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未完に終わった作品は誰のもの?

  
昔、故栗本薫さんの小説を熱心に読んでいた時期があります。中でも、「グイン・サーガ」は、熱心な読者でした。

当初は100巻を目指して書き始められた壮大な物語は、まさに神話でした。しかし、100巻を過ぎても終わる気配などなく、200巻まで行きそうな勢いのまま、未完の状態で栗本さんは亡くなられました。

亡くなったこと自体、かなりショックな出来事でしたが、その後、結末までのあらすじやメモ書きが一切残っていないということも、さらにショックに追い打ちをかけました。

ずっと、読まれていた人はわかりますが、数々の謎や伏線がたくさん張りめぐらされていて、そのほとんどが回収不能になってしまったことは、残念というか、がっかりというか、そうやすやすと受け入れられるものではありません。

しかし、やがて生前に栗本薫さんが、「グイン・サーガは、もう作者一人のものではなく神話であり、神話というのは誰かの手によって語り継がれるべきものである」という遺志を残されていたとおっしゃっていたといいます。

最初は、正直言ってそんな無責任なと思っていましたが、その意思を受けてか、熱烈なファンの中から、本当に続きを書く人が現れました。その二人のおかげで、グイン・サーガは今も続けられ、未完のまま終わらずに済んでいます(私が生きている間に終わるのかどうかは、とても不安)。

それだけ、グイン・サーガというのが、魅力があり、多くの人に愛されたのでしょう。そう思うと、これも一つの考え方としてありだと思うようになりました。

しかし、こういったケースはあくまで特殊なケースで、他に思い当たる成功例は、夏目漱石の未完の小説「明暗」の続きを書いた、水村美苗さんぐらいでしょうか(最近、漫画でも出始めていますが)。

果たして、自分が死んだときのために、今、手がけている作品について、結論まで書いておくのがいいのか、それとも続きを継ごうという者に委ねるのかは、難しい問題です。

これは、出版した作品は最後まで作者のものか、読者のものかという問題でもあります。かつて、小説家の井伏鱒二も、若き頃書いた「山椒魚」という作品を晩年になって改変したところ、読者の間で、激しい論議になりました。アニメのエヴァンゲリオンも、バージョンを変えて(輪廻?パラレルワールド?)何回か作り直されて、物議を醸しました。

かつて私も、若いころは、自分が死ぬのがわかっているなら、結論ぐらい書いておけよと思う派でしたが、歳を重ねると、長編は別として、クレヨン王国やムーミンなどのキャラクター作品は、少なくとも誰かが書き継いでいってもいいのかと思うようになってきました(もちろん、元の作者と遜色ない実力がなくてはいけませんが)。

作品の誰かの手に委ねるのも、時の風化を逃れる一つの手立てかもしれないとも思うからです。例が変かもしれませんが、仏教の経典がどんどん改変とバージョン違いが出来るとともに、信徒のマスをふやしていったように。

かつてワンピースの作者である尾田栄一郎さんが、体調を崩したニュースが流れたとき、ヤフコメなどでは、「絶対にワンピースの謎の秘密は書き残しておいてください」。というコメがたくさん見受けられたのもその例でしょう。果たして尾田さんはどちら派なのでしょうか。

私自身、作品は、一度でも作者の手を離れたら、読者のものだと思っています。しかし、グイン・サーガや、指輪物語、ハリーポッターのようないろんな秘密を蔵したような長編は、はっきりした結論とは言わずとも、ほのめかしぐらいには書き残しておいて欲しいなあとは思います。

ではまた

 
 



夢はウォルト・ディズニーです。いつか仲村比呂ランドを作ります。 必ず・・たぶん・・おそらく・・奇跡が起きればですが。 最新刊は「救世主にはなれなくて」https://amzn.to/3JeaEOY English Site https://nakahi-works.com