RPGゲームはもういいや
「暇な時に、何をしているか?」
実はそれがその人の最大の趣味だという話を聞いたことがある。
テレビをぼーっと見る。YouTubeを見る。寝ている。走っている等々。
人は、正面切って「趣味は何?」と聞かれると、面接に限らず、つい身構えたり、どう思われだろうかと考えたりしてから、答えがちになるのが普通かもしれない。
「スポーツ観戦」、「映画鑑賞」、「読書」。
それが、本当の心からの趣味ならばいいが、冒頭の原理からすると、果たしてそれは、その人の趣味なのか?
実のところ、人の悪口を言うとか、大人の映画を見たり、お酒を昼間から飲んだりとか、異性と密室でいちゃつくとか、少し後ろめたいことが好きなのかもしれない。
と、他人の趣味の話は、正直どうでもいいのだが、自分にとっては、ひょっとして、最大の趣味は「ゲーム」かもしれないと思うことがある。
以前にも書いたが、高校生の頃からかなりのゲーム好きである。「ドラクエ」も、「ファイナルファンタジー」などの有名RPGは、1からすべてクリアしているし、
「信長の野望」、「三國志」も同じく1からやりこんできた。
ゲーム機も、ファミコンから最近のPS5まで、すべて揃っている(PS5の前は実家の倉庫で眠っている)。
ただ、人から「趣味」は、と聞かれると、気取って「逃避なので趣味はない(太宰治ふう」、「散歩」とか、「俳句を詠む」とか答えがちでいるが、どう考えても、一番はゲームである。
と同時に、端から見ると自分は「テレビゲーム」をやるように見えないらしい。
さらに、まったく関係ないことがだが、かなりの中日ドラゴンズファンなのに、「プロ野球」などは一切観ないように見えるらしい。
と、実はゲーム歴うん十年。そして、最近はガンダムのオンラインゲームまでやっていた。
しかし、その中でも、あれだけ好きだったRPGも、ファイナルファンタジーの新作も買っていないし、興味もなくなってることにふと気づいた。
それは、ファイナルファンタジー15を足かけ5年掛けてクリアした瞬間だった。
「ああ、もうRPGはいいや」と。
アクション要素が強くなったから等、理由はいろいろ考えられるが、簡単に言うと、面倒くさいと思うようになったからかもしれない。
つまり、長年社会経験を重ねる内に、つまりリアルRPGの世界にどっぷりと浸り、そこで、何とか生き抜いてきたということが一番大きいと思う。
それを、今さら仮想だろうとゲームの中だろうと、漫画の中だろうと、弱っちいレベル1から始めるのが、とにかく煩わしいと思ってしまうのだ。人生をもう一度やらなくてはならなくなったように。
もっと若いときは、きっと実世界で弱かった自分を、仮想のRPGの世界で代償させていたのだろうと思う。
ただ、別に年を重ねただけで、別に社会的に成功していないし、レベルが上がったようにも思えない。かえって弱々しくなったと思うぐらいだ。
ただ、仮想の世界での代償処置すらも、面倒くさくなったのだ。別に異次元に生まれて勇者だろうが、実は貴種だったとか、本当は・・・。といったことは、現実の中ではありえない。そして、あったとしても興味がなくなってしまった。
だから、どうなんだ。きっとそう生まれた彼らも、絶対に大変だと同情するほどだ。
それは、結局のところ、貴種でも何でもなく、ひとりの男としての自分自身の人生とどこか折り合いがつきつつあるのかもしれない。
若い頃は、現実にどうしても折り合いがつかないからこそ、手軽な快楽に逃げ、幻想に逃げ、ゲームに逃げ、ついには自らが小説という幻想を作り始めた。
それが、FF15の強いラスボスを倒した瞬間に、ある意味、現実でのラスボスも同時に倒していたことにも気づいたのだ。
そう、さらに言えば、自分の人生のRPGも終わりつつあることに。
こう言ってしまうと、どこか悲壮感があり、絶望感が漂ってしまうかれど、
スコントとずっと上がれなかった深海から、陽光輝く海上にふっと頭が出たような至福感の方が強い。
たかが、テレビゲームかもしれないが、自分の中では一番大切な「趣味」だったのだと気づいた。あの世界が、自分を助けてくれたと。
というわけで、感謝はしつつもRPGは卒業かな。
ただし、老人になって、身体の自由が利かなくなったら、再びやるかもしれないけれど。
そのときは、どんな気持ちで、若い登場人物たちを操っていることだろう。
“ 満開の つつじの香りに 顔をよせ “
夢はウォルト・ディズニーです。いつか仲村比呂ランドを作ります。 必ず・・たぶん・・おそらく・・奇跡が起きればですが。 最新刊は「救世主にはなれなくて」https://amzn.to/3JeaEOY English Site https://nakahi-works.com