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窓際の席

小腹が空いたなぁという思いで読書に集中できなくなり、やっと半分まで読んだ長編とノートを携えて外に出ることにした。
何処かの飲食店に入るだろうからと、穿いていた毛玉だらけのズボンから適当なオレンジ色のワイドパンツに履き替え、ダボダボの長袖から目に留まったポロシャツに着替えた。ポロシャツにはオレンジ色のラインが入っており、気せずしてビビッドな配色を纏いながら外に出ると、大柄の男性にギョッとした表情をされてしまった。建物の太い柱の影から急に出てきたからなのか、ずいぶんとオレンジ色の面積が多いことに驚いたからなのか、人の表情というのは思いのほか伝わってくるものがあるなと感じた。

自分で淹れるのでもなく、会社のコーヒーマシンでもなく、喫茶店の珈琲が飲みたいなぁと何となくイメージしていた。小説に出てきていたブルーベリーのマフィンみたいな甘いものも食べたい。美味しいコーヒーが確実に飲める、休日しか営業していない喫茶店が近くにありそこで歌詞を考えたりしたことはあるが、きっとマフィンは置いてなさそうなのと、ガチ感があり少し敷居が高い。
マンションの一階がカフェであったなら、とりあえずそこに行ってみるといった行きつけの店があったらいいのになぁと思うのだけど、飲食店に囲まれた環境において、色んな店に入ってお気に入りを探そうなんて気にもなれずに2年弱も経ってしまっている。
結局、信号待ちをしている間に距離的に1番近くにあるチェーンのカフェが目に付き、その2階の席にきっと良いことが待っているかもしれないという気になったので入ることにした。
ブルーベリーのマフィンはなかったけれど、定番商品のクロワッサンと季節モノのクロワッサン、ブレンドを頼み、無事2階の窓際の席を確保できた。
レタスとササミに中国の酢をかけて食べる事にハマっているのだが、すぐにお腹が空いてしまうのが難点だ。結局バターが香ばしいクロワッサンを二つも食べてしまい、なんのための食事なのかよくわからないことになってしまった。ブルーベリーのマフィンが食べたくてちょっと外に出ただけなのに、中華の定食が食べれるくらいの金額がレジで表示された時、何やってんだろうなという思いに駆られエッセイのイメージが湧いてきた。

ムシャムシャとクロワッサンを食べていると、隣で勉強していた若い女性がそそくさとペンをケースにしまい参考書を閉じ帰り支度をし始めた。その隣にいた男性は連れかと思ったが、彼を残し女性は帰ってしまった。その男性も今となっては席を立ってしまい、窓際の席に平和が訪れている。アクリル板で仕切られているとはいえ、人が肩を寄せ合っているような環境は圧迫感があるものだ。たまにはいいけれども、執筆や勉強の習慣的な場としてはあまり好ましくないなぁと感じる。

私はよく思い立って部屋の模様替えをすることがある。デスクやベッドの位置や向きをはじめとして、座る椅子やデスクの高さまで調整し、その時のライフスタイルに最適化した部屋にしたい。今回はピアノの配置と向きを部屋の1番良い位置に持ってくることと、デスクの高さをピアノの高さに合わせることでパソコンを操作しながらピアノが弾けるようにした。かなりしっくりきていて、ピアノの前に座るだけで明るく楽しい気分になる。ただし弾けるようになりたいと取り組んでいる曲が難し過ぎて、着手して3分で嫌になり集中力が切れてしまう。非合理的だ。譜面上のいまいち腑に落ちない箇所に納得いかず進んでいなかったのだが、小節内を16分に分解して縦のラインを合わせてみると、私の譜面の読み違いがあったことがわかった。独力でこういった分析ができるようになったのだなぁと感心しつつ、こんな基本的なことはもっと初期に解決しておくべきだろうと情けなくも思う。うまくいかない事の原因の多くは、基本的な事なのかもしれない。32分が要となり関わってくるようなリズムの曲でもないし、小節毎にゆっくりと譜面を分析し自分が出すべき音とタイミングを把握する。言うのは簡単なのだが、鳴っては消えていく自分の出した音が果たして合っているのだろうか、といった不安感は辛いものがある。
そういった新しい楽器を習得しようと試みている人間はなかなか周りにいない。すでにピアノが上手いか、上手い人間に弾かせるかだ。
うだうだ言ってないで、弾けない小節の練習をしよう。
結局本もノートも開かないまま、家に帰ります。

写真は昨日食べたチャプチェ。

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