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作家は職業なのか人種なのか

梅雨入りした。
やはり、雨より晴れの方が良いかな。

ただし、一年のこのとき雨が降らないと水不足になる。
自然の仕組みとは上手くできたもの。

ところで、
どんな商売でも、職業が人を作ると言われる。
料理人は料理人らしく。魚屋は魚屋らしく。政治家は政治家らしく。そして、反社の人は反社らしく。

能を大成させた世阿弥は、弟子達に「自分の素性をまったく知らぬ人から、あなたは能楽師のようだと言い当てられたら、初めて本物だ」と常々言っていたという。

つまり職に対する、気構えがいつのまにか、その人間性そのものになる。
まるで、そういった人種のように。

実は、生まれながらの性格よりも、そういった成長の過程で培った後天的な人間性の方が、大切なような気がする。

世の中、性格の嫌な部分を直そうとあれこれいじくり回すよりも、自分の性格はこういうもんだと受け入れて、後天的な、例えば職に対する気構え。

つまり生き残る術こそが、新たな性格を作り上げるのではないだろうか。
全然関係ないが、一流の詐欺師はいつしか自分をも完全に騙せるようになるという。

どんな職業でも、生き残るために選んだ職業(食い扶持)に真摯にやっていれば、いつしかそういった人種になっていく。そして、考えや振る舞いも、少しずつ変わっていく。

例えば、将棋の藤井聡太名人も、最初の頃は将棋が上手い好きな奥手の若者だったように見えたのが、今では彼の言動を見るだけで、きっと将棋を知らない人出も、「まるで将棋や囲碁をやる人みたい」と思うかもしれない。

そうなると、小説家とはいったいどうなんだろう。
小説を書くことに情熱を燃やし、日々頑張ってきた三文文士が、ある日突然、小説を書くことを知らない人から、
「あなたは小説家」っぽいと言われてうれしいのか、はたまた「えっ?」と思って当惑するのか。

しかし、やはり世阿弥の言葉ではないがうれしいと思う。なぜならそういう人種になる生き方をしてきたのだから。

ただし、小説家という人種。果たしてそれは幸せな人種なのか?
最近、よくわからなくなってきた。
かつてフランスの作家、サント・ブーブも箴言集「我が毒」において、

「文学者という者は、正直なところもはや人間ではない。」と言って、追い込まれる孤独、望んでいない不遇、どうしようもない不幸を嘆いている。

「文学は儲からないけれど最強」小説を書くことで、全ての価値を手に入れられるという意味で使っているが、今でもその言葉にはまったく揺るがないけれど、成功するにしないにしろ、小説家を目指した者の末路。

それが、いったいどんな心境になるのか、幸福なのか不幸なのか、すべてを得られる究極の人種なのか、自分の人生をかけて感じていきたいと思う。

“ 揺るがない 梅雨雲見て 夏想う ”



夢はウォルト・ディズニーです。いつか仲村比呂ランドを作ります。 必ず・・たぶん・・おそらく・・奇跡が起きればですが。 最新刊は「救世主にはなれなくて」https://amzn.to/3JeaEOY English Site https://nakahi-works.com