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仕事に美学を、生き様に華を。

「おい、ランチ行かねえか」

最近、会社に行くだけで全身が汗ばむ。一年で最も苦手な季節、夏。冷房の効いたオフィスから一歩も出たくない僕は、いつもコンビニの弁当でランチを済ませていた。よりによって、35度を越すこんな日に外を歩いてランチに行くなんて。

僕に声をかけてきたのは定年が近い50代後半の他部署の室長補佐だった。僕の会社はいわゆるフリーアドレスというやつで、どこに座っても自由だ。声をかけてきた彼は部署が違うので仕事上で関わることはなかったが、よく近くに座っていたのでたまに話しかけられていた。

「中島、お前いつもどこで飯食ってんだよ」
「いつもコンビニですね。食べたら昼寝してます。」
「若えのに老人みたいなことしてんじゃねえよ。ほれ、ついてこい。」

できることなら今日も冷房の効いたオフィスでゆっくり昼寝をしたいところだったが、こうも強引に誘われてはついていくしかない。日差しで溶けそうなコンクリートの上を汗だくになりながら行く。定年近い彼は、しきりに汗を拭きながら大きな体を揺らして歩いていた。5分ほど歩き、彼のお気に入りの坦々麺のお店に行った。

「どうも最近の若い連中はよお、同期でランチも行かねえらしいじゃねえか。仲良くしろよ。」

「仲は悪くはないですけど、わざわざランチとかは行かないですね……」

貴重なお昼の1時間を話の合わない定年間際のおじさんに使うなんて、今日はついてないな。食後の眠気とどう闘おうか。坦々麺を啜りながら、僕はそんなことを考えていた。

「中島はなんでこの会社に入ろうと思ったんだよ」

よくある会話が続く。就活で話した、当たり障りのない回答をそのまま話す。実によくある光景だ。年齢もバックグラウンドも全く違う彼に自分の本心を話したって、伝わるわけがない。聞かれたら聞き返すのが無難なコミュニケーションの基本だ。僕は基本に忠実だった。

「じゃあ前田さんは何でこの仕事を続けてるんですか?」

「なぜこの会社に入ったのか」ではなく「なぜ続けるか」を聞いたのは、もう30年近く前の就職活動の記憶なんてないだろうと思ったのと、一つの会社で定年間際まで勤め上げることができた理由を聞いてみたかったからだ。退屈なランチにしては、悪くない質問だろう。特に彼が働いていた部署は財務で、コツコツ計算をしたり数字をまとめたりと、営業と違ってあまり華がない部署だった。彼は途中で部署を異動することもなく、ずっと財務一筋で勤め上げてきた人だった。

適度な労働時間の割には給料が良いから、なんて答えが返ってくるのだろうと僕は思っていた。が、返ってきたのは意外な答えだった。

「俺はなあ、この仕事に美学を感じてるんだよ。」

「え?」

美学、とは何のことだろうか。建築家が設計する家に美を求めるのは分かる。同じくファッションデザイナーや広告プランナーが自分なりの美を追求する、というのも想像に難くない。しかしながら数字を扱う財務の仕事に美学とは、どういうことなのだろうか。

「俺は東大の経済学部にいたけどさあ、当時なんてそこらへんの学生と同じで勉強なんかしてなかったけど、バブルの大量採用に乗っかって東大っていうだけでこの会社に入れたんだよ」

新卒も今の5倍の人数を採用していたらしい。とんでもない時代だ。

「俺も最初は営業が良かったんだけどさ、当時なんて若造に希望を出す権利なんてなくてよお、お前は経済学部か、簿記は分かるか?よし、なら財務へいけって、これだけで決められちまったんだよ。そんで最初は毎日為替をひたすらノートに書いて、書いて、書きまくってたんだよ。パソコンなんかないからよ、全部手書きなんだよ。帳簿も何もかも全部。」

「そうやって地道な仕事を寝るまも惜しんで、毎日怒られながら続けてたらさ、少しずつ財務、そしてファイナンスが分かってきたんだよ。少しずつな。それで30歳になる手前で海外でMBAを取るチャンスが回ってきたんだよ。こりゃ行くしかないって、申し込んで、必死に英語を勉強したら社内の選考に受かって、行ったんだよ。イギリスに。世界の金融の中心といえば、ロンドンだろ。」

坦々麺が熱いのか、深く刻み込まれた顔の皺の一本一本に汗を滲ませながら、彼は麺を啜った。

「正直それまでファイナンスなんてさ、ちっとも面白いと思ってなかったんだよ。BS、PLが読めたって、何になるんだって。資金繰り表なんか作ったって退屈で仕方ないだろって。でもさ、あのロンドンの数年で変わっちまったんだよ。」

変わった?一体何がだろう?

「俺が求めていたものはこれだって、気付いちまったのさ。」

点と点が全て繋がり、今まで断片的に理解していたファイナンスの概念が、一本の体系立った学問として、理解できたのだ、と彼は言った。IRRやROIC、CAPMやDCF法など、今まで公式として別個で覚えていたファイナンスの知識が、根底では全て繋がり、個から全てが導き出せることに彼は気付いたのだった。

「美しいと思ったんだよ、ファイナンスを。学問に打ち込んだロンドンの数年間が、俺のその後の社会人生活を全部決めちまったってわけ。」

麺を平らげた彼は、器に残った真っ赤なスープを全て飲み干した。また汗がどっと出てくる。おしぼりで額を拭い、彼は続けた。

「中島、お前がこの先どんなキャリアを進むか知らねえし、ファイナンスなんて数字遊びだって思うかも知れねえけどよお、本気で向き合って、寝るまも惜しんで没頭しないと見えねえ世界ってのは必ずあるんだ。」

「俺がこの歳までこの会社にいるのはよお、ファイナスを俺が好きなように使って、それが会社の金儲けの役になって、俺も金が貰えるっつう、一石三鳥な仕事だからなんだよ。もし経済学部出て、院行って博士になってもこんな給料貰えねえからなあ。ありがてえもんだよ。」

お冷やをぐっと飲み干して、彼は言った。

「お前が今の仕事を楽しいと思ってるかは知らねえが、どんな仕事も突き詰めれば、必ず美学が眠ってんだ。そこを掘り当てることができたら、人生こっちのもんだ。好きなことして金貰えるんだからなあ。残念ながらその美学がどこに眠ってるかは、手当たり次第掘ってみねえと分からねえ。が、探す価値はある。体力もある、若い今のうちにな。よし、行くか。おばちゃん、お会計。」

その日のランチは彼が奢ってくれた。決して内装が綺麗なお店ではなかったが、坦々麺の味は一級品だった。再び溶けそうなコンクリートの道を歩き、オフィスへ戻る。一歩先を行く彼の背筋は、行きの道よりも真っ直ぐに伸びていたように見えた。

仕事に美学を、生き様に華を。

オフィスへと戻るエレベーターで、そんなことを思った。転職しよう、起業しよう、好きなことで生きよう。テレビも、ネットも、電車も、そんな呪いのような広告で溢れている。「同じ会社に居続けて本当に自由な人生なの?」そう問いかけてくる。

彼は転職もしていなければ、起業もしていない。彼の会社勤めの人生は不自由なものだったろうか?つまらないものだったろうか?

違う。つまらなくなんてない。美学を追い求めた、華のある人生だった。正解だ。彼にとっての。誰がなんと言おうと、間違いなく。


一週間後、彼は定年退職で会社を辞めた。彼が話さなかったので知らなかったが、もう定年が目前まで迫っていたらしい。だから若手を誘ってランチに行っていたようだ。席が近くても部署が違かった僕は、最後の送別会にも出席はしなかった。

「お世話になった皆様へ。本日をもって私、前田は当社を定年退職いたします。新卒で入社した198X年以来、ファイナンスの道一筋で勤め上げて参りましたが……」

BCCで退職報告のメールが届いていた。短く簡潔な別れの挨拶だったが、彼の生き様がよく現れていた、良い文章だった。

退職して数週間経ち、もう彼のメールアドレスは使えなくなってしまった。彼と連絡を取る手段はない。彼がよく座っていた窓際の角の席には、この4月に入社した新人が座っている。

仕事に美学を、生き様に華を。

自分の選択に美学を見出す、そんな選択肢もありなのだと、真夏のオフィス街を歩く彼の後ろ姿から、僕は学んだのかも知れない。







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