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目的がない散歩が好き

特に趣味らしい趣味がない自分にとって、一番近いのは散歩かもしれません。正面切って、散歩なんて趣味かと問わると答えに窮しますが、本業以外の気晴らしという意味では、趣味でしょう。

ただし、散歩といっても、いろんなパターンがあると思います。近所をぷらっと散歩。
旅行先の散歩、目的を決めての散歩。逆に目的地を決めない散歩。一番しっくりくるのは、近所のそぞろ歩きでしょう。

別に、哲学気取りというわけではないですが、散歩を好むのは小説家より哲学者の方が多いかもしれません。「孤独な散歩者の夢想」を書いたルソー。毎日同じルートを同じ時間をかけて歩き、住民がそれに合わせて時計の針を直したと言われるカント。京都の哲学の道の語源となった西田幾多郎など、枚挙にいとまがありません。

ただし、そのほとんどは景色を見ると言うよりも、思索にふけるための手段と言ってもいいのかもしれません。その点、文芸家の散歩好きは、もっと寄り道好き、気もそぞろ、興味本位な気がします。

自由律俳句の種田山頭火、食べ物を求めて歩いた永井荷風、池波正太郎。暇があると、銭湯に行きがてら、上野や浅草を散歩した夏目漱石。深く思索すると言うよりも、思索疲れした頭の気分を散ずる、まさに文字通り「散歩」のような気がします。

自分も、どちらかと言うと興味本位のそぞろ歩き派です。基本知らないところに行くのが好きで、それは近所でも、旅先でも、どこでも構いません。ただ、ぶらぶらするだけです。時には、あまり大きな声で言えませんが、お酒を飲みながら歩くこともあります。

たぶん、電車が好きな人も、こういう電車の乗り方を好む人がいるでしょう。

散歩のいいところは、基本的にお金がかからないことです。そして、歩くことでいろいろな小さな発見があることです。ああ、ここの家の松は変な形だなとか、ここの空き地には雀蜂の巣があるかも等、車や自転車、ランニングなどでは見過ごしがちな物事に目が留まります。

そして、疲れたら途中で目についた店で休憩。店を決めるのは適当です。グルナビやグーグル上での点数など気にしません。当たれば大正解、はずれればうーむと思うだけです。 一時は、完全にグルメ気取りで、目的の店を決めて散歩などしていたのですが、開店時間や腹の減り具合などが気になって、散歩が楽しめなくなるのでしだいにやらなくなりました。

当然、途中で体調が悪くなったらすぐに撤退。時にはこれはお金がかかりますが、スーパー銭湯に寄ることもあります。ただ歩く、そして気が向いたら、写真を撮り、俳句を作る、時にはツイートする。あくまで行動の全てがノープランです。

散歩を人生になぞらえることも多いですが、夢や野望など、大きな目的を持ちすぎると、得てして道中の光景が楽しめなくなります。かといって、なさすぎると、欲望に振り回されてしまいます。

散歩の仕方は、その人の生き方が反映するのかもしれません。哲学者は生きている間、ずっと思索を続ける生き方。そして小説家はさまざまな景色や出来事を見て、それを物語に昇華する生き方。

そして、何よりも散歩の良さは、ほかの趣味のように、定義やルールや決まりごとや、いろいろうるさいその道の大家がいないこと。そして、一人でも二人でもできる。人数制限がないことでしょうか。

ではまた


夢はウォルト・ディズニーです。いつか仲村比呂ランドを作ります。 必ず・・たぶん・・おそらく・・奇跡が起きればですが。 最新刊は「救世主にはなれなくて」https://amzn.to/3JeaEOY English Site https://nakahi-works.com