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【前編】海外生活を計画されている方の参考に、私が7歳で飛び込んだ海外生活

小学校入学のタイミングでイタリア生活がはじまり、日本の中学に入るタイミングで帰国した。
小学校1年〜2年の1学期まで現地の日本人学校に通い、9月からアメリカンスクールに転校した。
3年生に入れてもらったがその学校は小学校は5年までで、6年生から中学生になる。
なので、3〜5年の3年間を小学校、6〜7年の2年間を中学生として通ってから日本に戻り、また中学1年からやり直した。

話が最初から逸れたが、子供にとって急に海外生活が始まるのはどんな感じだったのか。
海外移住を考えてる方の1%ぐらい参考になるかもしれない。

結論から言えば私は満喫した。
最初は色々あったと思うが、あまり覚えてない。
覚えてるのは硬水が最初は口に合わなかったり、現地の子供達がみんなおいしそうに食べていたリコリスという真っ黒のグミみたいなお菓子が、顔が歪むくらい美味しくなかったことぐらい。

外国人との学校生活は当初言葉が通じないので大変だったのかもしれない。
でも気づいた時には、子供ヒエラルキーがあった中での上位グループに属していたし、なんやかんやフィットしていた。

言葉が通じないアジア人に、手を差し伸べてくれる優しい子と、イジメに来る奴がいるというのは恐らくどこでも基本パッケージ。
自己主張は大事で、積極的に混ざりに行こうとすることで、自然と仲間は増えていく。
これは外国人だからという特別なことでもない気もする。

語学については、ESLというクラスが用意された。
English as a Second Languageを略してESL。
英語が母国語でない、英語を話せない子向けのクラス。
国語の授業がESLに取って代わられた。
韓国人の女の子と2人で受けていたが、その子はイタリア生活は長く、イタリア語はペラペラ。
だからかは分からないが、早々にESLを卒業していき、私は2年か3年ほど通った気がする。
先に卒業された時はめちゃくちゃ悔しかったのを覚えてる。
その後その韓国人とはお付き合いして、リベンジした(なんの?)。

2,3年ESLに通ったということは、それだけの期間大して話せなかったということか。
今振り返ってみて思ったが、意外と長い。
でも、2,3年経った頃は既に完全に溶け込んでた。
なので、話せるかどうかは大した問題にはならないのだと思う。

ランチ時間中に、みんなで炭酸水を買ってゲップコンテストというのをやっていた。
アメリカ人は不思議とこういう汚いとか痛いとかが好き。
Burping Contestの意味がわからず、一人だけ早飲みコンテストだと思って早飲みしてた。
自分が一番なのに、誰も認めてくれず、なんで?って怒っていた。
その意味が分かったのは数年後。。

というぐらいに、噛み合ってないことも多かったと思うが、どうでも良いことだった。

私は海外の小学校しか行ったことがないため、私にとっての日々は当たり前の日々だったが、私の親からすると、慣れないことが多かったと思う。

それは学校のルールや仕組み、行事などもそうだし、学校外での遊び方、友達との付き合い方などもそう。
心配になったときもあったかもしれないが、子供はうまくやっているので、好きにやらせることが大事なんだと思う。

例えば男女関係は日本は比較にならないほど早い。
低学年から男女を意識していたし、好きな相手に積極的にアピールし、想いを伝え、付き合うというのが周りにたくさんあった。
肉体関係までは滅多にいかないが、キスはカップル同士当たり前にしていたし、友達がいる前で10歳のカップルが平気でチュッチュする。

TRUTH or DAREという受ける側は何もメリットのない遊びがある。
アメリカには謎にそういう遊びが少なくない。
ただお互いの肩をパンチし合って我慢し合うとか馬鹿みたいだけど、やってた。
「TRUTH or DARE?」と急に聞かれる。
聞かれるとどっちかを答えないといけない。
答えないと、ノリ悪ってなる。
TRUTHはこれから聞かれる質問に正直に答えないといけない。
DAREは指示に従わないといけない、というもの。
TRUTHを選べば大抵誰が好きかを言わされるし、DAREを選べばその子にキスしろって言われる。

そんな感じで男女関係のことは、かなりマセてる。
小学生の親としては少しヒヤヒヤするかもしれない。

長い。また続きは今度。


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