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旅の記憶(エッセイ)

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これまでの一人海外旅のエッセイです。実際の旅の順とは関係なく、基本的に一話読み切り。今は2005年のオーストラリア一周の旅を時系列で書いています。(古い情報も含まれますので実際に…
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#わたしの旅行記

【旅の記憶】行きと帰りのバスの落差よ(旅のなかの旅 サン・ジミニャーノ④)

町にもう一つある主要な教会、サンタゴスティーノ教会は長いお昼休憩に入っていたので、15時に再びオープンするまでサン・マッテオ通りをうろついて待つ。 お土産屋をひやかしたりしていたが、やはり朝から閉まっている店は閉まったままなので、 どうやら今はクリスマス休暇なのだろう。 残念だったのは「世界一美味しいジェラート屋」に選ばれたことのあるアイスクリーム屋まで閉まっていたこと。 世界一のアイスがここサン・ジミニャーノに、目の前にあるというのに、 と食いしん坊の私としては塔にのぼれな

【旅の記憶】散策からのマルゲリータ(旅のなかの旅 サン・ジミニャーノ③)

町、と言っても20分も歩けば反対側に着いてしまいそうなこの世界文化遺産サン・ジミニャーノ歴史地区は、 そもそもエトルリア起源の町の一つであるらしい。 街道の合流地点にあったお陰で町は発展した。 この町を特徴づけている塔は、そんな発展の中、富の象徴として競って建てられたもので、現在では14本が残っている。 私は観ていないのだが、1972年の映画『ブラザー・サン シスター・ムーン』が撮影された場所としても有名なのだそうだ。 門をくぐると緩やかな坂道、サン・ジョヴァンニ通りが町の

【旅の記憶】バスはまだか@ポッジボンシ(旅のなかの旅 サン・ジミニャーノ②)

バスは有名な橋であるポンテ・ベッキオの三つ西側のヴェスプッチ橋を渡り、市街地を南下していく。 じきに車窓にローマ門という、こちらも有名な建造物が。 この三、四階建ての建物ほどの高さのあるローマ門、フィレンツェ市街地の南の端でピッティ宮に続くボーボリ庭園と隣接しているのだが、 少し街中から離れているようだったので、車窓から眺められたのはとてもラッキーだった。 実はこれも後からわかったのだが、ここはダン・ブラウンの小説『インフェルノ』でえらくクローズアップされている古い城壁跡。

【旅の記憶】長距離バスでどこへゆく?(旅のなかの旅 サン・ジミニャーノ①)

朝起きたら今にも雨が降りそうな気配である。 今日は月曜日で美術館は休みのところが多く、もしフィレンツェで一日日帰り旅をするなら今日かな、と思っていたのだが、 朝食を食べながらまだ踏ん切りがつかない。 そもそも日帰り旅行をするかどうかでも、行くとしたらどこへ行くかでも迷っていた。 出発前は、フィレンツェの町歩きだけでも行きたいところが目白押しで、 実際到着したらそこから更に別の町へ行きたい気持ちは失せるかもしれない、そう思っていた。 しかしいざ到着すると、せっかくここまで来たの

【旅の記憶】とにもかくにもボンジョルノ(もしくは10単語ほどで行くイタリア)

フィレンツェに来てから、まだアルノ川を眺めていないじゃないか、と気づいて 細い通りをぶらぶら西へ歩いていると、雑貨店を見つけた。 ボンジョルノ!と元気よく店内へ入ってみる。 店員の女性は私と同じぐらい元気よく挨拶してくれたあと、頃合いを見計らって 「えーっとイタリア語でいいかしら?英語の方がいい?」と尋ねてくれた。 これはとても親切で嬉しい尋ねられ方である。 相手を慮ってくれているのがよくわかるし、こちらも気兼ねなく 「英語でお願いします!」と言えるのだから(2択なら、という

【旅の記憶】午前3時のシャルル・ド・ゴール

早朝3時のパリ、シャルル・ド・ゴール空港は閑散としていた。 フィレンツェ行きの飛行機は10時まで出ない。それまでの時間、私はただただ待機するしかないのだった。 少なくとも空港内のカフェなり何なりが開くまでは。 一体何時間かかって私は移動を完了するのだろう。 昨日の日本時間の午後早くに家の最寄りの駅を出てから、丸一日が経過しようとしていた。 いや、もちろん初めからこんな長時間トランジット(乗り継ぎ)を予定していたわけではない。 伊丹→成田→パリ→フィレンツェと、さくさくさくと

【旅の記憶】体力勝負、ヴェッキオ宮殿

フィレンツェのウフィッツィ美術館に行った日の夕方、今度はお隣のヴェッキオ宮殿にも行ってみた。 ミュージアムだけなら10ユーロ、塔とプラスなら14ユーロ。ここで塔に登るつもりはなかったのだが、4ユーロの違いならと塔付きにする。 「じゃあ、先に塔に上がってね」と言われた意味がよくわからなかったのだが、 後から思うに塔の方が先に閉まるか、日が暮れて暗くなったら景色が楽しめないと思ってくれたのか、どちらかだろう。 しかしこれが・・・心の準備をまったくしていなかったので、とにかくしんど

【旅の記憶】ウフィッツィ?ウフィツィ?ウッフィッツィ?

フィレンツェではたくさん絵画、特に宗教画を観た。 一体何枚の宗教画を観たのだろうか?100だろうか、200か・・・ ともかく一週間でそれぐらいの単位を観ることになってしまった。 特に宗教画鑑賞を最大目的として観光していなくても、とにかく溢れ返っているのである。 もちろんこの街で、教科書などで見知っている絵の実物を観るということは、私の求めていたことではあるけれども いかんせん、それだけの圧倒的数量でもって迫られると、こちらもかなりの力を必要とする。 想像してごらん、一週間で仏

【旅の記憶】フィレンツェの甘いクリスマス

フィレンツェでふなっしーを見かけたのは、あと数日でクリスマス、という寒い朝だった。 サンタ・クローチェ教会の広場のクリスマスマーケットで ふなっしーは、バーバパパやキティちゃんと一緒にバルーンとなって売られていた。いつの間にそんなワールドワイドに。 いや、ふなっしーとはどこか違う。青い服の雰囲気も違うし、メガネもかけているし。 ふなっしーの偽物かもしれない。偽物にしては謎の完成度。 そんなことを思いながら、クリスマス直前の街を歩き回った。 クリスマス感あふれるショップや教会

【旅の記憶】夕暮れのザッテレ(旅のなかの旅 ブラーノ島③)

ブラーノ島には結局4時間ほど滞在しただろうか、このユニークな島との別れを惜しみつつヴァポレット(水上バス)へ。 暖かい船内で少しうとうとしながらフォンダメンタ・ヌオーヴェに戻る。 空がまだまだくっきりと美しく、座ってちょっと休憩したいと思いつつ、結局てくてくと本島を縦断する形でサン・マルコ広場へ向かう。 この辺りは初めて歩く場所であり、名も知らぬ教会のファサードが綺麗だったり、やはりヴェネツィアはどの路地を通っても興味深い。 通ったことのない道を珍しがっているうちに、本島の

【旅の記憶】島の散策とにぎやか有料トイレ(旅のなかの旅 ブラーノ島②)

いよいよブラーノ島へ上陸。のっけから鮮やかな建物たちがお出迎えしてくれる。 少し歩くと湾曲した水路のあるメインストリートと思われるところへ出た。 この水路に沿って可愛らしい家が軒を連ねている。 まるでレゴブロックを積んだような建物は、外壁とはまた別の色で窓枠やドア、鎧戸が塗られている。 訪れた日は年末だったが、クリスマスの飾りを残している家も多い。 更には二階の窓にロープを渡し、洗濯物をずらりと干している家も沢山ある。 下着などもお構いなしで最初はどぎまぎしたが(だって青い家

【旅の記憶】ヴェネツィアの裏側を抜けて(旅のなかの旅 ブラーノ島①)

ヴェネツィア旅行時に泊まっていたリド島のヴァポレット(水上バス)乗り場から、 いつもとは違う路線のヴァポレットに乗船した日があった。 目的地へ向かうため、まず目指したのは本島北側のヴァポレット・ターミナルとでも言うべきフォンダメンタ・ヌオーヴェ(新しい河岸)駅。 本島といってもそんなに大きな島ではないので、 いつも本島へ観光へ向かう時に使う路線に乗り、サン・マルコ広場辺りから徒歩で北上しても到着するのだが、 時間節約のため別の路線を使ってみることにしたのだった。 心配なので

【旅の記憶】イミグレーション夜話

入国審査(イミグレーション)が大好きという人はそうそういないと思うけれど、私は入国審査が苦手である(二度目の宣言・・・)。 アメリカ入国時に滞在先を怪しまれたのは、先の記事にも書いたとおり。 オーストラリアの入国審査ではたいして何も尋ねられずにイミグレーションを抜けられたので、ラッキー!とほくほくしていたら しばらくして後ろから女性の係官が追いかけてきた。 「ちょっと話を聞かせてほしい」と言われ、滞在理由や滞在期間などをかなりしつこく聞かれてしまう。 いやいや、もう私、入国

【旅の記憶】遥かなるセントルイス

「機内にお医者様はいませんか?」 このアナウンスが聞こえたとき、私は太平洋上空を東へ向かっていた。 日本の航空会社でシカゴまで飛び、そこからアメリカの国内便に乗り換えて、 中西部の町、セントルイスへ行くところだった。 セントルイス(St.Louis)はトム・ソーヤーの冒険に登場するミシシッピ川沿いにある、ミズーリ州の工業都市で 何と言ってもあのセントルイス・カージナルスの本拠地として有名だ。 (この頃はまだ引退前のマグワイアがいて、田口がやってくる直前だった。それぐらい前の