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5年前に1日だけした派遣バイトのトラウマのおかげで僕の今がある

もう5年も前の話になるんだけど、僕は1日だけ地元の工場で派遣バイトをしたことがあった。派遣バイトなんてしたことがある人も多いし、特別語るに値しないと君は思うかもしれない。でも僕にとってはあの2016年の3月に、冷たい、広い、静かな工場で、ひたすら単純労働をしたこと。この経験が今の僕に多大な影響を与えているのは、間違いない事実なのだ。そこで今日は5年前の僕の話をしようと思う。

忘れもしない2016年3月。僕は浪人を経て第一志望の東大に落ち、絶望の最中にいた。滑り止めで合格した大学の進学手続きを終えても気分はまだ晴れず、徐々に春の暖かさを感じ始める中旬になっても、僕の心は冷たく暗い冬のままだった。そんなある日、ふと「バイトでもしてみるか」と何かのきっかけで思った。親に言われたのか、これから始まる大学生活の足しにしようと思ったのか記憶が定かではないが、スマホでポチポチ調べていると地元の工場で派遣のバイトを募集しているのを見つけた。

それなりの進学校に通っていたので、僕含め同級生は皆、高校在学中にバイトをしたことがなかった。つまり、当時の僕はそれまでの人生で一度も労働をしてお金を稼いだことがなかったのだ。ずいぶん恵まれていたと言えよう。家にいても暇だし、いい経験になるんじゃないか。8時間働いて7000円も貰えるのか。結構な大金じゃないか。派遣のバイトはしんどいという話はどこかで聞いたことはあったけど、浪人生活より辛くはないだろう。そう思って申し込んだ。

その2日後の派遣当日、家から自転車で30分にある工業地帯の工場に向かった。今でも覚えているのだがその日はどんよりとした曇り空で、かなり冷え込んだ朝だった。8時の集合に間に合うように家を出た僕は、工場に着く頃には手が凍えて感覚がなかった。駐輪場に自転車を止めると、おそらく僕と同じ派遣と思われる人たちがぞろぞろと受付に向かっていた。見様見真似で後をついていき、係の人に名前とIDを伝えると作業服と軍手を貰えた。時間まで控室で待つように言われ、無機質な窓のない部屋に通された。暖房もないその部屋には10人くらい派遣の人がいて、年齢は僕と同じ10代らしき若者から50代近い人まで男女様々だった。ほとんど誰も口を聞かず、ずっとスマホをいじっていた。唯一喋っていたのは女の子の二人組で、どうやら近くの高校のクラスメイトらしかった。

時間になると工場の中に通され、全員でラジオ体操をした。
「腕を前から上に上げて、大きく背伸びの運動!いち、に、さん、しっ」
工場は天井が高く、ラジオ体操の音が反響していた。段ボールを運ぶ作業車が僕らの周りを忙しく動き回っていた。それが終わると派遣をまとめる現場監督が来て、僕らに指示を出した。40代くらいの中肉中背の男だった。

「じゃ、派遣の人こっち来てー」

ラジオ体操が終わり、名簿のチェックが終わると早速仕事が始まった。午前中の作業はひたすらチラシにチラシを挟み込む作業で、僕は30代くらいの男とペアを組んで、黙々と作業した。男がチラシを広げて、僕がそこにチラシを挟み込む。その繰り返し。何も楽しさはなく、ただ「シャッシャ」と紙が擦れる音が高い天井に響き渡るだけ。相手の男は何も喋らない。僕も同じく何も話さない。ひたすらに時間だけが過ぎる。しかし、遅い。30分経ったかと思って時計を見ても10分しか経っておらず、10分経ったかと思って時計を見たら3分しか経っていない。時間が過ぎるスピードってこんなに遅かったっけ。何も生み出さない単純労働を繰り返し、僕は時間が過ぎるのをひたすらに待った。

ようやく4時間が経ち1時間のお昼休憩が始まった。僕は近くのコンビニに行き、自分へのご褒美もかねてちょっと豪華なお弁当とジュースを買った。控室に戻るとみんなスマホを見ながら何かを食べたり飲んだりしている。唯一喋っていたのは女子高生たちで、春から通う大学の話をしていた。

「第二外国語って決めた?」「サークルどこにする?」

その場にいた他の人たちはうるさそうに彼女たちを一瞥して、黙々とスマホゲームをしながらおにぎりや菓子パンを食べていた。

そして午後の仕事が始まった。ここでびっくりしたのが、明らかに人数が減っていたのだ。3人減っている。僕が午前中に一緒に作業した30代の男もいない。

「あー、〇〇さん?いる?どこ行ったんだあいつ......まあいいか。じゃあ始めて。」

何がいいのか分からなかったが、まるで誰か消えるのは当たり前のような物言いだった。そしていなくなった3人を無視して午後の作業が始まる。僕は目薬のポスターをひたすら細長い段ボール箱に丸めて詰める作業をした。食後の眠気も相まって、時間が経つのが本当に遅く、集中力も失われていった。

そんなとき、ポスターを詰めた箱をうっかり落としてしまった。そのときとてつもなく眠かった僕は箱をすぐには拾わず、天井を仰ぎながら大きくあくびをし、それからゆっくりとしゃがんで拾った。するとその様子が気になったのか、現場監督の男に怒鳴られた。

「おい、さっさと拾えよ」

まさか怒鳴られると思っていなかった僕は驚いたと同時に怒りがこみ上げてきた。「なんでこんな奴に僕が怒鳴られないといけないんだ?」素直に謝れば丸く収まったはずだが、少しでも反抗しないと気が済まないと思った僕は彼をジッと睨みつけ、何も謝罪せずに無視をした。すると

「おい、聞いてんのかよ」

とさらに怒鳴られた。悔しいけどここで意地を張っても無駄だと思った僕は「すいません」と小さな声で告げ、大人しく作業に戻った。

その後は何のトラブルもなく時間だけが過ぎ、ようやく17時を迎えた。ちょっとイラッとした一瞬があったものの、生まれて初めての「労働」を終え心地よい達成感を感じながら、モクモクと煙を吐き続ける工場地帯を自転車で縫うように走りながら家まで帰ったのを覚えている。1ヶ月後、僕の口座に7000円が振り込まれた。生まれて初めて自分で稼いだお金だった。

それから約5年の月日が流れ、僕は24歳になった。ここまで読んでもただの平凡な19歳の派遣バイトの体験記にしか思えないだろう。しかし、僕はあの派遣バイトから多くを学び、あの冷たい工場で8時間働いた経験なしには今の僕は存在しえなかったと、そう断言することができる。

5年前の派遣バイトで1番衝撃だったこと。それは「格差」だ。世の中には最低時給でしか働けない人がいる。今思い返せば、残酷な現実を突きつけられたのはあれが最初だったと思う。当時の僕はみんな暇だからお小遣い稼ぎに来たんだろうと思っていたけど、今思えばそうではない。他に仕事がないのだ。あの場にいた30代から50代の男女はきっと、好き好んで工場で派遣をやってたわけじゃない。それ以外に選択肢がなかったんだ。そして批判を恐れず表現するならば、彼らは最低時給で働くことで搾取され続けていた。

あの日、僕と同じくみんなコンビニでご飯を買っていた。1人当たりの単価は800円くらいだった。その日の時給にほぼ等しい金額だ。あの日、僕は初めてのバイトに心が踊って何も計算せずにお昼ご飯を買ったが、冷静に考えて10分で食べ終わるご飯に1時間働いて稼げる額を払うのは全く合理的じゃない。友達とランチをするのに使うなら分かる。楽しい時間を共有するためにはそれ相応の額を払う必要がある。しかしあくまで自分の腹を満たすためなら、そこまで払う価値はない。

今なら分かる。考えることができる。でも、あそこでずっと派遣で働いてる人たちは、5年たった今日も同じように時給分のお昼を買っているのだろう。なぜなら彼らにとってはそれが仕事中のささやかな楽しみだからだ。ちょっと豪華なお弁当を削ったら、午後の作業は頑張れない。そしてお弁当を食べながら、スマホゲームで遊んで課金をし続ける。これも止めることができない。あの日午後から消えた作業員も似たような状況だったはずだ。「なんか午前中働いたけどダルい。帰ろ。」経済的に余裕があるならこれは立派な損切りと呼べよう。しかしとても余裕があるようには僕には見えなかった。途中でいなくなった彼もまた、合理性以前に自分の欲求を最優先にし、同じ場所を延々にグルグル回っていただけなのかもしれない。誰かが消えるのはよくあることのように話していた現場監督の言葉からも、不合理な行動をして途中で帰る人が多いことが推測される。こうして最低時給で働く限り、永遠にこの単純労働の無限回廊から抜け出すことができない。

僕を怒鳴ったあの作業員も、同じだったはずだ。納得がいかない現状にイライラし、バイト感覚で適当に仕事をする年端もいかぬ若造に怒りをぶつけてストレスを発散しようとしたんじゃないか。少なくとも僕にはそう思える。あの日僕は咄嗟に「なんでこんな奴に僕が怒鳴られないといけないんだ?」と思ってしまったけど、彼は彼なりに地獄を生きていたのだ。僕にはどうすることもできないし、今考えても理不尽だったけど、彼には怒鳴る以外に選択肢がなかったんだ。

もう一つの発見は「時給での労働には限界がある」ということだ。あの8時間ほど時が経つのが遅く感じたことはなかった。逆に考えればどんなにつまらない仕事をしても、時間さえ経てば決まった額がもらえると考えることもできる。ただ僕にはそれは向かないとはっきり派遣で分かった。長時間労働なら誰でもできる。1万円稼ぐのに時給1000円で10時間働けばいいだけだ。ただそこには自分の頭を使って工夫して時間単価を上げる楽しさが皆無だ。僕はどうにか試行錯誤して時給1万円にする方法を考える方が向いているし、この執筆活動を通してまさに実践している。もちろん5年前の当時はそんなことは1ミリも思ってなかったけど、あの冷たくて無慈悲な工場でバイトしたトラウマが無意識のうちに僕を時給での労働から遠ざけていたんだと思う。

今でも地元に帰るたび、工場の前を通ると思い出す。僕を怒鳴ったあの人は、今何をしているのだろうか。午後から突然消えた彼は元気にしているのだろうか。楽しそうに大学生活への期待を語っていた彼女たちは、どこかに就職したのだろうか。5年も昔に会った名前も知らない彼らが今も頭から離れないのは、なぜなのか。今も昔も変わらず白い煙を吐き続ける工場を眺めながら、僕は足早に家路を急いだ。


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