博士号が取れなかった理由(専門分野編)

割引あり

前回までの内容ははてなブログに書いています。結構なアクセスをいただきありがとうございました。

今回からはnoteで書いていきます。
前回は学内に限ったこと、つまりは「大学院に進学して誰もがそこそこ経験しうること」に絞って書きました。今回はもう少し内面的な、専門性との向き合い方についての話をします。

学術へのあこがれ

学部生の4年間でロクに勉強してこなかった私は、「修士でいっぱい勉強すれば知りたいことが全部わかるはずだ!」というエネルギーで進学しました。ここには「全部わかっているなら研究はいらない」とか「お勉強するだけなら修士に行かなくてよい」とかいろいろ審議に値する点はあるのですが、一番大きな問題として「勉強してこなかったために2年間でできることのイメージがなかった」というのがあります。これは修士を終えたぐらいから自分の立ち位置を分からなくさせる要因となりました。大学院に行けばスーパー学術知識マンになれると思っていたわけです。

修士での2年間

修士に入ってすぐは授業の嵐で、M1の前期で講義系の単位は取り終え、後期でディスカッションメインのゼミ・演習系の単位を取り終えます。言語学・言語教育学の分野では留学生も多く、学際的な学風も重なってM1で修論について考える人は周りにはいなかったように思います。そうなると「自分は何がしたいのか」についてはあまり考えることなく日々漫然と授業と論文と読書と酒を繰り返すことになります。「授業に出る暇があったら勉強をしろ」と言われるような大学だったので、漫然と過ごす人間はシンプルに置いて行かれることになるわけです。
ところが修士に入ってから一生懸命勉強を始めた私は論文や本の読み方も分かっていないのに(前回記事参照)たくさん読むので、知識を身に着けていく興奮だけ味わい続けます。指導教官のつながりで始まった共同研究などで研究テーマが変わりながら修士論文にタッチし始めるのはM2の夏。その時は理解できるものだけ理解しようとしていたため、自分の研究テーマに対して適切な手法や業界のスタンダード、リサーチクエスチョンの立て方なども分かっていませんでした。
ただ修士号というのはちょっと勉強すれば取れますし、「何を学んだのかをたくさん書く」というのが修論とされる文化だったので、修士号は取れました。余談ですが、今思うと研究テーマとしては筋のよいところを攻めていたので悪くない評価を受けていたと思います。評価するのは指導教官以外は異分野の先生ですしね。でも指導教官の指摘の意味が分かったのは数年経ってからでしたが…。
修士を過ごしていて、修論を書いていて、「これでは何も分からないまま修士を終えてしまう」と焦った私は博士課程進学を決めます。「何がやりたいか分からない」「自分の能力値・研究の立ち位置が分からない」この2つの大きな課題を抱えたまま…。

学会での出会い

初めての学会は某学会のSIG(支部会や研究会のような、学会の下部組織の運営する集まり)での「卒論・修論発表会」という場でした。世の中にどんな学会があるのか知らなかった私は、Twitterでこちらを運営している人たちをウォッチし、「とりあえずこれぐらいがいいだろう」と飛び込んでみたわけです。まったくつながりのないところから飛び込んだ人間からすると「ほかにもわんさか人がいるだろう」と思っていたんですが、運営も発表者も身内で、他所から飛び込んできた人間は見事に囲い込まれとても懇意にしていただけました。
その日の衝撃はすごいものがありました。流暢に組まれたロジック、整理された(教科書や論文で見たような)統計処理、(何を言っているかは分からないけど)何やら立派な結論。まさしくこれが自分が属する業界のアカデミックなお作法だったのです。当時はお作法が存在するなんてことはよくわかっていなかったため、「同じ2年でこんなに『研究』をしてきた人がいるのか…!」という衝撃を受けていました。
もちろん同時に発表した修士の人たちでさえこんなレベルだったので、その後わたしを可愛がってくれた人たちは圧倒的でした。深夜まで大学で研究を行い、なにやら難しい言葉で議論をし、「あれを読んだか、これを読んだか」と論文の話をしています。ただわたしには外でのつながりはこの人たちやここで出会った先生方しかいませんでした。そのため「これぐらいものを知らないといけないんだ」という焦りにつながりました。この焦りは「スタンダードとして何を勉強しておくべきか」を理解させるには良い効果があったのですが「自分は何をしたいのか」を考えるには疑問があります。知識の欠乏は本質的な課題に向き合うことを忘れさせてくれる薬でした。論文を書くにも「知識が足りない」で済ませてくれるのです。駄文でもよいので何か書き続けないといくら賢くてもゴミです。論文でもブログでも日記でも、なんでもいいので常に書き続けなければいけなかったと思います。

博士課程の4年半

博士課程に入ると修士に比べて授業もなくなる一方、謎の雑事が増えてきます。それは非常勤講師としての授業準備や後輩や先生の面倒を見ることだったり、勉強会の設定やアウトリーチ活動(学術界以外へのアピールとか)だったりします。「有償の研究者」としての立ち振る舞いが求められますし、学術的な立場にいるとそれも重要な貢献でしょう(「有償の研究者」とは、お金を払って研究をさせてもらえるありがたい立場のことを指します)。
求められる期待も大きくなり、専門性の理解が必須となるため、専門分野のインプットに時間が持っていかれます。業界スタンダードがはっきりしている分野ならそれでいいのですが、学際的なアプローチで業界変革が起こりやすい分野だとそうもいきません。幅広い教養が必要になるのですが、これが修士より時間が取れなかったりします。こうなるとほかのことを考える余裕がなくなってきたり、古典を読まなくなったりしてきます。冷静に考えるとただの焦りなので、目の前のことは忘れて古典を読んだり、哲学をやったり、異分野の人とたくさん話したりするべきなんですが、目の前の業績が求められる現代ではそう簡単なものではないでしょう。
わたしも4年目からは常勤で日本語教師をしていたのですが、日本語教師になってからのインプットの少なさは驚くものでした。インプットが少ないので過去の知識と経験で物を語るようになります。小手先のテクニックは優れているのでまるで経験で語ることに意味があるような振る舞いをするわけですが、理論を理解していなかったり、最先端を知らなかったりするだけなのです。
授業準備で必要なインプットと適当な異分野理解で学生にアドバイスを行うようになった自分に気付いた時、もうアカデミックな人間を名乗ることができないことを自覚しました。

まとめにかえて

結局わたしは想定よりかなり劣化した「スーパー学術知識マン」にしかなれなかったわけです。なぜなら、駄文であっても生み出す苦痛を受け入れず、表層的な議論にしか目がいかず、自分自身を問うこともできずに生きてきたからです。能力値が高いかどうかよりもこういった一種マイペースなメンタリティが求められる世界で本質的な話を念頭に置くという技術を持たないまま進学したのが大きな痛手でした。これは学部生の時にまじめに学問と向き合おうとすれば大抵身につくことかと思います。もちろん環境やタイミング的不遇に出会ってしまったこともありますが、今はいくらでも情報が手に入るので言い訳にもならないでしょう。

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