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#46 プードル

 ある晴れた日曜日の午後。
 商店街の道路が歩行者天国になって、洋装店のワゴンセールや焼きそばの屋台が並び、地元の買物客でにぎわうなかを、若い夫婦がぶらぶら歩いていた。
 夫婦のあとから、白い小さなプードルが、ちょこちょこと忙しく足を動かしてついて歩いていた。かしこい犬らしく、リードもつけず、ときどきあたりのにおいを嗅ぎにいったりしても、はぐれることなくちゃんと飼い主のあとを追っていく。
 そのプードルが、ふと立ちどまって、いますれ違った、赤いポロシャツの姿の男を見あげた。なにか気になったらしく、首をかしげ、鼻をひくひくさせたかと思うと、急にその男のあとを追って小走りに走りはじめた。
 うしろをふりかえった飼い主の夫婦が、あらっと声をあげ、男にくっついてどんどん遠くへ歩いていくプードルの名を呼びながら、あわててあとを追いはじめた。けれども、プードルはちっとも引き返してこない。

 おなじころ、商店街のはずれにある交番を、ひとりの男がのぞきこんでいた。細いフレームの眼鏡をかけた、30代のまじめそうな男だった。
「何でしょう?」
 交番の巡査が訊くのへ、男は言った。
「あの、うちに空き巣が入ったんですが」
「おたくに?」
 巡査は男をすわらせ、机に被害届の用紙を広げて、事情を聞きはじめた。
「すると、鍵のかかっていないベランダのサッシから侵入したらしいということですね?」
「はい」
「盗まれたものは?」
「財布です」
「どんな?」
「茶色の革製で2つ折りになったものです。現金が1万数千円入っていました」
「財布ねえ……」巡査は頭を掻いた。「あとで現場を見せてもらいに行きますけど、それはなかなか犯人は見つかりにくいと思いますよ。お金が使われても、それが盗まれたものだとは特定できませんしね」

「いや、たぶん、犯人はすぐにわかるんじゃないかと思うんですよ」
 被害届けを出した男は、遠慮がちにそう言った。
「犯人を見たんですか」
 巡査は眉を寄せて訊き返した。
「いや、見てはいないですけど」
「じゃあ、どうして犯人がわかると思うんです」
「薬です」
「薬?」
「わたしはある会社の研究所の研究者なんですが、最近開発した画期的な薬を家に持ち帰っていたんです。それで犯人がわかるだろうと言うんです」
「犯人がわかる薬……ですか」
 巡査は困惑の微笑を浮かべた。

 そのとき、交番のまえの道路を、赤いポロシャツの男が通りかかった。
 何食わぬ顔で歩いていく男の足に、白い小さなプードルがまとわりつくように走り、そのうしろから、2匹のシーズーが尻尾をさかんに振りながら男を追いかけている。
 さらにそのうしろから、ポメラニアンやチワワやチャウチャウや柴犬やゴールデンリトリーバーやアフガンハウンドが、なにやら必死なようすで男のあとを追って歩いてくる。
 それらの犬は、リードを飼い主に握られているために、そのリードをぐんぐん引っぱっており、たくさんの飼い主たちが、犬たちのあまりの勢いにじたばたしながら、息を切らして走り、あちらではリードがからみあい、こちらでは飼い主同士がぶつかりあいしていた。
 それを見て、
「あ、あれが犯人です」
 交番のなかにいた被害届けの男が言った。

 巡査は困惑しながら、路上の様子と被害届けの男を見比べたが、犬と飼い主たちの混乱を放っておくわけにもいかず、交番を出ていって、赤いポロシャツの男を呼びとめた。
「何をやっているんです」
 表でまだ犬たちが騒いでいるなかで、交番に男を呼び入れ、巡査は訊いた。
「知らないよ」男はとまどいの表情を浮かべた。「ただ歩いていたら、街中の犬がついてきちゃったんだ。理由は知らない」
「理由を教えましょう」被害届の男が口をはさんだ。「わたしはドッグフード・メーカーの研究員なんです。あらゆる犬に好かれるにおいを開発して、それを1瓶、家に持って帰っていた。きょうの午前中、留守の間に入った空き巣が、その瓶を落として割った。空き巣のズボンには、犬たちの大好きなにおいがびっしょりくっついたはずなんです」
 巡査に言われて、赤いポロシャツの男がポケットのものをぜんぶ出すと、そのなかに被害届けの出された財布が混じっていた。
(了)

芸生新聞1999年6月28日号

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