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シャニアニ1話の演出について

 ようやくTV放映が始まった『アイドルマスター シャイニーカラーズ』(2024、以下「シャニアニ」)。かなり賛否が分かれているようですが、皆さんはどのような感想をお持ちになったしょうか。  初めに言っておきますが、私はシャニアニの先行上映を3章すべて観て、3回とも批判記事を書きました。つまりポジションとしては、かなり苛烈な「否定派」ということになりそうです。その理由について改めて記すことはしませんが、あの衝撃的なガッカリ感は、今もはっきり覚えています。  しかし、今回テレビ

    • 28歳の高坂穂乃果ー『ラブライブ!The School Idol Movie』を9年ぶりに観るという体験について

      同じ経験してきたから/同じくらい大人に近づく?  初代『ラブライブ !』がテレビアニメとして放送されたのは2013年だ。そこで主人公の役回りを演じた高坂穂乃果は、16歳の高校生と設定されている。我々と同じように歳を取るのだとすると、彼女は今年で28歳ということになるだろう。  言うまでもないが、こんな想定は馬鹿げている。アニメに先行する雑誌企画の時点で彼女は17歳だったし、劇場版となる『ラブライブ!The School Idol Movie』(以下「SIM」と表記)が公開さ

      • 人生で最もつらい映画鑑賞だったかもしれない(シャニアニ第3章感想)

        (ネタバレ有につき閲覧に注意してください)  シャニマスのファンは、シャニアニについて批判的な感想をSNSで言うべきではない――という意見は、確かに一理あるかもしれません。感想を検索したとき、そこに否定的な意見ばかりが並んでいたら誰だって嫌になるでしょう。度が過ぎれば、そのコンテンツは潜在的なファンを失っていくかもしれません。だからたとえ受け入れがたいものが出てきたとしても、表立っては否定せずにおく。それはひとつの現代的な倫理だと思います。  しかし、ファンの倫理とは別に、

        • シャニアニは我々に何を伝えたいのだろう、と考えてしまった(シャニアニ第2章感想)

          (以下、全部ネタバレしているので閲覧に注意してください)  これは第1章を観たときから思っていたのだが、第2章を鑑賞しながら、より深刻に疑問を感じたところがある。つまり、この『アイドルマスター シャイニーカラーズ』(2023、以下「シャニアニ」)というアニメは、いったい何を表現したいのだろう、ということだ。シャニアニを作っている人たちは、そもそもこのアニメの何を面白いと思ってほしいのだろうか?  具体的に見てみよう。第1章において、物語の目標はひとまず新人アイドルの大会だ

        シャニアニ1話の演出について

        • 28歳の高坂穂乃果ー『ラブライブ!The School Idol Movie』を9年ぶりに観るという体験について

        • 人生で最もつらい映画鑑賞だったかもしれない(シャニアニ第3章感想)

        • シャニアニは我々に何を伝えたいのだろう、と考えてしまった(シャニアニ第2章感想)

          シャニアニ第1章を観たが、どうにも納得しがたいところが多かった

          (全部ネタバレしているので閲覧注意です)  『アイドルマスター シャイニーカラーズ/第1章』(以下「シャニアニ」と表記)を観た。コンテンツのファンとしては相当期待していたし、心情的には「動く彼女たち」が観られただけで、満足と言えば満足かもしれない。「満足した」という感情で終わるべきなのだろう。  だが自分としてはやはり、ひとつの映像作品に対してはファン心理の延長ではなく、ひとりの鑑賞者として向き合いたいし、嘘偽りなく自らの価値判断を表明したい。そうしたとき、シャニアニに対し

          シャニアニ第1章を観たが、どうにも納得しがたいところが多かった

          短歌、小説、独白

          論理/コラージュ  経験的に理解していただけると思いますが、心からの思いとか、本当の自分といったものは、本来、文章にすることはできません。その真実性が他者には検証しえないという意味ではなく、散文による言葉が持つ論理性それ自体が、あるフィクショナルな性格を露呈させてしまうからです。小説における一人称の語りは、こうした前提の上で、何らかの造形的企図に基づいて用いられるものです。  散文作品は通常、一定のまとまりをもつそれぞれの場面が、ある機序に従って並列されることで構成されます

          短歌、小説、独白

          『アリスとテレスのまぼろし工場』感想――この徹底的怪作について

          (配慮はしますが、若干のネタバレはあります)  芸術的artisticであるとはどういうことか。端的に言えば、方法にせよ主題にせよ、そこで何かが徹底されているということだろう。その意味で、『アリスとテレスのまぼろし工場』(2023、岡田磨里)は、近年の日本映画の中で、最も芸術的な作品のひとつである。  劇映画として完成度が高いと言いたいわけではない。まずタイトルの迷走ぶりからして、この映画が知的によく練られたものでないことは明白である。「アリスとテレス」なる存在は作中に一

          『アリスとテレスのまぼろし工場』感想――この徹底的怪作について

          『白い巨塔』(2003)を観た

           唐沢寿明版の『白い巨塔』(2003)を久々に観た。やはりこれこそ日本ドラマ史上の最高峰をなす作品だろうと思った。もちろんテレビドラマに不可避の陳腐さやツッコミどころというのはあり、とりわけ第3話にて賄賂として用いられる絵画の異様な下手さ(あのような代物で喜ぶ夫人会の連中のバカさ加減の描写としては相応しいかもしれない)や、大学側の弁護士として登場する弁護士(及川光博)の漫画じみた悪人ぶりなどは頂けないにせよ、全体的には抑制の効いたシリアスな雰囲気で統一されており、大学病院とい

          『白い巨塔』(2003)を観た

          うまくいかない日は何をやってもうまくいかない(7/22)

           決して悪人ではない、というか善人か悪人かで言えば間違いなく善人に属するのだが、何故かいつも面倒事ばかり持ち込んでくる、といったタイプの知り合いから、唐突に電話が掛かってきたのが13時過ぎだった。一瞬、無視しようかと思った。というのもその日は私があまり年甲斐もなく(というほどの年齢でもないかもしれないが)執心しているソーシャルゲーム「アイドルマスターシャイニーカラーズ」の声優ライブ当日で、その出発準備をしていたからだ。もっともその方には個人的な恩義もあったから、無碍にはできず

          うまくいかない日は何をやってもうまくいかない(7/22)