#54 イデオロギーとテクノロジーが描く多様な未来 : "加速主義" vs "新官房主義" vs "共同体主義" vs "修正民主/資本主義"

下記メルマガの転載となります。

未来を考えるということ

VCとして仕事をしていると、職業柄当たり前だがどういう未来が来るのか?という問いは常に考えている。未来に対してどういう変化が今起きている、起きそうなのかについてを切り口に、起業家と対話しながら投資検討を進める。

短期の職業の職務でいうと10年スパンほどの未来においてこの起業家・チームがやりたいと考えていることが時代と一致するかを考えている。それによって会社がEXITすることによりリターンをお返しする仕事だ。ただ、長期的には20-30年先の未来をリードしていく会社を創れるのが本望ではある(と偉そうにいいつつ、どうしてもVCの構造上、起業家に比べて短期視点にもなりがちなのは記載しておく。)

つまりはその会社が行おうとしていることや、創ろうとしている未来がどういうものなのか?そしてそのビジョンやミッションが未来に対して耐久性があるのかということを考えなければいけない。

どういう未来のシナリオにBetするのか

以前に自分が書いた、時代を動かす思想はなにか(加速主義か利他主義か)にて、openAIの事件の中で話題になった e/acc(効果的加速主義) vs EA(効果的利他主義)について、書いた記事だ。この対立も1つ未来のシナリオをどう描くかについて議論が今なされているからでてきている問題点であると思う。

“イデオロギーとテクノロジーは表裏一体”ということはこの上記の記事でも書いたが、どういうイデオロギーに基づいて未来をつくっていきたいのか、そしてその未来に生きて足りないピースを創っていくのが起業家の一つの役割であるとしたときに、どの未来のシナリオに賭けるのかということは問いとして考えないといけない。


大きな物語が終焉し、インターネットが小さな物語を加速するはずだった・・

何度も引用するが、1989年は世界的には転換点であった。World Wide Webが登場し、インターネットの時代の鼓動がきこえはじめ、またベルリンの壁が崩壊し、長く続いてきた自由民主主義vs社会主義という構図は終わりを迎えた。これを”歴史の終わり”とフランシス・フクヤマが名言したことは有名ではある。

これはフランソワ・リオタールは、「ポストモダンの条件」の中で、”大きな物語の終焉”を提唱していることに通じるものがある。これは絶対的な真理や普遍的な原理原則の追求に対して不信感が募った結果として生まれた「万人が信じる真理など存在しないのだ」という世界への姿勢と自分は捉えており、その結果局所的な特定のコミュニティなどを中心としたナラティブの構築による小さな物語の時代がくることを予言した。

そしてこのような小さな物語がインターネットによって加速させられることは期待されていたと思うし、確かにそれはある程度実現されている。ポストモダンの論者たちである、ジャン・ボードリヤールのシミュラークルとシミュレーションの理論は、インターネットが現実と虚構の境界を曖昧にし、多様な物語を同時に存在させることを可能にしていると論じ、ドゥールズ=ガタリのリゾーム理論は、インターネットが従来の権威やヒエラルキーを崩し、水平的でネットワーク的な構造を形成することを論じている。

そういった中でナラティヴによって小さな物語が紡がれていくことについて記事も書いていた。しかし最近感じるのは、そういった小さな物語から大きな物語への反動が現在起きてきてしまっているのではないかということだ。

小さな物語の終焉と大きな物語の再来

2010年代後半から2020年代前半にかけて、大きな物語が再来してきているように感じる。この現象を綺麗に語ることができずらいが、それは例えばインターネットの方面だけ切り取ると、GAFAMなどのプラットフォームの独占によりその大きな物語の上での小さな物語のように、意味が縮小していった感覚がある。それはTwitterの炎上体質などにもつながる話でもある。またこれは良く言われる話だが、やはり米中対立によるブロック経済化であったりウクライナ侵攻などといったことが表面化することによって、歴史の終わりは勘違いであって、まだ大きな物語は続いているし、よりそのベクトルへの力が強くなってきている印象がある。

その結果例えばVCの投資もそういった大きな物語を背負ったものに流れていっている感覚がある。お金の流れを変えるための"Big issue"の提起といった記事を書いたが、a16zが提唱するAmerican Dynamismなどはまさにそのような大きな物語としての国家を主語にしたようなものであった。(その反対がCreator economyのようなものは、小さな物語をエンパワーするものだったように思えるが下火である。)

国や一部の企業や一部の個人のような人達が大きな物語を創り出しているし、それは実はそのようなある種の扇動を社会が欲しているような感覚もある。
自由というものは個人の拠り所からも自由(フリー)になってしまう。特定の思想やイデオロギーの拠り所を知らず知らずのうちに社会や大衆が求めているような流れも感じる。保守化・右傾化のようなものはどの国においても現れてきていることがそれを実証している。

大きな物語が描く未来のシナリオ

大きな物語とはという定義をうまくできる自信はないが、未来の世界を構築していくためにどういうイデオロギーをもつべきなのか、ある種の宗教観をつくられるのが大きな物語であると個人的には整理している。そうした時に、今後の大きな物語が描いてくシナリオはいくつか存在すると考えており、網羅することはできない気がするがどの未来のシナリオに生きていくのか・起業してどの未来をとっていくのかについて考えるきっかけができればと思い、自分なりに文脈を整理したものを記述していきたい。

ただどのイデオロギーが正しいとかそういう意図はここで結論づけるつもりはないし、おそらく未来はこのイデオロギーの中の混ざりあい、バランスのなかで進んでいくものなのではないか。

そのような未来を考えるにあたって、主軸となるイデオロギーは何個か存在すると考えている。下記が今は自分が捉えている物語である。
①加速主義、②新官房主義、③共同体主義、④修正民主/資本主義
これで網羅できている気もしないが、一旦このような4つの方向性を仮固定して、1つ1つの未来のイデオロギーについて深掘りしてみたいと思う。この記事を書くにあたってはPOLITICAL IDEOLOGIES FOR THE 21ST CENTURYの記事に大いにインスパイアされているので、ぜひ読んでいただければ幸い。

(*言い訳ですが、自分も専門家ではなく本から学んだ知識を解釈して記述しております、解釈などが異なったりこうおもうというのはぜひ教えていただければ幸いです・・)


1.加速主義:e/acc ・Synthetic technology

これは以前に自分のメルマガなどでも書いた未来に対するイデオロギー/大きな物語。ニックランドやマークフィッシャーなどが著名ではあるが、直近だと著名VCのa16zがThe Techno-Optimist Manifestoなどのポエムを書いたことでも有名ではある。

ざっくりいうと、いろいろあるけど資本主義もテクノロジーもひたすら加速させることで解決することがあるんじゃないのか?というのが自分の解釈。VCという職業柄はこのようなイデオロギーとは相性が良い。 カオスがないと大きな成長がでる企業はでずらい。変化を産まなければ、その機会がない

このイデオロギーにおいては何より重要視するのは、テクノロジーによる変化をできるだけ加速することだ。そこにおいて政府などの規制などは邪魔だと考えている。リバタリアン的な思想が色濃くでている。

テクノロジー盲信教

テクノロジー・科学技術を信じ過ぎているといっても良い考え方でもある。個人や人を信じるよりもアルゴリズムを信じる、AIを信じる、テクノロジーを信じるといったもの。「高度に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」というのは、英国のSF作家アーサー・C・クラークの名言ではあるが、今世界を覆っている思想の1つでなかろうか(コロナワクチンなどはその思想と、その対立を生み出した。mRNAのテクノロジーを全て理解して摂取している人は少ないが、テクノロジーを信用してワクチンを打っているはずだ。一方その逆のイデオロギーも露出させたが)

このイデオロギーにおいても、右派と左派がある。右派加速主義においてはある種の絶滅主義っぽさがでている。ニックランドなどはその傾向が強く感じられる。テクノロジーや資本主義を加速させた結果人類がいなくなったとしてもかまわないというような雰囲気を感じる。

左派加速主義

左派加速主義といわれる論者として有名なのは、スルニチェクとウィリアムズの加速主義宣言だとおもうが、彼らは右派と違い世紀末的な論者ではなく加速にベクトルをもたせた先にある人間を中心に置いている。彼らはテクノロジーの発展を加速させることによって、新たな社会の形成を狙っている。彼らの方針(ベクトル)としては、1. 完全な自動化 2. 労働時間の縮減 3. ベーシックインカムの整備 4. 労働倫理の衰退を方向性として提言している。

とどのつまり、"AIやロボットの技術進歩をできるだけ加速させて、ベーシックインカムの世界まで早く迎えれば人間にとっていいのではないか"というベクトルなのが、左派加速主義の主張である。これを実際に実装していっている人物がいる。それがSam Altmanだ。

Sam Altmanが創る世界

Sam Altmanは大きな物語、イデオロギーを主導している一人であることは間違いない。当たり前だけど彼がどういう人物なのかは本当のところはわからない(OpenAIの退任劇の裏側などの記事などが多く出ている。)

このあたりのことはこちらの記事で詳しく自分で書いたが、全てのコストをAIによって下げることと、UBI(ユニバーサルベーシックインカム)の実現のために、彼は投資と事業でその未来を着実に進めている。今後も彼の発言や彼が考えている大きな物語の上で世界が進んでいく可能性はありえるであろう。

幹/神/リヴァイアサン:AI・GAI
投資領域/テーマ:メタバース、AI、移動モビリティ、BMI、AR/VR、Biotech、創薬
イメージワード:Samaltman,AGI,UBI,加速主義,テクノクラート,Libertarianism,世界終末主義者,被人間中心主義,暗黒啓蒙


2.新官房主義:Corporate Libertarianism,新反動主義

こちらも加速主義的/資本主義を推し進めるという意味においては近い大きな物語であると認識している。GAFAMみたいな会社が世界を創っていくようなイメージをもっていただくと少し想像しやすいのではないか。いわば強く信じられる組織に未来の統治を任せるみたいなのがこのイデオロギー/大きな物語を支えているものである。

世界の舵取りを民主主義でもなく、AIでもなく特定の企業や人などに依存していくような流れがこの大きな物語であるように理解している。起業家精神を元に国家やそれに変わる大きな組織を運用したりして政治の範囲である都市計画やそういったものまで企業が行うようになってくる。

新官房学主義者からすれば、国家は一つの国を所有するビジネスとなる。他の大規模なビジネスと同様に国家は、形式上の所有者を、それぞれが国益の正確な一部分に対応するような流通性のある株式へと分割するかたちで経営されるべきものとなる(よって首尾よく機能している国家は、多くの収益を生むものになる)。それぞれの株式には一票の投票権があり、株主は経営陣の雇用や解雇を決定する役員を選出する。

(ポストヒューマニズム)

例えば実際にAmazonやTOYOTAやTencentなどのような大企業は都市計画まで行っているところが増えてきている。これはこのような文脈の切れ端が露呈しているもののように思える。

組織による統治 / リベラルな監視社会

組織や企業によるから何が判断基準になってくるかというと資本主義的な幸福の概念や、功利主義の概念で意思決定が行われるようになる。正義などの感情基盤よりも大多数の幸福をとる意思決定をする。もちろんそれは社会的正義とは一致する場合も多いが、まず正義とはなにか?みたいな議論はややこしくなるのでここでは棚上げ。

最大多数の幸福をするためには、ある種の統制をきかしていく、人間は自由であるべきだがしかしその自由を担保するためには組織による統治が必要という文脈を背負っている。それはPalantirのような企業なのかもしれないし、コロナが蔓延していたときの中国のようなことなのかもしれない。

このように自由を考えるためには統治が必要でそれが企業的にある種トップダウンで行われていくべきだみたいな未来の大きな物語は存在する。昨今民主主義の指標としては最悪を迎えてきている。そういった成熟した国民が熟考し民主主義を推し進めるというのはない世界だというのがこの主義の前提にあるように思える。

新反動主義と啓蒙の限界

こういった考え方は新反動主義と呼ばれるものにあたる。デモクラシーを拒否し、自由を擁護する姿勢全般のことを指す。アメリカの大統領選挙が近いが、マジで他に誰かいないの?(Literally Anybody Else?)という名前に改名して選挙にでる人がいるというニュースを見た。アメリカの空気感はわからないが、これがでるぐらい民主主義による選挙というシステムに対して感じている人は増えてきているのではないだろうか。

日本においても、そもそも選挙の投票率が高くないなかで、シルバーデモクラシーというような状態である。そこに更に、近年新興の政党が選挙をゲームのようにアテンション・エコノミーの一種として扱っているものがでてきてしまっている。このようなことに違和感を感じてきている人が多いのではないだろうか(この思想を扇動するつもりはない。)

新反動主義運動が、自由の称揚のもとに「啓蒙」を嫌悪し民主主義社会からの脱却を志向するのは、彼らの次の理解による。西洋社会は、本来であれば個人の自由を大幅に制限するはずの民主主義や平等といった啓蒙主義的な概念を受け入れてきたことによって、自らの弱体化に寄与してしまった。その結果が、九・一一以降後を絶たない西洋にたいする攻撃の多発であり、弱体化のトラウマを経た西洋社会では今、「啓蒙の後に続く」(キッシンジャー)新たな哲学が、あるいはポスト民主主義的な社会への移行を可能にする新たな政治理論が必要とされている

加速主義 資本主義の疾走、未来への〈脱出〉

このような文脈の中で、一種のマキャベリズム的なまた新封建制と呼べるようなものが未来の形としてありうるのかもしれないとは確かに思うが、少しディストピア感も感じる自分もいる。一方でこのような方向性に残念ながら時代が進んでいる感じもわかる。

この未来においてはデカップリングしていくことや、小さな国家や連帯などが多く生まれたり、企業自体がある程度人間を良くも悪くもコントロールするという方向性の起業やスタートアップというものが増えていくのではないかと思う。それは例えばトレンドとしてはDefencetechなどと呼ばれるものがUSでは出てきていることに現れている気がしている。

幹/神/リヴァイアサン:特定の組織や人
投資領域/テーマ:Smart City, Defencetech, 宇宙tech , ドローン,半導体,防犯テック
イメージワード:トランプ,GAFAM,​​新封建制,アシッド共産主義,米中対立,反ワクチンなどの運動,総督府功利主義者,新反動主義,ゲゼルシャフト,ニヒリズム


3.共同体主義:コミュニタリアニズム

このあたりから主語でどこまでくくっていくかは難しくなってくるが、コミュニティ・共同体を中心として未来が創られていくというイデオロギーは存在する。これは個人的には右派コミュニタリアニズムのような伝統主義・保守主義のような派閥と、左派的なコミュニタリアニズムと呼べるような新たなものでの結びつきを強めていく方向性があるのではないかと考えている。(ただここも何を基準に右派・左派とするかは非常に判断に難しく、間違っている気もしている。)
全体的にコミュニティ・連帯を大事にしてくイデオロギー・大きな物語である。

右派コミュニタリアニズム=コミュニズム・伝統主義

この右派としては原始的な繋がりやコミュニティ・集団を意図する。いわゆる地元やそういった土着性がある繋がりなどを重要視するものである。ある種の伝統的なコミュニティの要素を大事にしようとしていく未来。マルクスのいうコモンの再生などはこの文脈であるという理解。
またアメリカの政治学者のマイケル・サンデルなどが提唱するコミュニタリアニズム(共同体主義)にも近いものを感じる。そこにおいては、下記の説明がしっくりきたので引用する。

「人間は家族やコミュニティ、国家など、コミュニティの中で存在しており、そのコミュニティの価値や善(good)から影響を受けている。現代社会の問題を解決するには、個人が置かれているコミュニティを重要視した政治哲学が必要である

(web3の思想を理解するために必要な前提知識)

歴史や文化や共同体を支えてきたものを個人の自由を多少犠牲にしても優先することが幸福や未来に繋がっていくという思想のように捉えている。(もちろん程度はあるとはおもうが)なのでこの程度がひどいと、選択的夫婦別姓制度が進まないような自体になってしまうこともあるので、伝統や文化というものに対してやや右派に見る可能性があるのがこの考え方の未来にある。

マルクスのいうアソシエーションなどのようなものもこの右派共同体にも近いようなものである気がするし、原始社会にあったような共同体のようなものをマルクスはルイス・モーガンの古代社会を読みながら書いたため、そのあたりの共同体に関する右派感が個人的には漂う。

資本主義に代わる新たな社会において大切なのは、「アソシエート」した労働者が、人間と自然との物質代謝を合理的に、持続可能な形で制御すること だ、と。 アソシエートするとは、共通の目的のために自発的に結びつき、協同するという意味

100分deわかる資本論

左派コミュニタリアニズム=Crypto アナーキズム、Networkstate

この左派とはweb3やDAOのようなコミュニティを中心としていく未来である。右派が共同体や国家というものに対してコミュニティを拠り所とすることにとことなって、例えばチェーンごとや、そのシステムや、DAOのようにトラストレスな投票システムなどによって組成されたコミュニティなど新しい共同体を創造していくような未来である。

共同体というのは何も国家や国民という単位ではつくるだけではない、想像の共同体であって本来目に見える共同体ではなかったはずだ。今回例えばトークン、例えばDiscordなどのようなもので”想像の共同体”を創る試みというのは進んでいる。これはBarajiの提言するNetwork statesのようなものに近い未来感であると自分は捉えている。

ネットワーク国家は、国家のように物理的に中央集権化されているわけでも、都市国家のように規模が限定されているわけでもないということだ。地理的に分散化され、インターネットによって接続されているのだ。重要なアイデアは、クラウドから国土を人口化し、地球上のあらゆる場所でそれを行うことだ。イデオロギーがバラバラで、地理的に中央集権的なレガシー国家とは異なり、ネットワーク国家はイデオロギーは一致しているが、地理的に分散している。国民は世界中に大小さまざまな集団で分散しているが、その心は一カ所にある。

(Netoworkstate)

このように新たな基準をもって共同体を創っていくことはクリプトがわかりやすいが、その未来を利用しているのは例えばD2Cの文脈で語られるコミュニティや、ファンダムのようなものはそれにあたる気もしている。

これを書きながら、柄谷行人の"力と交換様式"における、交換様式Dの到来などがこの共同体主義には願望としてある。ローカルにとどまることが右派共同体主義で、それが高次元で回復していく可能性があるものが、左派共同体に見ることができる。

A:互酬(贈与と返礼)、B:服従と保護(略取と再分配)、C:商品交換(貨幣と商品)、D:Aの高次元での回復
(中略)
BやCをやめることはできないので、Aに基づく社会を形成することが重要。しかしそれはローカルにとどまる。DはしかしAと違って向こうからくる。Aの反復、いいかえればAの高次元での回復でDが到来する

力と交換様式

幹/神/リヴァイアサン:コミュニティ、合意、システム、共感
投資領域/テーマ:Blockchain,D2C,DX全般,SaaS,SNS,コミュニティサービス
イメージワード:Networkstete,Baraji,交換様式D,コモン,公共財,マルクス,ゲマインシャフト


4.修正民主/資本主義:効果的利他主義・Digital Democracy・SDGs・Woke capitalism 

最後に考えている未来としては、今の資本主義と民主主義的なものを前提に改善しながら進めていくという未来感・大きな物語が存在すると考えている。勝手に修正民主/資本主義と自分が名付けたが、それは効果的利他主義的とも言えるし、SDGsやDigital Democracy、Woke capitalismと呼ばれるものにあたるように解釈している。

民主主義ビリーバー/信じるが工夫する

今進んでいる未来の中でも様々な問題が発生しているが、それを民主主義や資本の引力を変更することによって乗り越えられるはずだという大きな物語がここにはあるように感じている。それは例えば地球の環境問題などにおいて、人新世というワードの登場や、脱炭素・気候変動などのようなものを未来において解決すべきテーマだと定め、それを資本主義の引力変更と、民主主義的なムーブメントで解決できると信じる物語である。

ここに例えばEA(効果的利他主義)のような考えが存在し、個人的な解釈でいうと資本主義的な価値観でROIを追求する利他主義だと認識しているが、そういった思考や考えを元に資本を再配分をしていくことで問題解決を図るというものも同様である。そうした考え方は下記の引用を見ればわかりやすいので引用する。

功利主義者であるシンガーは、善意もコストパフォーマンスで考えるべきで、同じ1万円を慈善活動に投じるなら、たまたまテレビで見た「かわいそうなひとたち」に寄付するのではなく、自分のお金がもっとも有効に使われる(同じお金でより多くの生命を救うことができる)プロジェクトを支援すべきだと論じた。
さらに効果的な利他主義者は、苦しい家計から捻出した善意の1万円よりも、大富豪からの1億円の寄付のほうがずっと大きな価値があるとする。1万円で1人の生命が救えるとすれば、1億円では1万人が救えるからだ。
ここから、「優秀な若者がボランティア団体で働くのはコスパが悪く、ウォール街などの高給の仕事について、その給与からより多くのお金を効果的な慈善団体に寄付すべきだ」ということになる。

テクノリバタリアン

これらのような動きを米国などではwoke capitalism というような言葉で語られることもあり、ポリティカル・コレクトネスに基づいた行動をすることによって経済成長(会社成長)自体も可能であるからこそ、そういった意識をもつことが重要だとする論調である。

民主主義・資本主義の欠陥に向き合う

しかし資本主義・民主主義などにも不完全性があることは承知である。例えば効果的利他主義は資本主義を補完するため、例えば多元主義/Pluralityのような言葉で語れるような、多様性のある社会グループの組成とそれを組んだシステムの開発により民主主義の不完全性を補えることができるという思想もでてきている。

多様性がある社会文化的なグループやシステムが、お互いに協力しながら繁栄する社会哲学を、わたしは多元主義だと捉えています。多元主義は“リベラリズム”のように社会集団の進歩を志向し、“自治”や“民主主義”のようにグループ内の一人ひとりに説明責任を負い、共通の目標に向けて異なる社会集団を横断したかたちで協力し合いながらコンセンサスを目指すものです。

デジタル・デモクラシーによって多元主義を実現する

ここにおいてはGlen weyleなどが代表的な論者の一人である。私有財産に定率の税をかけることによって所有に関しての考え方を変えるような提案をしたり(共同所有自己申告税COST)、民主主義の投票においてQuadratic votingのような平方根に基づく投票システムなどを提案している。今回ではここの詳細の説明は省くがどちらも非常に面白い/チャレンジングな案であるのでぜひ読んでいただきたい。

このように資本主義も民主主義も欠陥をかかえていて、それを現行の世界観・イデオロギーの中での修正をするとしたならばこのような物語やイデオロギーは存在するのではないか。

幹/神/リヴァイアサン:民主主義による投票、ポリティカル・コレクトネス
投資領域/テーマ:気候変動系,NPO,介護,教育,Crypto,Govtech
イメージワード:対話、Glen weyl, woke capitalism,カテドラル,多元主義,ラディカルデモクラシー,修正資本主義


4つの未来は混在する

このように4つの未来の大きな物語に対して書いてきたがどれか一つの思想だけで世界が統一されていく感もないし、どれかが絶対的に正しいということもない。(もちろんきてほしくない未来・物語もあるが・・)

タイトルでは"VS"をつけたが、そのなかでこのような思想が混ざり合っていくことになっていくのではないかと考えている。理想としているものから目指している未来や、人間の本質や事実をもとにしているリアリズムっぽい未来感もあるだろう。そのなかでうまく配合していくことが必要である。極端なものは面白いが、何かを捨てている。

未来を実装するのは人である

この記事は、未来を創っていくために起業やなにかを起こそうとしている人に対してどの未来にbetしたいかということで書いてみたが、VCの仕事をしていてより強く感じるのは未来を実装するのは神様や時代性などではなく、人が実装していくことだ。なのでどのような思想やビジョンで社会や企業を創っていくかというのは、想定する以上に大事なものであると日々仕事をしながら思う。

そういったことを考えるためのきっかけとして今回の記事がなれば幸いであるし、こういったことは今後も考えていきたい。なにか今回の記事が思考のヒントになれば幸いである。


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