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愛知県の皇室伝承

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・壬申の乱の敗者、弘文天皇の生存伝説(岡崎市) ・文武天皇が「三河行幸」中に儲けた皇子「竹内王子」(豊橋市) ・なぜか渥美半島に渡った後小松天皇の皇女「松代姫」(田原市) ・うつ…
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2022年8月の記事一覧

【愛知県の皇室伝承】3.なぜか渥美半島に渡った後小松天皇の幼い皇女「松代姫」(田原市)

壽命殿長仙寺の皇女伝説 愛知県田原市の壽命殿長仙寺。永禄八(一五六五)年の五月、岡崎の戦国大名・松平家康――のちに「徳川」に改姓して江戸幕府を開く――が田原城を攻めるに際して本陣を置き、前厄祈祷と戦勝祈願を奉修させたという由緒ある寺である。  その参道では「御大典記念」と刻まれた寺号標を見ることができる。皇室の慶事に際して建てられた碑は、神社であれば珍しくもないが、寺院においてはあまり見られるものではない。  寺院であるにもかかわらず「御大典記念」の碑があるのは、皇室にゆ

【愛知県の皇室伝承】4.漂着した皇族「開元王」の栄枯盛衰 民話「海に消えた皇子」(豊橋市)

※写真はすべて令和四(二〇二二)年四月五日 皇子「開元の宮」伝説: 『牟呂村瑞雲山真福寺観音由来記』より牟呂大海津公園  愛知県豊橋市の西部、牟呂に「牟呂大海津公園」という公園がある。毎年三月末から四月初頭にかけて、園内に植えられた数十本のサクラが一斉に見事な花を咲かせるので、地元住民にはごく身近な花見スポットとして親しまれている。  ところで「津」とは港、港町を意味する言葉だ。牟呂大海津公園は三河湾から三キロメートルほども離れた位置にあるが、その名が示す通り、かつては

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【愛知県の皇室伝承】5.「院之子」の地名起源譚:南朝某院皇子「龍岳禅師」の御墓(豊川市)

南朝皇子「龍岳禅師」伝説 愛知県豊川市に「院之子」という地名がある。昭和八(一九三三)年までは「犬之子」だったそうだ。江戸時代後期に幕府の命令で描かれた『天保国絵図』を確認してみれば、そこには確かに「犬之子村」と表記されている。  地名が「犬之子」から「院之子」に変更されたのは、まったく理由のないことではない。この地域は元々「院之子」や「皇之子」などと呼ばれていたそうだ。  伝説によれば、南北朝時代に南朝のとある院(=上皇)の皇子・龍岳禅師が戦乱を避けて従者とともに逃れて

【愛知県の皇室伝承】6.南朝の天皇説も… 東下りの果てに切腹した謎の皇族「弘仁太子」(豊橋市)

謎の皇族「弘仁太子」伝説布金山長慶寺  愛知県豊橋市の南西部、杉山町孝仁というところに、布金山長慶寺という曹洞宗の寺院がある。皇室ゆかりと伝えられており、本堂の壁や賽銭箱には皇室の象徴「菊花紋章」があしらわれている。 「長慶寺」という寺号からは南北朝時代にご在位なさっていた人皇第九十八代・長慶天皇をつい連想してしまうが、寺伝によれば関係があるのはそれより百五十年ほど前の鎌倉時代にご在位なさっていた第八十三代・土御門天皇の皇子――ただし『皇統譜』には記載のない――であるらし

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【愛知県の皇室伝承】7.「矢作川」の地名起源譚:日本武尊の矢作りを助けた蝶々(岡崎市)

矢作川の地名由来伝説 矢作川。愛知県岡崎市を流れるこの川に架かる矢作橋には、日吉丸と小六正勝――後の豊臣秀吉と蜂須賀正勝――がここで初めて出会ったという伝説があり、その橋畔には「出合之像」と題する二人の像が建立されている。  そんな矢作橋の東側から矢作川に臨むと、向こう岸にこんもりとした茂みが見える。地名も何も冠さない八幡宮ならびに矢作神社の鎮守の森である。  矢作神社の境内には、第二次世界大戦のさなかの昭和十八(一九四三)年に「皇紀二六〇〇年」を記念して作られた、そのご