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【書評】『氷柱の声』くどうれいん(小説)

(作品の内容を含みますので、少しでもネタバレしたくない方は
ぜひ作品を読んでからお越しください)

小説のあとがきに、以前の作者はこの小説のテーマについて、「うまく言葉にすることができなかった」と語っている。
けれど時を経て、作者は「それ」を小説という形で言語化し、差し出すことができた。
読者である私は「それ」を確かに受け取り、そのことについて、胸の内にある深い水の中を探りながら、感想めいたものを書こうとするのだが
こうして文章にしようとするとまた、するりと抜け出ていってしまう気がして、途方に暮れる。

主人公の伊智花は東日本大震災で被災したが、幸い家族も家も無事であった。
しかしそのために、一方では被災者として同情され、他方では、もっと辛い目にあった沿岸の人達に申し訳ないという気持ちを持ったまま、生きていくことになる。
そして同じように「震災」に合い、解消することのできない複雑な感情を抱え込んだままの人々と出会っていく。

特に印象的なのは、主人公と偶然同じアパートに住んでいたトーミという女性だ。
トーミは震災の後、「人のために働こうと思って医師を目指す女」をやっていたが、それが自分の本心ではなかったのではないかと気づき、ニューヨークに留学することを決意する。
その留学も、自分の被災体験を英作文の題材に使い、言わばその体験を利用することで掴んだのだった。
おそらくトーミは、そんなやり方をした自分を嫌だな、と思ってもいて、主人公はそれも丸ごとわかった上で、トーミの選択を祝福する。

社会人になって、伊智花はフリーペーパーを発行する会社の編集部で働くが、そこでもまた、震災特集の記事で思い悩む。
「誠意のある記事」を書きたいと言う伊智花に、先輩が
「誠意ってふりして、誰にも怒られたくねえってことだよ」
「とにかく自分が読みたいものを書けばいいと思う」と声をかけ
「すきにしてヨシ!」という付箋をチロルチョコに貼っていくシーンがあって、私の胸にずーんと響いた。
気づかない内に、誰かの求める自分をやろうとしていることは、多々ある。
トーミのように自分で気づくのは難しいので、外部から言ってもらわないと見えないのだけれど、言ってくれる人はそう出現しない。
この先輩は、それをビシッと主人公に気づかせてくれたのだった。

作者は扱いにくい感情を丁寧に掬い取りつつ、会話で疾走する感じもほとばしらせていて
主人公たちは皆、くっきりと存在し、躍動している。
とても輪郭の濃い小説だと思った。
         (2021/7 講談社)

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