ナカイユウヒの雑談 2009
2009/1/1 「新年」
年が明けた。やっぱり、年も新しいほうがきれいでいいな。でも12月くらいになると、もうぼろぼろになって飽きちゃって使いたくなくなっちゃうんだよね。ところどころ黄ばんじゃうし。で、毎年最後のほうは消化試合みたいになるわけだけど。今年は最後まで使い切りたい。有意義に。
今日は珍しく、明治神宮に参拝に行った。そういえば最近神社に行ってないから、そろそろ行ってみようかな、年も明けたことだしと思って。そうしたら、たまたま今日参拝する人がものすごく多くて、ウジ虫の如く人がごった返していた。仕方なく、順番を待つことにした。
本殿に向かう途中、大きなスクリーンが置いてあった。そこには、その横に設置されたカメラを使って、ウジ虫の群れが映し出されていた。自分たちが映っていることに気づいて、あちこちで手を大きく振るやつがいた。ああはなりたくないなあと思った。
ずいぶん時間がかかって、ようやく参拝完了。これだけ並んでも、今年一年幸せに過ごせるだけなんて、割に合わないなあと思った。
しかし物理的に見れば、これだけ多くの人が、お金を投げ入れるために集まってるわけだから異様な光景だな。
ちなみに僕は神様を信じていないので、お祈りではなく、自分に誓いをたてるために行きました。今年こそ頑張るって。
2009/3/26 「いびき」
夜寝ようとすると、隣の部屋から大きないびきが聞こえてくることがある。というか、毎日のように聞こえる。少しは遠慮してほしいものだ。僕はいびきをかかないことにしているが、見習ってほしいものだ。
それにしても、いびきの独特な音って、起きているときに再現しようと思ってもできない。ガーーっと喉を鳴らすことはできるが、本物のいびきとは程遠い。うなり声にも近いが、それも本物とはだいぶ違う。寝ている間だけしか出せないのが不思議だ。
2009/4/7 「雑談と情熱の間」
プリンタがいつの間にか壊れてしまった。えぷ山そん太郎さんが立ち上げ、社長の名前を取って社名にしたことで有名な、エプソン社の複合プリンタで、ずいぶん古い機種なのだけど、黒いインクが出なくなってしまった。インクの残量がないわけでもないのに。インクを取り換えれば使える可能性もゼロではないが、どうも違う気がする。どうやら故障のようなのだ。壊れたプリンタほど部屋に置いてあって邪魔なものはない。あるとすれば使わなくなったロデオボーイとか、祈らなくなったお地蔵さんとか、着なくなった武者鎧とかしかないだろう。
スキャナとしてはまだ使えるし、すぐに買いかえるお金もないとはいえ、最近はプリンタも進歩し、この壊れたプリンタよりもいろんな面でいいものが1万円も出さなくても買える時代だ。修理に出すより買いかえたほうがトクなのは明らかだ。しかし、このでかいのをどう処分していいやら。壊れたプリンタが必要な人がたまたまうちに引き取りに来てくれたらいいのに。
それはともかく、爽健美茶などに含まれる成分の「キヌア」という文字を見ると、どうしても「リーブス」という言葉が浮かんでしまうのは、仕方ないのでしょうか。諦めるしかないのでしょうか。皆さんはどうしてますか?
2009/5/5 「速報」
4月くらいから、筋力トレーニング。略して筋トレをちょっとずつやっている。めんどくさがり屋が服を着て歩いてるような僕が、無理なくできるくらいのペースだ。でも、ちょっとずつ体の各部位が、ややかためになってきた。効果は出ている。
このまま頑張って、左の肩のあたりをモコっとさせて、ショルダーバッグがずり落ちないようにしたいと思う。
2009/6/3 「もういいんだ・・・」
自分が嫌になる。
今日はカレーでも作ろうと思って、材料を用意していた。まずニンジンを切って、それから玉ねぎも切ってみた。そしたら、ぐじゃっとなった断が・・・。明らかに悪くなっていた。ずいぶん前に買った玉ねぎだけど、まだ大丈夫だろうと、1~2週間くらい前から思い続けてきたのに。
玉ねぎを入れないカレーは食べたくない。しかし、スーパーまではだいたい4光年くらい離れているので、玉ねぎを買いに行くのはめんどくさい。絶望だ。
途方に暮れつつ、ひょっとしたら覚えていないだけで玉ねぎを昨日買ったかもしれないと思い、冷蔵庫を開けてみた。
残念ながら、やはり玉ねぎはない。そして、たまごの賞味期限が明後日だ。
しかし、この6個入りのたまごは開封すらされていない。「パック日:5月22日」と書いてあるが、買ったのは5月30日くらいだったと思う。完全に賞味期限を見ないで買っていた。しかも今日まで見なかった。明後日までに一人で6個のたまごを食べなければならなくなった。あまりに急な話である。
自分に無性に腹が立ち「じゃあもういいよ!オムレツをおかずに生たまごかけごはんだ。
たまご食いまくってやる」ということになった。さっそくたまご3つ分でオムレツを作った。でも、まだご飯が炊けていないので、先にオムレツを食べながらこれを書いている。
ちなみに今日の昼食はタマゴサンドだった。
2009/7/15 「赤ワイン」
赤ワインを買った。お酒は別に好きではないので、いままで家で一切お酒を飲まなかったのだが、最近読んだ本によると、ある程度のお酒は体にいいらしい。特に赤ワインはポリフェノールが入ってるからすごいらしい。あのポリフェノールが入っているから、それはもうすごいらしい。ポリフェノールがなぜ体にいいのかは知らない。たぶん、体中の病気が全部治るとか、そういう効果があるのだと思う。
そんなわけで、健康のために、たまに飲んでみようと思って、買ってきたのだった。でも、ワイングラスがないんだよな。ワイングラスで飲まないと、せっかくのポリフェノールの効果も半減してしまう。でも「ポリフェノール2倍」と書いてあるワインを買ってきたから、普通のコップでも、普通の赤ワインと同じポリフェノールだし、まあいいか。
2009/8/23 「近況」
最近、お前はどんな生活をしているんだと、気になっている人もいると思い、近況を報告しようと思う。
お米が切れたので、そして今から稲を育てるのは面倒なので、冷凍食品のエビピラフをレンジで温めて食べた。
ちょっと前に、このエビピラフを半分袋から出して食べたのだが、たくさんエビが入っていて、この商品は豪華だなあなんて思いながら食べたのだった。「エビピラフ」というより「エビカーニバル」を食べた気分だった。
そして、今日はもう半分を食べることにした。しかし、エビが一匹しか入っていない。この前はあんなにいたのに。わさわさ動いているのを、逃がさないように食べたのに。今日は一匹・・・。なんというエビの偏りだろう。前半にほとんどすべてのエビを出し切ってしまって、後半には1エビしか残っていないとは。
これでは「エビピラフ」を食べた気がしない。食べたのはただのピラフだ。ハンバーガーでいうとハンバーグを抜いて「アー」しか残ってないようなものである。
事前にエビの偏りを避けることはできなかっただろうか。昔から「エビの偏りはないほうがいいよね」という諺があるが、エビの偏りを避けることは、現代科学をもってしても難しいのではないかと思う。
なにしろ、半分出した段階では、もう半分にも同じくらいエビが含まれていると人間は錯覚してしまうのだから。
だが、絶対にエビの偏りを避ける方法がひとつある。一度に一袋食べるのだ。でもたぶん食べきれないから、エビが偏っても半分ずつのほうがいいな。
と、まあそんな生活をしている。
2009/8/31 「くらしぶり」
わざわざ5番街まで来なくていいように、どんな暮らしをしているのか前回に引き続き書こうと思う。
昨日、久しぶりにハンバーグを作った。出来はまあまあ。やはりハンバーグに関しては、手作りのほうが市販のレトルトのやつより断然うまい。
床にこぼれたひき肉を拾い集めて作ったので、たまに髪の毛が入っていたりしたが、それを差し引いても十分おいしかった。この際、手作りハンバーグの店でも開こうかと思ったくらいだ。
今日は昨日のタネの残りを凍らせておいたやつを焼いて食べた。昨日は、食べた後、おなかの調子が少しおかしくなったが、今日はよく焼いたので大丈夫だった。
そして、まだパン粉が大量に余っている。ハンバーグを作ると、できるだけ少ない量を買っても必ずパン粉が余るという法則がある(たしかそれが熱力学の第3法則だったと思う)。なので、近いうちに、またハンバーグ作ります。料理は短期間に同じものを何度も作るほうが上達するような気がするし。ハンバーグ以外にパン粉の使い道ないし。
僕にもし友達がいれば、作ったハンバーグを食べに来てもらいたいところだが、パン粉がなくなるまで、一人で作っては食べ、作っては食べ・・・。ということになる見込み。
そんな暮らしをしている。
2009/10/24 「筋肉痛」
3日前に、わけあって、ビリーズブートキャンプ的な激しい運動をしたため、今日まで、ずっと筋肉痛が続いている。筋肉痛初日は、足が特に痛かったが、昨日は腹筋の痛みがピークだった。「腹筋にしがみつきババア」に執念深く、腹筋を両手で握られ続けているような痛みだった。走ることはできず、歩くのもキツかった。
しかし、今ようやく落ち着いてきた。筋肉は一度壊れると、治るとき、少し強くなるらしい。回復するとさらに強くなるこのメカニズムを「超回復」という。筋トレはこのメカニズムに基づいている。僕の体で、いま超回復が起こっていると思うと、なんとか痛みにも耐えられそうだ。完全に治ったときには、今まで僕のへなちょこ筋肉を馬鹿にしていた連中も少しは僕を見直すに違いない。ちなみに役人などが悪いことをしてやめさせられることを「懲戒免職」という。
2009/11/1 「深手」
1週間以上経つが、まだ、筋肉痛が完治しない。
いや、もうだいたい治ってるのだが、弾をよけようとして体を反らしたときだけ、腹筋が痛むのだ。筋肉痛も怪我の一種だから、相当な深手を負っていたんだなあと思う。
2009/12/4 「タウリン」
栄養ドリンクたちがよく使う口説き文句に「タウリン1000mg配合」というのがある。
中学の時の理科の時間、先生が「1000mgっていうと、多いと感じるかもしれないけれど実際は1gってことだからね。たったの1gなんだよ、でも1gって言うと少ない感じがするから1000mgって言ってるんだ。『タウリン1g』って言うより『タウリン1000mg』って言ったほうが多く感じるでしょ」などと言っていた。
ただ僕は「タウリン」などという、わけのわからない物質は「1g」と言われても、十分にその量の多さに驚く。なにせ一円玉と同じ重さだ。そんなにたくさんのタウリンを摂取しても大丈夫なのだろうかとすら思う。
例えば「ユンケルローヤル100」という商品の場合
ローヤルゼリー50mg
タウリン1000mg
ビタミンB1硝酸塩10mg
ビタミンB2リン酸エステル5mg
ビタミンB6 10mg
ニコチン酸アミド20mg
無水カフェイン50mg
とある。
このように圧倒的なタウリン。とても「たった1g」などいう気分にはなれない。
そんなことを感じながらも、いまだにタウリンの具体的な効き目については知らないまま、たまに栄養ドリンクを飲んでいる。
2009/12/6 「正しい日本語」
「正しい日本語を使おう」というような呼びかけは、古くからある。おそらく、古代ギリシャ時代からあるだろう。
そして、間違った日本語を使う人を見ると、鬼の首を取ったようにそれを糾弾する人をよく見かける。僕も、雑談師という職業柄、日本語には敏感だが、正しい言葉遣いにそれほどこだわる必要はないと思う。表現は自由であったほうがいいからだ。正しさにこだわってばかりいると、面白い表現が生まれない可能性が高まる。
例えば「『上を見上げる』は間違いだ」という人がいるかもしれないが、僕はそうは思わない。少なくとも表現としては正しいと思う。「見上げる」という言葉には目的語が欲しい。何を見上げるのか。ただ「見上げる」だけでは空なのか、チェ・ホンマンなのか、どちらなんだろうと聞き手は疑問に思う。でも話し手が、空でもチェ・ホンマンでもなく、見上げたのが、ただ「上」だったとき「上を見上げる」と言うのは聞き手に対しての優しさだと思う。
その場合「上を見る」と言うべきだという反論があるかもしれない。しかし、「見上げる」と「見る」は違う。「見上げる」は確実に首が動くが、「見る」は目線だけしか動いていない場合も含まれる。
「まだ未定」は間違いだという意見にも、僕は反対だ。「未定」は「まだ決まっていない」という「状態」である。その状態が「まだ」続いている場合だってあるだろう。そういうときに「まだ未定」という言い方をするのがなぜ間違いなのかのほうがわからない。
まだわからない人のために例をあげると、「ねえ、いつ奥さんと別れてくれるの?」「う~ん?未定だよ。これから考えるよ」一週間後・・・「奥さんと別れる日決まった?」「いや、未定だよ。そんなに早くは決められないよ」「え?まだ未定なの?」
このように未定の状態から時間がたっても、未定の状態が続いていれば「まだ未定」なのである。なにもおかしいことはない。
このように「重複」と呼ばれる、間違いとされている表現は、僕から言わせるとしかるべき表現であることが多い。
言葉は、意思を伝える道具であり、伝えたいことを伝えるという目的を果たせる言葉使いこそが「正しい」のであって、文法のようなあとから付けた理屈みたいなものに則って「正しい」かどうか決めるのはむしろ間違いだと思う。
2009/12/6 「かなりはいなりではない」
前回の続きだが、別に僕はどんな言葉遣いだろうが構わないと考えているわけではない。
基本的には正しく言葉は使うべきだと思うし、嫌いなのもある。
女がよく使う「チョーうける」「かなりヤバいんですけど」みたいな、うわついたかんじのやつだ。
しかも「かなり」を「えなり」と同じ発音ではなく「いなり」と同じ発音をしていたりすると、最近の若いもんは、まったくと思う。「かなり」というときは、必ずえなりかずきを思い出すようにしてほしいものだ。
そういう言葉の使い方は、どこか「普通じゃつまらないから、面白くしよう」的な意図が見えるのだけど、そしてそれは共感できるのだけれど、いかんせん面白くない。面白いことを言おうとすると、ダジャレばかりになってしまうオヤジと同じで、センスがない。内容のなさを、飾り付けでごまかそうとしている感じがするのである。携帯メールで、やたらたくさん絵文字を入れたりするのも同じ理由で嫌いだ。
はっきり言う。嫌いだ。顔文字とか、2ちゃんねる用語みたいなやつとか全部受け入れられない。
そういうものがあふれている昨今。生きにくいなあとしみじみ思うのである。
2009/12/7「アドバンス」
子どもの頃、よく、友達と一緒に校庭の地面に3×3の枠線を作って、そこに○とか×を入れていって一列揃えるというゲームをやったものだ。「○×ゲーム」っていうやつだ。
僕は、その当時「○×」におけるすべてのパターンを研究し、「○×六段」を名乗っていた。ただ、あのゲームも、ある程度知能が発達する小学校高学年くらいになると、何度やっても決着はつかない。いつも○も×もそろうことなく終わってしまうのである。
そこで、僕が開発したのが、「○×アドバンス」である。
「○×アドバンス」は5×5の枠で行われる。ルールは元祖と同じように2人が○と×に分かれて交互においていく。すべて埋まった時点で○や×が3つそろっている箇所が多いほうが勝ち。一か所につき1ポイント。4つそろっている箇所は2ポイント。5つそろったらその時点でその人の勝ち。
これだったら、守りと攻めを考えながら、高度な駆け引きを楽しむことができる。
さらに枠を5×4にしたり、5×6にしたり、自由に変形させてもいいし、4つそろったら3ポイントにするなど、ルールをちょっといじっても面白い。
普通の○×に飽きた子どもが近くにいれば、この○×アドバンスを教えてあげてほしい。
2009/12/8 「おまじない」
新宿とかにある動く歩道に後ろ向きで乗って、足踏みをすると、なんだかムーンウォークが上手い人になった気分だね。
そんなわけで、とっても素敵なおまじないを教えちゃうよ☆
「気持ちよくお風呂に入るおまじない」
お湯を入れる前に、浴槽の内側をピカピカに磨いてみよう。すると、いつもと同じ温度のお風呂なのに、不思議となんだか気持ちいい感じがしてくるよ。
2009/12/10 「警告」
前から言おうと思っていて、つい忘れていたことなのだが、今思い出したから言っておこう。
これだけはどうしても言っておかなければならない。今ここで言っておかないと、第2第3、あるいはもっと多くの犠牲者が生まれることになってしまう。
漫画喫茶に漫画を読みに行ったとき、リクライニング席を選んではならない!
これは警告だ。守らなかった場合の保証はできない。
漫画喫茶の店内は暗い。そんな中でリクライニングに寝そべりながら漫画を読もうとすればどうなるか。
そう。個室のライトは前方の机の上を照らすようについているわけだから、リクライニングで楽な姿勢をとろうとすれば、どうしても逆光になってしまう。開いているページは陰になり表紙にばかり光があたっている状態になってしまうのだ。
それを避けようとすれば、うつ伏せのような形になるしかないのだが、いかんせんリクライニングシートだ。うつ伏せになろうとすると、エビ反りのような体勢になってしまう。
こんな体勢を長時間キープできるのは、エビくらいのものだ。でもよく考えると、エビは体を反らしているのだろうか。内側に丸めている印象のほうが強いのだけど。
そんなことはどうでもいい。問題なのは「実るほど首を垂れる稲穂かな」という俳句があるけど、稲穂はどっちが前かわからないから、実はどんどん体を反らせているのかもしれないじゃないかということだ。
そうではなくて、リクライニングシートは楽なイメージがあるかもしれないが、読書には向かないということ。それでも読もうとすれば、結局普通に座って読むことになるのだけど、リクライニングだと変にお尻が沈んでしまい、普通の椅子のほうがむしろ楽だと気づくだろう。
あと、リクライニングはパソコンにも向かない。背もたれに寄りかかったら、キーボードに手が届かないから。向いているのは、本当にただ寝るときだけだろう。
お勧めはフラットシートとか、座敷席みたいなところ。いろいろ姿勢を変えながら本が読めるし、寝る時も寝返りが打てる。読むにも寝るにも、パソコンにも対応できる。
2009/12/11 「かな」
パソコンの文字入力は、大抵の人がローマ字入力を用いている。ローマ字のほうが、使うキーが少ないから配置を覚えやすいのがその理由だろう。
小学校に教育実習に行ったとき、子どもたちにパソコンの使い方を教え、同時にローマ字も教えた。覚えたローマ字をパソコンの文字入力で使おうということだ。つまり、現代においては小学校教育の段階でローマ字入力が推奨されているのである。
ただ、そうなってくると、かな入力を極めたらすごくね?という考えがふと浮かぶ。キーの位置を50音すべて記憶することさえできれば、タッチ回数が少ない分ローマ字より速いはずだ。
実際にかな入力がすごく速い人もおそらくいるはずなのだ。ローマ字のほうが、圧倒的多数でメリットも大きいと考えられているなか、かな入力で驚くべきスピードでキーを打つ人がいたら、それはもはや曲芸の世界という感じがする。そんな人を見てみたい気もする。
自分も人を驚かすような芸を身につけたいという人には「かな入力」をお勧めしたい。
2009/12/15 「スーパーに行くと」
スーパーに行ったとき、必ず買うものがある。
S&Bのぺペロンチーノのパスタソースである。2口コンロのひとつでスパゲッティーをゆでながら、もうひとつのコンロでニンニクやとうがらしをオリーブオイルで炒めておいて、炒めあがったら、それを流しに捨てて、ゆで上がったスパゲッティーをお皿に乗せた後、そのソースを混ぜるだけでペペロンチーノが簡単に作れてしまうという、お手軽アイテムである。
世の中何が正しくて、何が間違いなのか、考え方や立場によって違っていて、答えは見つからない。でも、ニンニク料理はものすごく上手いということだけは真実だ。
しかも名前がペペロンチーノだ。「ぺペロン」で始まるスパゲッティーはペペロンチーノ以外に考えられない。「ビヨン」で始まる歌手がビヨンセしか思い当たらないように、「ドビュッ」で始まる作曲家がドビュッシーしか思い浮かばないようにである。
これを開発したS&Bに、神のご加護があればいいと思った。例えば大編成の弓隊が矢を雨のように放っても、眼を閉じて微動だにしないS&Bに、一本も当たらないとか。
2009/12/21 「砕けちゃえばいいのに」
ことわざには、それを言われると「あー、確かにそうだよな」と納得させる力がある。
例えば「二兎追うものは一兎も得ず」。確かにそうだなあ、と思い当たることは誰にでもある。テレビを見ながら外科手術をしているとき「先生!『二兎追うものは一兎も得ず』ですよ」などと言われると、確かにどちらにも身が入らないから、一つのことに集中しないとなあと思ったりする。
このように、ことわざによって納得させられ、じゃあテレビを消して手術をしようとか、おなかを閉じてテレビを見ようとか、行動にも変化が現れたりすることがある。
だけど、どうも納得できないのが、「あたって砕けろ」である。砕けたくないではないか。それを聞いて人は「よしやってみよう」と思うのだろうか。どうも説得力がないような気がする。
もっと「それならチャレンジしてみよう」と思えるような、ポジティブな感じにはならなかったのだろうか。まあ、これからの「あたって砕けろ」に期待しよう。
2009/12/23 「ウサギおいし」
昔の話。どこの局とは言わないが、夕方のニュース番組で、中学生が学校のウサギを刃物で殺害したという事件を紹介していた。
その事件に対してコメンテーターのK村太郎さんが、「最近の子どもは、ゲームなどの影響で感性が麻痺しているのではないか」といったような、ありがちなコメントをしていた。
次の瞬間、番組はニュースのコーナーを終え、楽しい話題のコーナーに切り替わる。そこでは屋外で板前さんがマグロを包丁でさばき、それを見ている人が「おいしそう」と言っている様子が映っていた。いわゆる「解体ショー」である。
何だこれは!なんでウサギはダメで、マグロはいいんだ!?
もちろん僕だって、ウサギは食べないし、マグロはおいしく食べる。でも、刃物で生き物の体を切っているのは同じではないか。
僕は、疑問と同時に怒りも覚えた。ウサギを殺したらダメなのは当たり前で、マグロを切るのは素敵なショーなのは当たり前という感覚を、何の疑問もなくテレビは押しつけてくるんだということに。
もし、ウサギを殺すことに何のためらいも持たない人がいたとしたら、人はその人を非難するけれど、それは本当に悪いことなのだろうか。牛や豚をためらわず殺す人は許されるのだろうか。マグロを切ることを「かわいそう」だと思う人がいたらどうなのだろう。
いろいろ考えてしまうが、一言で言えば「勝手なもんだなあ」。食べるものと、そうでないものを分ける人間も、この番組の作り方も、である。
2009/12/24 「風邪気味」
風邪気味だ。
昨日は鼻水をだらだらさせながら眠りについた。そして、起きたら泣くほど鼻が痛かった。詰まっていた鼻が通ってはいたが、引き換えに鼻で水をがぶ飲みしたときみたいに痛くなっていた。
もしかして、寝ている間にあの鼻詰まりを、鼻で息を吸い込むことで無理やり治したというのだろうか。だとしたら恐ろしい。ちょっとやそっとの鼻息ではあの詰まりをとることはできないはずだ。
寝ている間に、つまり無意識にそんな大仕事をしていたんだろうか。だとしたら人間の体ってすごい。だが、主の許可なく、鼻を痛めてまで詰まりを取るなんて機能は聞いてない。
ひょっとしたら、人間は眠っている間に、自分で思っている以上の何かをいつもしているのかもしれない。
風邪がひどくならないように、あとでエスタックイブを飲んでおこうと思う。
「イブだけにね」と思った人がいたら、あなたの将来生まれてくる娘は成長するに従い、けつあごになります。エスタックイブを飲むのは、それしか持ってないからです。