだ。

僕が行ったのは普通の公立中学校だったので、基本的にメンツは小学校のままだ。一部他の小学校の人たちも加わったけど、飛び抜けて優秀な人がいたわけでもなく、僕は中学でもトップを走り続けた。

そんな中学時代。僕に生まれた初めて苦手科目というものができてしまう。そう、それが数学だった。

中学からの数学は計算メインから考える問題メインに変わり、証明だとか二次関数だとか、色々新しい事が登場した。ここで再確認したのが、僕はやっぱり計算は得意だけど考えることは苦手だということだ。

ルートの計算は難なくできても、三角形の合同の証明はどっから何をすればいいか良くわからない。完全に苦手意識が芽生え始めた。

それでも公立中学校のテストはその中での平均に合わせて作られる。苦手だと言ってもテストの問題は授業でやった問題ばかりのぬるま湯問題。当然ながら暗記はお手の物だった僕は相変わらずトップを突っ走った。そしていつの間にか数学が苦手という気持ちは消え、小学校の時のように自分を天才と信じて疑わなくなった。

しかしここにきて、僕のプライドが完全に打ち砕かれることになる。それは中学三年生の夏。僕が生まれて初めて塾に行った時の話だ。部活が夏休み後半まであった僕は、流石に焦っていた。成績こそ良かったものの、当時僕が志望していた高校は地域最難関の学校だった。

部活でろくに受験勉強できていなかった僕は、塾に行けば勝手に合格点取れるようにしてくれるんじゃないかと思い夏期講習に行った。僕が入ったのは志望校よりさらに上を目指した国公立&最難関私立コース。開成や灘、筑波大学附属や学芸大学附属、早慶の付属校を目指すクラスだった。どうせ塾に行くなら一番上のレベルを体験してこいと親がぶち込んだのだ。

僕のプライドはこの夏期講習の2週間で完全に砕かれた。僕はこの2週間、何にも分からなかった。本当に分からなかったのだ。

英語の授業で初めて”副詞”というものの存在を知り、数学で”パラメータ”を使って解くという前代未聞の状況に直面し、理科では僕の知らない法則がたくさん出てきた。なんとかできたのは国語と社会である。まだ暗記でなんとかなる分野であり、僕はそれだけ頑張った。

ただ英語、数学、理科は本当に1ミリもついて行けなかった。生まれた初めて塾に通い、生まれて初めて電車で通学した。そして生まれて初めての挫折。帰りの電車から見えた遠くの山が本当に大きく見えた。

世界は広い。僕が一生頑張っても到底勝てない奴らがいる。そんなことを感じた15の夏だった。

結局、夏期講習最後のテストで圧倒的最下位を取った僕はその塾に二学期も通うのをやめ、元の志望校一本に絞って勉強した。

地域最難関といっても開成、灘に比べれば楽勝で、ほとんど暗記でなんとかなった。苦手な数学もパターンを暗記してなんとか合格した。そして第一志望に合格した僕は、中学校で英雄扱い。夏にボロクソにプライドを打ち砕かれたことなんかすっかり忘れ、また”俺は天才だ!”と有頂天になっていた。

しかしこの長く続いた自惚れにも終止符が打たれる。

”勉強ができる”のと”頭が良い”ことの根本的な違いを、高校3年間で痛いほど思い知らされたのだった。

2. 高校時代の反省点

高校の授業はレベルが高かった。量も質も、中学とは比べ物にならない。進度は物凄く早く、高校二年生秋で高校数学を終えるカリキュラムだった。

僕は当然ついていけなかった。入学前からそれはなんとなく分かっていた。高校受験でさえ苦労したんだ。なんだかじっくり考えてやる問題が全くできない。高校はさらに難しくなる。もう無理かも。

そして案の定、うっすら感じていた自分の頭の限界を直視することになる。意味の分からない三角関数、整数の証明、確率。微分積分いい気分なんていいながら頭の中は大混乱。問題文を見るだけで吐き気がした。

ここでいったん高校三年生の頃の頭に戻って問題を解いてみようと思う。

ルート2が無理数であることを証明せよ。

有名な問題である。読者の皆さんであれば”背理法”を使って解くのをご存知の方も多いだろう。ただ僕はこういった典型問題もろくに覚えていなかった。当時の僕ならこうしていただろう。

”ルート2が無理数の証明???ルート2が無理数なんて当たり前じゃん。こんなのどうやって証明すんだよ。確か背理法ってのがあったけどこれか??逆の設定にして矛盾を見つけるんだっけ...じゃあルート2が有理数と仮定して...ん?有理数ってなんだ?その前に無理数ってなんだ???国語の問題じゃあるまいし定義なんて覚えてないよ...もぅマヂ無理。 意味ゎかんない。答え見よ...”

こんな感じである。答えを見るまでわずか3分。こんなんで数学ができるようになるわけがない。結局答えをすぐに見て、ふんふんと頷くだけで実際に解き直して見ることもせず、さっさと次の問題にいってしまうのである。

今になって思えば、この勉強法は全て間違っている。

まず第一に、入試問題で3分で解ける問題は存在しない。例えば東京大学の理系数学の試験時間は150分で大問6つ。一問あたり25分かけられる計算である。その上6割できれば合格ラインと言われているから、一問に35分最長でかけても大丈夫な計算だ。

そう。天下の東大数学でも一問にこれくらい時間をかけて良いのだ。というかそのくらいかけなくちゃ解けない。なのに中学数学でズッコけたバカチンがどうして3分で問題をとけるだろうか?いや、ありえない。

もっとじっくり考えるべきなのである。それにじっくり時間をかけられるのは高校二年生までだ。高校三年生からは数学だけじゃなくて多くの科目をこなさなければならない。それも踏まえて、まず、当時の僕はじっくり時間をかけて考え抜き、どうしても分からなかったら答えを見て、実際に解き直す。というプロセスを踏むべきだったのだ。

そしてもう一つ間違っていた点。それは同じ問題は二度と出ないと決めつけていたことだ。確かに全く同じ入試問題が出題されることはない。だが同じ系統の問題が出題されるのはめちゃめちゃある。だから高校、予備校の先生は口を酸っぱくして”過去問をやれ!”というのだ。だからその分野で典型問題と言われているものを何度も何度も解いて型を刷り込み、問題文を見て”もしかしてあのやり方を使うのかな?”と勘付けるようになる必要がある。

そして最後に、言葉の定義の重要性を忘れてはならない。皆さんは自然対数の定義を言えるだろうか?平行の定義、微分の定義をいえるだろうか?

これが言えないと肝心な部分が抜け落ちていると言わざるを得ない。数学のみならず、あらゆる勉強で大事なのは言葉の定義だ。問題文に出てくる数学用語をもれなく説明できなければ、スタート台にすら上がれないと思わなくてはならない。

それに加え、公式を証明できるようになることも非常に大切である。実際に東大では過去に加法定理を証明させる問題が出題された。普段使う公式を自力で証明し理解することは本質を理解することに繋がる。とにかく自分でやって見る。これが大事なのだ。

結局今あげた当たり前だけど本当に大切な勉強をおろそかにした僕は、入試本番、数学0点をとって落ちた。

あの時、出てきた問題全て、意味がわからなかった。何をいっているのか、これは何を使って解くのか、何一つとしてわからなかった。そしてなぜ僕がこの試験会場に座っているのかも。それでも諦めの悪い僕は、答案用紙に思いついたことを描きまくり、誰よりも紙を真っ黒にした。

”〜に2を代入すると〜を得る。”だとか”〜を使って解くと考えた。”

だとかわかったふりをして色々書き込み、部分点をもらおうとしたのだ。

しかし結果は0点

色々書いて見たものの自分が何一つとして理解していないことは大学の先生に筒抜けであった。今までのやり方、全部間違ってたことを思い知らされた僕は頭が悪いなりに、全面的に勉強を見直し必死に受験数学に打ち込むことになる。

3. 浪人時代の勉強法

僕は浪人の半分くらいを数学に充てた。僕が通っていた予備校は毎日数学があり、あらかじめ問題を解いてきて授業で解説するというスタイルだった。

高校の勉強法を反省した僕は、とにかくどんなに時間がかかっても納得いくまで問題に取り組むことにした。当然ながら今まで3分で考えることを諦めていた頭は悲鳴を上げた。だけどここは我慢だ。自分の殻を破らなければ成長はない。

僕はどんな問題も20分以上取り組むというルールを定めた。効果はてきめん、考え抜けば解決の糸口が見えてきたし、授業でどこが悪かったのか確認できてすぐに理解出来た。そして必ず授業で扱った問題はその日のうちに解き直した。予習、復習合わせて3時間は毎日数学に費やしたと思う。

結果成績はどんどんあがり、偏差値も60後半をコンスタントに取れるようになった。どの受験も数学で大コケすることはなく、最終的に第一志望には落ちたけど、数学の点は良かった。

あの1年で初めてじっくり考えて問題と向き合う姿勢を学んだ僕は、大学の数学とか物理にも何とかついていけるようになった。でも根本的なところで要領の悪さを抱えているから時間はかかる。

でも人より2倍頭が悪いなら2倍勉強すればいいだけのこと。焦る必要は無い。自分のペースでやればいい。

あの浪人の1年がなかったら僕は今でも暗記で試験を乗り越え、フィーリングで何でもこなす人間になっていただろう。死ぬほど精神的にしんどかったけど、浪人の1年は無駄じゃなかったと信じている。

結局のところ、受験数学に関してはセンスなんて必要ない。

とにかくじっくり時間をかけて問題と向き合い、どこが分からなかったかを洗い出し、解説を見て、自分で1から解けるようになるまで復習する。この繰り返しに尽きる。特別なことは何もいらない。

調子に乗って大学への数学を購読したり、数学オリンピックの問題に挑んでも意味が無い。それは数学が得意な人のすることだ。

僕みたいにフィボナッチ数列とかフェルマーの最終定理とか、数学の話が好きで何となく美しいなあって感じるけどいざ勉強となると苦手。こんな人は結構いると思う。そんな人達は余計なことは考えずに

予習→授業→復習

を愚直に繰り返せば点数は上がっていく。大体の受験は数学で半分取れれば御の字だ。出てくる問題のうち半分は典型問題の応用だ。授業でやったことを完璧に理解していれば合格点はまず確保できる。あとはほかの科目でカバーすればいいだけのこと。数学満点、他全部3割の人は、全部5割の人に勝てない。

数学が苦手な人は典型問題を完璧にして、あとは英語とか理科に力を注げばいい。理科も基本的に勉強法は数学と同じだ。むしろ覚えることを覚えてしまえば数学より簡単に点は上がる。苦手な数学を得意にするのではなく人並みにまでできるようにしたら他を頑張るのがいいだろう。僕もそうやって入試を乗り越えた。

ただこれは受験数学に限った話である。やはり周りには本当の天才みたいな人がいて、彼らは常人にはとても思いつかない方法で問題をものすごい速さで解く。

予備校の先生も「大学に入りたいなら数学が苦手でもやればなんとかなる。でも学者になりたいなら受験数学くらい朝飯前じゃなきゃ厳しい。」

と言っていた。やはり学問で飯を食ってくにはセンスが必要なのかもしれない。僕はそういう天才型ではないので、地道にやっていこうと思う。

最後に数学が苦手な人でも文系の人でも楽しめる数学の本を紹介します。知識がなくても読める本でめちゃくちゃ面白いのでぜひ。数学が好きで損することはありません。

それでは素敵な1日を。

※こちらの記事は僕の移行前のブログ「意識高い系中島diary」に掲載していた記事をリライトしたものです。ブログの方の該当記事はこちらの公開にあたり非公開にしてあります。ご了承ください。

失敗を語るシリーズ、また追加していきます。次回更新をお楽しみに。


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