見出し画像

#56 噂の人

 テニス・スクールに通う主婦たちのあいだで、ときおり山本さんというひとが話題にのぼった。
「それじゃ、まるで山本さんみたいじゃない」
 話の途中でだれかが言うと、いあわせたみなが、いっせいに大きくうなずいて笑いあう。
 場合によったら、だれかが、
「うふふ……山本さん……」
 その名を口にしただけで、笑いが伝染して止まらなくなった。
 そんなとき、篠塚弥生はいつもひとりぽかんとしてしまった。

 スクールで知り合った主婦たちで、喫茶店でおしゃべりをしたり、カラオケを歌ったりするグループができていた。山本さんも弥生もその仲間に入っているのだが、ふたりはなぜか直接会う機会がなかった。
 たとえば、公営のテニスコートを借りたからと誘われ、しかし家事がかたづかずに遅れていくと、ちょうど山本さんと入れ違いだった、などということが再三起こった。
 山本さんはちょっと変わったひとだという。
 みなジャージの上下などの気楽な恰好でテニスをするのに、山本さんはいつも颯爽としたスコート姿でやってくる。そのために浮いた感じになっても、ぜんぜん平気らしい。
「マイペースのひとなのね」
 というのが主婦グループでの人物評だった。
 すれちがえばすれちがうほど、弥生はなんとかいちど会ってみたいと思うようになった。主婦グループのひとたちも、「こんど機会をつくるわよ」と言い、夜更けに背後でにぎやかな歌声の聞こえる電話をかけてきて、カラオケで山本さんもいっしょだからと誘ってくれたりしたが、そういうときには弥生は家を出られず、やはり会えないままになっていた。

 その山本さんに、弥生がばったり出会ったのは、5歳になる息子の勇太の手をひいて、テニススクールに向かう途中だった。
「あの、もしかして、篠塚弥生さん……?」
 と、向こうから声をかけてきた。
 弥生と同じ30代前半の、化粧や服装が派手で、しかし、言葉遣いの丁寧な美人だった。弥生は一目で、噂の人だとわかった。
 たがいに名前は聞いており、すぐに親しい感じになって、どうしていままで会えなかったのかと、立ち話になった。
 しばらくして、弥生がスクールへ向かおうとすると、山本さんが提案した。
「お子さん、預かってましょうか。わたし、いま暇だから」
 テニスのあいだ、勇太はひとり遊びをさせており、いつも多少の心配がつきまとっていたので、その提案は渡りに船だった。

「やっと山本さんに会えたわ」
 スクールで主婦グループの何人かに会い、弥生はそのことを話した。
 主婦グループのひとたちは、いつもなら山本さんの名前が出ただけで笑うはずなのに、なぜかぎょっとして身をひいた。
「ほんとに山本さんに会ったの? どこで?」
 ひとりが訊いた。
「すぐそこでよ。ここにくる道の途中」
 弥生が答えると、相手の不審な表情はいっそう深まった。
「あのね、じつはね」とひとりが説明した。「山本さんなんていうひとはいないの」
 山本さんは架空の人物だというのだった。
 いつのことだったか、弥生がグループの集まりに遅れていったとき、だれかが弥生をからかう冗談で、「篠塚さんは会えなくて残念ね」と、架空の人物をつくりだした。以後、ずっとその冗談が続き、続くうちに人物像がはっきりしてきて、そんなひとがほんとうにいるような気分になっていたというのだ。

「じゃあ、あれはだれだったの。わたし、そのひとに子どもを預けちゃった」
 弥生は青くなって、いま来た道を走りもどっていった。
 息せき切って、山本さんと出会った場所までいくと、電柱の根方に勇太がひとりぽつんと立っていた。
「さっきのおばちゃんは?」
 息子のまえにしゃがんで訊いた。
「消えちゃった」勇太は言った。「テレビのスイッチを切ったみたいに、ぷつん、すうっって」
「すうっ……て!」
 息子の言葉をくりかえしながら、あれは冗談が生み出した白昼の幻だったのかと、弥生は思った。
 呆然としている弥生に、勇太がジュースの缶をさしだした。
「これ、あのおばちゃんに買ってもらった」
 受け取ると、缶ジュースはよく冷えていて、その冷たさが手にしみこむようだった。ジュースがかえるような小銭を勇太には持たせていない。
(了)

芸生新聞1996年5月27日号

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?